フレーミングということばがある。認識をし直すといった意味合いだ。なんとなくだが特に前向きな人というのはこのリフレーミングした際に考え方を刷新しているのではないかと思う。あれだけ感情を持っていかれていた横浜の最上階に住む彼女は同時に経営能力にも優れていると思うが、そのリフレーミングがうまかった。と思っていた。ただ、再認識する際になにか漏れ出ている部分があることにもすこしずつ気づいていた。たとえば砂を救ったのだけれど多少は、一部分が漏れ出て、感情は冷え固まる前に葬られていく。だからなにか本人の前向きさに虚無感と影が少しある。本人は感じていないのかもしれないが。行きつけのお店でビールを飲んでいた際に酔ったお客に手相占いを見てもらった。みてもらったというか見せてほしいといわれたのだった。以前北千住のしゃれたカフェで占い師の女性と話したことがあるが、予想通り席に来た酔った占い師も個性が濃かった。二人の柔らかな時間の上に乗っかってくるような圧力だった。そこで二人とも似ているわよ、繊細で。と告げた。彼女はそれを否定したが、こちらはそれが腑に落ちた。その虚無感と影は生活のどの段階で回収しているのだろうか。私といた時間に回収していたのだろうか。会わなくなって、あるいは関心がなくなってために気づいた面であった。