手の甲から腕にかけて筋を感じるときに右手の人差し指にある仕事でできたまめを触る癖がある。そのころだいたい疲労をしてくる週末はまぶたに軽いけいれんが起きる。つらいというよりか疲労に浸っている。だから、たとえばその前日にアルコールを摂っていただとか仕事でオーバーワークをしていたというような身体状況のほうが浸った際の心地は良い。

基本的には日曜日を休みとして月曜日、火曜日と乗り越えていくと水曜日あたりから感覚が開く。そして金曜日を乗り越え土曜日はだいたいお酒を飲んでいる。外向きの浮上していた間隔は週末にくるむように気持ちが内向きになる。そうして日曜日を迎えて空は曇りなのにもかかわらず電車で一時間くらいの干潟に向かった。気持ちが内向きになる土曜日の夜は地方での仕事のあとに女性と飲んでいたのだが、気分が良くなったせいか、一人の時間でもお酒が飲みたくなってウイスキーを帰りの車内で飲んでいた。バーボンかスコッチかとなったときにバーボンの華やかさはちょっと似合わない。と内向きになったときに感じたのはスコッチのほうの熟成感だった。そんなことがあった翌朝だったので、干潟に行く途中におなかがすいたと昼過ぎからやっていたお寿司屋での一杯のビールが胃腸に回って、急に眠気に襲われた。梅雨の時期の曇りの日の車内はすいており、冷房が効いているせいか回ったアルコールを冷やしてくれた。つく頃には冷めており、干潟までの商店街を歩く。昔は巨大な遊園地だった名残として残っているバラ園を目指し、当時はなかった高速道路をくぐる。商店街は当時にはなく、最寄り駅がなかったために支線を伸ばしていたそうだ。現在は駐車場とその残りは草地になっている。後で調べたところその廃線跡は、線路に沿って土地が売られたために、支線が本線からずれていくカーブの部分には、そのカーブに沿ってまがって建物が建っているようだった。当時の航空写真と同じレイアウトのバラ園は、ところどころに女性の像が設置されていて、土台が何回も塗られた厚化粧をしたピンク色をしている。おそらく当時からあったのではないかと思ってしまう。

3割ほどしか咲いていないバラを一通り回って出口を出て、航空写真でみるにジェットコースターが上を突き出して走っていた干潟のほうに歩く。海とは二本の水路でつながっている干潟は、満潮と干潮とで生きている。重たい湿度の高い空気は塩臭さを含んでいる。カモやサギ、トビハゼカニが悠々と生きている干潟はショーケースというには大きい。遠く干潟の一部を高速道路やJRが横切り、周囲に平成初頭にみられたような団地やマンションがそびえたっているのをみていると、なんだか生きたジオラマに立っているような気分になった。雲行きが怪しくなってきたとふと気が緩んだ瞬間に、結構な豪雨に見舞われ、足元はぬかるんだが、歩道にあった木の下で妻と雨宿りをした。心なしか我慢の時間ではなく、こころのほぐれるような緩んだ隙間にしみこむような、そういった雨であったのだが、木の下にいたことで強く降る雨とは壁を持っているようで、音も反響し、かつ視界には豪雨の中でも悠々と食事をしているカモたちがいたからかもしれない。15分ばかりしてやんだ干潟では鵜が羽を乾かしていた。