同業種の女医はふくらみのある頬をしていて、笑顔がとても素直だった。外房にある実家には毎週末帰っているとのこと。関係をもってからはたびたび私もそちらにお邪魔してはお酒をいただいた。ブランデーをいれていただいて、すき焼きを祖父としたのを覚えている。3階建ての実家はもと旅館を改造したもので、広々としていた。海沿いにシェフを雇っていたレストランを経営し、バリ料理や豪華な海鮮をいただいたことを思い出す。錦糸町から2時間ほど揺られてつく単線の行き違いのあるその駅からは私鉄が発着する。昔は海水浴ではやったのだろう駅前の道をまっすぐいくと港に着く。花火大会やお祭りも参加して、たびたび泥酔していた。どうしてもとても幸せで私のような毒さのない生活を魅せられてしまうと、その相手を認める工程に移行するときに壁を感じてしまうことがある。どうしてなのだろうか。なにかスキーマがあるのだろうか。大涌谷から湯をひいた早雲山のほうに旅行し、仙石原よりか香りの強い温泉に行った。どうにもこうにも、行きの登山電車の車内でおいしそうにキュウリを食べている姿が印象に残っている。それからこちらは結婚をして、下町だが都心に出やすいほうにと引っ越しをしたが、その彼女も祖父を亡くし偶然だが徒歩で2分ほどのところに一時期引っ越してきて住んでいた。一度駅前の居酒屋で飲んだのだが、それ以降はまた引っ越したらしく顔を見ていない。いまもあの素直な笑顔ですくすくと仕事をしているのだろうか。まっすぐな勢いのあるものが海の上を動いた後にできる波が、しばらくたって勢いをなくし、波を打ち消しあうポイントが出てくる。そうすると周囲に波が伝播するわけでなくそのポイントでの上下動だけで波が生き残っているような感覚になる。熱すぎて入れない貸し切りの湯本温泉で、恥ずかしがってでも熱がっていた印象が、今思い返すとそれは静まっていく波を見届けた後の、しっとりとしたとても冷静な感情になれるのが不思議だった。