高校時代の教育実習の先生からの、「ひとりのうちにまた」ということばが引っかかっており、すでに両親ともを知っている私は、その日山形駅に向かうタクシーをバスターミナルに終点を変えてもらって、仙台行きのバスに乗った。小一時間の高速バスは毎週のようにつくばから乗っているのだが、始発も終点もなじみがない街であるために、家に帰るためにのるのとは違うためか、心が乾いている。帰るというときに電車やバスに乗っているときに、心が潤っているような気持ちが相対的に認められた。山形県宮城県の境目の山岳地帯をくねるように、しかも高いところを走る。カーブした高い陸橋を超えて次の山のお腹にあいたトンネルに突っ込んでいく。日暮れから宮城県に入ったころには夕暮れとなり、トンネルから上がるといきなり市街地にでた。関東平野の首都圏に慣れている身からすると変化が目まぐるしい。身軽でよかったためにさっそうと知らない土地の繁華街を歩くときはいくぶんだいぶ遠いところにいるようだった。少し腰を痛めていたが白ワインの酔いで鈍感になったまま朝を迎えた。すこしの交わりをもって、まったりとした時間が過ぎていくのを感じながら右足に冷や汗が、湿度をもって感じていた。