母であることを感じたことはない。どちらかというとしっとりとした印象を感じる女性がいる。じぶんが優しすぎてしまうことで、それを消極的であるならば、のどにつっかかっているような、意志がうまく伝わらないもどかしさ。

らしさ。という言葉を使うと、受け止めるところに愛情を覚え始めた。過去にやさしさを悪用する人に追い詰められ、吐き気とともに日々の生活する空気を捻じ曲げられたことがあってから、意識はしていないまでも外傷性の記憶になっている部分がある。それをやや匂わせる我儘な部分を持った不器用さを、はてどう受け止めたらいいのが、しんそこ困って半年がたってきたが、ようやく、らしさという部分で受け入れてきたように思う。

郊外のターミナル駅直結のホテルからの帰りだったか、これから一時間かけて帰るはずだっただが、今年初のゲリラ豪雨で電車が止まっている。行為の最中に雨は止んだようだ。22時。気持ちは徐々に角度をつけ、ざわざわした風をうちに感じている。おそらく横浜線南武線小田急線で南下しなければならない。結局横浜線に乗り新横浜から新幹線に乗った。雨で少し涼しくなった空気が、地面の香りを炊き込めて、やや温度を持ったけだるさに包まれる。らしさを受け止めたことに気疲れしていたのか。

時期が時期なのか、新幹線の自由席はすいていて、仕事帰りなのか行楽帰りなのか、中年のおじさんがラフにスマホをいじっている。自分を中心とした内向的な意識を働かせたところ、とくに意識を彼に向けることなく、しばし雨の止んできた景色を眺める。

武蔵小杉のあたりは車体がすこし傾きながら、ゆっくりとカーブしていく。

品川駅を出ると終着駅に近づくときに毛羽立ち始める意識の粗さを生み出す。とはいえこちらはまだ20分も乗車していないのだが。と右斜め下の隅っこに視点を追いやった。

東京駅のホームは雨上がりで、海の匂いと人工的な匂いが、頭のあたりをまとわりついてくる。いそいそとすいた階段をかけ下りる。

まだ家庭を感じさせない、洋服から漂っていた柔軟剤の香りが、腕の下あたりから炊き込まれていたことに気づく。