木でできた木馬はもはや掘ったひとの魂を感じる。あるいは、50年を超えて手入れされている機械は、もはや魂がこもっている。このことは、今は当たり前のように3Dプリンターで作れるようなものとの違いが、まだ若い人でも感じ取れるのではなかろうか。味が出るということばで言えるのかもしれない。どうも人工物に魂を感じていると私は涙がでてくる。だからこの、生き生きとした人工物を覆いかぶせるような緑にも写欲が湧く。ひたすらに毎日目的地に向けて走り続ける鉄道を0歳児から好きだったようにいまもそれは変わらないようだ。したいな。という欲というのはどこからくるのだろうか。大切にしないといけないなと気づいた。