研修医のころから勤務している医院はむかしもいまもなぜだか直通する電車を使いたがらない。どうしてなのだろうか。私の意志なのに私が理解できていない。研修医のころは医院が休みの時は借りていたアパートではなく基本的に実家に帰っていた。当時キャッシュカードも持たなかったために実家に帰るたびに数万円を財布に入れて、そのアパートに長い旅行のような感覚で働いていた。今思うとガラケーでテレビはあったがネットはなかった。よくそんな生活ができたなとふりかえり内側にえぐるような感情が不覚に横たわっている。勤務が終わると電車ではなく多少安く座れる高速バスを選んでいた。そこでコーヒーや多くはビールかウイスキーを飲みながら1時間ほどの夜景に酔いしれている。10年弱そのようなときが毎週、いまは隔週だがある。どうもロングシートは仕事が終わったあとに乗るだいたいシートが埋まっている車内ではストレスで、高速バスの二人掛け同一方向の椅子のほうが落ち着く。おそらくこういうことが一つ。また電車を利用する場合には旧線と新線があるが、勤務先の新興都市に向かうにはどう考えても新線のほうが速い。しかし歴史がない。ことばでいうとそれまでなのだが、歩いていてもぬめりを感じない。不思議なもので下町からいまはニュータウンのはずれの自然のある地区で暮らしているが、そこでも同じように厚みを感じない。占いには興味があるといえばある。あるがそんなにのめりこむ必要はないと思っているのは、近くに好きな人が数人いるから相対的に感覚が育っているのかもしれない。誕生日と時間と名前を伝えて長々と占っていただいたところに、人間のどろどろとしたものが好きと書いてあったが、これは本当にそうだと驚いた。特に過去の時間についてなにか感じているのかというほど雰囲気や空気を感じていることが多く、繊細な精神の動きや安定を求めるときの動的な流れというものは高校時代のころからなんとなくこのようにことばにして感じている。動きがない空間というのは確かに存在している。もちろん遮蔽された空間であればそう感じざるを得ないが、そういうものではない。過去にあるいは夜に人間がたくさんいて臭いを染みつかせていた空間の現在やひとけのない昼間の風景は、意識の動きがなくどろっと粘性のある状態でとぐろを作る。夕方の日差しの黄金タイムを過ぎてくるころになると感情が目を覚まし、意識を一度先鋭化させて刃物を研ぐ時間を得る。そののちにねばついた意識は研がれた刃部が切り込みを作り、夕暮れとともにまた意識はまわりだす。昔でいう青線のような、いまでいうスナック街の街並みにある場末感はたまらなく好きなのは、前世でお客だったのか。バスの中でボウモアに酔った身体でさらに1時間電車に揺られ、帰宅して夕飯ののちに就寝をした。二日に一回は新幹線を利用しているこの生活は、息継ぎを限りなく減らした水泳のようなもので、歯科治療だけしていれば生活できるのだが、移動時間や就寝するまえに勉強や執筆もしている。翌日は4時起きだったが体がやや熱くとても眠い。いつもは朝にスマホをいじって脳を覚ますのだが、それもする元気がなくうちを出た。とても救いなのは外気のひんやりした温度と、まだ鳥たちが目覚める前の静けさと緑の香りだった。