案の定週末に携帯は連絡が来、翌週の月曜日に携帯を押収された。当時の記録や今の記録を取られた。その間もネットニュースではパラレルワールドのようにニュースは更新される。仕事の後、例の車に乗り携帯を受け取った。

そしてそれから四日後、彼女の誕生日だった。SNSにメッセージを送ったものの、その数時間後、彼女のページはなくなった。いきなり心に穴が開いた。

ちょうど私は三島での仕事を終えてすぐきた新幹線にのり熱海に。そこから一駅伊東線にのった。東急の車両の左側、つまり海が見える側の椅子をボックスに改造した車両の椅子に座りコロナビールを飲んだ。海の暖かさが冬なのにあったのは、今日が異常に暑かったんだろう。宿につき、むかし山梨に何回か伺っている個人経営のワイナリーでできた今年のワインを買い込んで部屋で飲んだ。隣にその子が来てくれなかと一人でつぶやく。

どういう心持ちで待ち合わせ時間を迎えていいのかわからない。皆に平等に与えられている時間をどう処理して感じていいか、あえて時間を感じたくないと思うのは気圧のある朝の早起きに似ている。意識は線路の向こう側をさし、感染症由来ではない嗅覚の損失を感じながら、直線で歩きたいのだけれど、駅前はロータリーだと、無言で足取りは曲線を描く。見つかったナンバーの車にのり警察にもろもろを話した。脂が乗り始めた同年代の警察官と、若い警察官と、二人のやり取りの上でこちらからできるありったけを話し、一時間ほどはなし隣駅に降りた。降りるとそこは日常なのだが、秋の落ち葉が意識をかき回し、ついでタクシー乗り場から歩道に乗るとなんとなく意識が揺らぐ。

翌朝。2時くらいから5時前まで寝ていたのか、その間も夢ではそのニュースや過去の記憶を生きていた。寝ているというより仮に寝ている、感情は寝ていてもより研ぎ澄まされている。ネットストーカー対策でFacebookのアカウントを変えたが以前のメッセージのやり取りは残っていたと、ふと思い出し探り見つかった。茨城でともに半同棲をしていた時に私が他の女性とも関係を持っていたことを知っていなくなってからのやり取りが残っていた。その後であった男性とできちゃった婚をしたこと、その後私との子供を身ごもったこと、そして早期流産したこと。短文で味気のない私の返しが、当時境界性人格障害の女性にこりごりになっていた際にやや警戒しながら返事をしていたことは言い訳に過ぎないが、冷淡に感じて涙ぐんだ。空は冬のようで雲の隙間からすんだ空気のなか朝日が光を刺す。荒川や江戸川を渡るときに感情の抜け目が連動しているようだった。旦那の話では鉾田市大竹の海岸に埋めて、血痕が残っていた車は成田湯川駅から近い外小代公園だったという。近いうちに行かないといけないと強く感じている。どうしても思い出すとまだ生きている。私の中ではまだ笑っていて、声も聞こえる。あの笑顔を抱きしめたくなる。髪の毛の触感もある。色にあふれている世界から、色彩と影が失われていく。乗っていた車両の窓がUVカット仕様だったかとも思い、扉の窓ガラス越しにもみたが、変わらず無光沢の黒ずんだ雲だった。

木曜日、突然の警察署からの電話。以前最後千葉であった離婚調停中の彼女が行方不明であると、機動捜査隊から連絡があり、翌週月曜日に捜査に協力するためにお会いすることになった。何が起きたかは察してくれと言われるばかりで、しかし彼女の携帯に私の番号と、会いたいというメッセージがあったそう。弁護士に相談しネットで調べてみると、どうやらその旦那と親権をめぐってトラブルになったあげく殺害され可能性が高い。とのことだった。どう受け止めていいかわからないまま、その夜は山形でワインをのんだがどうも神経が落ち着かない。そのまま深夜まで眠れないままだった。ニュースをネット記事で見つけ行方不明になる当日の彼女が写っている動画をみたが、まさしく本人だった。ロングスカートを好み、だいたいなにか荷物を持ち、後ろ姿だけでも表情が予想できるくらいの彼女の姿。暗い時期や感情が爆発するのは、直接見たことはないけれど本人から聞いていて、いつもそれを抱え込んでわたしと会っていたのだろう。その抱え込みを感じさせない首元の自律した、しっかりとした美しさがそこにはあり、深い愛情を容易に予想させるわたしの好きな部分でもある。ニュースでは旦那が殺害し埋めた。とのことだがまだ遺体は発見されていないという。生きていてくれ。これを記している「今」は日曜日の夜である。明日に捜査協力のために話してくる予定だ。ニュースでみた彼女が暮らしていた茨城県のうちが印象に残り、それを反芻している。

夕方の銀座から東銀座を抜けて築地に歩いていく途中の昼下がりの、首都高の上を渡る橋にある柵に絡まる蔦の印象がある。というよりか柵というまっすぐな線の中に蔦の3次元的な曲線が絡まっていて、ほぼ真上からの太陽だったこともあって蔦の輪郭は強調された。心に余裕があるときにおぼえる、フラッシュが不意にたかれたような鮮やかな色合いとは違い、その時はどちらかというと色よりか形、色は彩度を落としモノクロだったのかと思っていても変わりないほどの記憶になっている。そうした記憶を反芻していた今週は、移動距離も多かったために色を感じにくくなっているのかもしれない。原爆の写真をカラーにする技術が生まれたために、それを見た被災者が記憶を思わず思い出す、記憶の溶解ということばがあったが、反芻している過去の記憶はより具体的にその形態をもってくると、その時の心情が重なっているのかなと気になりもする。色の名前まで決まっていないような色まで、認識できている、できていない関係なく、世の中は色にあふれているのに、疲労はその感度を奪っていき、どちらかというと単色、さらにはそのものの形状にしか認識がいかなくなってしまう。東京に23時くらいに着く帰りの新幹線の車窓は暗闇で、疲労とお酒とで認識を形状だけにしていても許される時間なのかとほっとできたのは水曜日のことだった。

いつから孤独を飼い始めた。いつからか、思い返してもはっきりわからない。ときにそれは黒くなにか形をかえるものとして片隅にいるときがある。理性を支配するほどに成長しているときもあるし、わずかに味がするほどの度合いのこともある。たとえばさみしくてしょうがないときの孤独や、大人数で食事をしているときに感じる孤独。わかりやすく表出しているときはそんなところだろうか。すぐに孤独を身にまとい、ひとりでいる時間を作ることに容易くなっているのは確かのようだ。ひとりでラジオをしているパーソナリティが、話しているうちに相方がいるようになってくると言っていたが、たしかに一人でいるスイッチが入ると独り言のようなことをこまごまと、口にすらしていない会話を黙々としているときがある。特に寝る前と一人になってすぐのころに夕方だった時が多い。そうした時にはすでに右肩の後ろあたりに例の孤独がいる。なにか口元を抑えるように右側から覆うようにしてそれはやってきて、粘着質とは程遠い透明度のある、しかし黒い孤独。一度飼うとなかなか捨てることはできず多くは一生を共にするのだろう。そしておそらくだが、飼っている人たちは勝手に知り合っていく。どうしてかなにかひかれている部分がある。ひかれるというのは異性だからだとか、そういう動物的な意味合いではなく、もっと人間的な部分で感じる。有名人にとっての公は、オフィシャル、だから有名人がテレビに映っているそのイメージであって、私はプライベート、つまり家に帰る前に不倫しているときである。とだれが決めたのだろうか。そもそも不倫をしているようなプライベートの時間は有名人本人からすればそれが公でありオフィシャルであろう。発想を転換すべきだと思う。飼っているこの孤独は私にとってとても公でオフィシャルなものであると思っている。それをプライベートだとあたかも飼小屋に閉じ込めておくのはオフィシャルを崩しかねないバランスをもっているなといままでの経験上から察している。