若いときに渋谷のギャラリーを借りて、オーナーの堅物を口説いていいことに、渋谷川の壁に立つその画廊は、比較的自由に使える場所だった。本当に我儘ばかり。埼玉県の南に一人暮らししていた香水がいくつもあってたしかメゾネットタイプだったか。ただメゾネットとなると、上はクーラーのない熱い空間でしかなかった。時間があったのだろうか、歯科助手が休みの彼女の部屋で一日の欲を、汗をかいて費やすことはあったように思う。リンゴの容器の香水がやたら私は気に入った。そんな当時の彼女はるんるんと渋谷の画廊のパーティに、私のゲストとして赴くも、ネットワーキングと今風に言うとそうなのだが、あいさつ回りをしていることに対する嫉妬のようなもので機嫌を害していた。疲れたといえば疲れたが、彼女の風貌にあったすこし大げさな耳のアクセサリーと、よそ行きの洋服をきていて、パーティの際に階段でピアノを聞いている姿にうっとりしていた私がいたために許せていた。今思うとそれもらしかったのだと思う。

飲んでいたのはバランタインだったか。適当に酔った私は彼女が埼玉に帰る際に、グリーン車の切符をかった覚えがある。

メゾネットで汗ばんだ交合の際の、太ももにあまり筋肉がなく、ひんやりとした感覚は今もある。つややかさが今も残る。特にその香水は、つけたときはとても鼻につくのに、時間がたつとその人がまとう洋服になんとなく察知して、知らないのに知っているかのような過去を連想させるくらい、滑らかなツライチではない加工後の曲面を感じさせてくれる。上野をでる古い車両が退勤客用として汗臭い匂いを抱えて、かつふるびた埃臭い香りと、もっと言うならばモーターの古い音と、染み出したオイルを感じるその車両に揺られ、彼女の部屋に向かうのが楽しかった。

そういえば浦和のイタリアンで安い赤ワインを楽しく飲んだのを思い出す。