高校時代はまだガラケーで、出会い系サイトで出会って、病んでいたその子は胸元がみえるインナーで写メを送ってきてわたしはたまらずに大学生になって会いに行った。たしかオムライスを食べたのではないか。アーノルドパーマがすきだからと服をかった。いまももらったベルトや服がある。あんなにわたしは傷つけることをしたのに好き。と言ってくれるあの愛情は、本当に深く深い、その優しさから出てくるものではないのかと思う。たとえば、石や土を何年もかけてなじみ、でてきた純粋な透明な液体に反射している周りの風景の濃縮した輝きをそれに重ねる。マスコミが追ってきていることを考えると今すぐに茨城県の海岸にはいかないほうが良いと考えているのかいまだった。それはやや言い訳のような含みを持ってしまっているのも事実なのだが、受け入れる心がまだなく、突如として道路に穴が開くような現象が心に起きる予感がしている。心に明らかに感情のノリが悪い領域ができている。塗ってもはじかれる絵の具のよう。過去のことを思い出してもいまの感情がどうも動かない。こころのなかでは生きてしまっている。生きてしまっていて死んではいない。遺体が見つかった時私はどう思うのだろう。そう考えても形式的なことばだけで中身は追随してこなかった。