考察

 

そう。感染症がとても流行ったために、外出もままならないのはわかっているのだが、4月初旬に目抜き通りの一本奥の道の交差点で、なんとなく風に吹かれて女性を待った。多少の罪悪感があったのだと思うが、意を決してお店を探すもなかなか断られ、近くの窓のない居酒屋に予約が取れた。

息を吸うとなにか後頭部できんといたむような黒い輪郭のはっきりした線を、白ワインでぼかしていく。ついで赤ワインは、もうすでに相手はうとうとと舟をこいでいたためほとんどわたしが飲み干した。

からだの細胞にアルコールが染みた重たいからだで、夜の一時間弱郊外を走る電車にゆられ、女性のうちについた。やや海の匂いがあったかと思う。

そのりんとした歩き方や話し方に空気の流れを持ち、かつ柔らかな気配りをしている。寝息になってからはその枠というものが、意外と皺のある柔らかさとふくらみを持つのを感じた。

朝になってまだ昨日の赤ワインの空気を鼻先に漂わせながら、うやむやと、朝の空気をたくさん吸っては呼吸を整えた。その皺を持った柔らかい包み紙は、アイロンでもかけたのかと思うほどのパリっとした触感に変わる。

どちらかというとモノクロに近い感覚で彼女の部屋をとらえていたのは、まだ引っ越したばかりでひろく、そして雑然としていたからなのだろうか。触るとひんやりするような、すこし湿度を持ったまだ馴染みのない木目が心地よい。

 

前日に飲みすぎた後の、二日酔いではなく疲労感を開き直りながら感じていたが、こりずに帰りにはまたビールを飲んでいたように思う。

疲労感と一杯のビールがつくりだすだるさは、昨晩のやわらかい皺を思い出すとまどろみを思えた。視界でおさえる現実に、舌がなじんだ妻のご飯を透明のアクリル板を置いて隔てるようにして、いただく。

 

母であることを感じたことはない。どちらかというとしっとりとした印象を感じる女性がいる。じぶんが優しすぎてしまうことで、それを消極的であるならば、のどにつっかかっているような、意志がうまく伝わらないもどかしさ。

らしさ。という言葉を使うと、受け止めるところに愛情を覚え始めた。過去にやさしさを悪用する人に追い詰められ、吐き気とともに日々の生活する空気を捻じ曲げられたことがあってから、意識はしていないまでも外傷性の記憶になっている部分がある。それをやや匂わせる我儘な部分を持った不器用さを、はてどう受け止めたらいいのが、しんそこ困って半年がたってきたが、ようやく、らしさという部分で受け入れてきたように思う。

郊外のターミナル駅直結のホテルからの帰りだったか、これから一時間かけて帰るはずだっただが、今年初のゲリラ豪雨で電車が止まっている。行為の最中に雨は止んだようだ。22時。気持ちは徐々に角度をつけ、ざわざわした風をうちに感じている。おそらく横浜線南武線小田急線で南下しなければならない。結局横浜線に乗り新横浜から新幹線に乗った。雨で少し涼しくなった空気が、地面の香りを炊き込めて、やや温度を持ったけだるさに包まれる。らしさを受け止めたことに気疲れしていたのか。

時期が時期なのか、新幹線の自由席はすいていて、仕事帰りなのか行楽帰りなのか、中年のおじさんがラフにスマホをいじっている。自分を中心とした内向的な意識を働かせたところ、とくに意識を彼に向けることなく、しばし雨の止んできた景色を眺める。

武蔵小杉のあたりは車体がすこし傾きながら、ゆっくりとカーブしていく。

品川駅を出ると終着駅に近づくときに毛羽立ち始める意識の粗さを生み出す。とはいえこちらはまだ20分も乗車していないのだが。と右斜め下の隅っこに視点を追いやった。

東京駅のホームは雨上がりで、海の匂いと人工的な匂いが、頭のあたりをまとわりついてくる。いそいそとすいた階段をかけ下りる。

まだ家庭を感じさせない、洋服から漂っていた柔軟剤の香りが、腕の下あたりから炊き込まれていたことに気づく。

 

正義を振りかざすことに快感を覚えているこの世の中には、実は、不便な事柄を解消し、便利になることで生じる副産物が多く漂っているのではないかと考えている。便利さと引き換えに奪われるのは思考。他人をどうとらえるか。インターネットや電話はまずその他人とのコミュニーケーションを、外向的にあって話すことから、内向的に、ひとりでコミュニケーションが他人と取れるように変えた。現在には匿名で会ったことのない誰かを誹謗中傷し、さらには戦争をも引き起こす。内向的イメージの暴走か。どうして他人実際を、らしさ。として認めてやらないのか。昨今あった黒人が射殺された事件や、絞殺の事件。もちろん差別問題として個々人に備わるステレオタイプの輪郭が熱くなったのだが、それ以前に、警官が勝手に誰かを殺めたとても確固たる事実に、その自らのイメージがまとわりつき事実を混乱させていく。

 

男子校でなかなか群れることができなかった。表面上ではみなと仲良くしているつもりだったが、つるむことが苦手で、なにより運動神経がよくなかったことがマイナスになり、だいたい一人だった。写真部の暗室が住処だったといっても過言ではない。そんななか珍しく男子校にきた教育実習生の女性の先生にそういえば最後の感想を、黒板にさらさらと書いたアドレスに私は送信した。当時はモノクロのガラケーだった。初任給や初体験や、そんなくだらないことを聞いたり、どういうところで買い物したりご飯を食べているのか。身近な女性というものに初めて触れた気がしてとてもわくわくした思い出がある。あれから12年後、その女性と安い箱根の旅館に出かけた。もともとモデルもしていたため、しっとりとした細い足が、いままでは顔や表情ばかり気を取られていたのだが、目に入ってくる。そんなに大きくない、石で固められた湯船になみなみとかけ流しされる透明な、すこし熱を持った温泉につかると、すこし窮屈そうだなと思ってしまうほどだった。安いといえどもよく手入れがされており、温泉も心地よく、昔の思い出話をたどり、どうしていまこうやって二人でいるのかを、歴史をたどっていじってみたりしてよく笑った覚えがある。

床が軋む朝食会場は、一階だったと思うが、彼女には天井が低かったように思う。

 

どこか単に女性として好きな部分を、男子高で彼女に思っていたのは事実だった。彼女をひととして好きな部分をそのあとの関係性で見つけて、部分にのせて熟成させていく過程は、心地よいもので、繊細さと優しさで受け止めては咀嚼していく過程が、結局彼女とは一緒に住むことはなくなった今も続いている。

連綿なそして繊細な時間を思い出しては、一人でも過ごすことができる。

 

ユニークさと明るさを兼ね備えた女性は、人生で何回か出会っている。だいたい突然やってくることが多い。同じ箱根ではあるのだが、もうすこし芦ノ湖のほうに足を延ばし、ペンションのようなところに泊まった。少し埃っぽかったのではないか。おそらく景気が良いときに建築されて、近年リニューアルしたのであろうその室内で、ところどころの隅っこのペンキが剥げているのをみて思った。作ってきたという手料理を堪能しワインを飲んで、白濁した仙石原の温泉を引いているようなのだが、硫黄の匂いが肌にしみこむほど浸かった。温泉とワインのマリアージュというのは考えてなかったが、辛口の白ワインには透明の熱い温泉、もしくは硫黄の白濁した温泉、重たい赤ワインにはぬるめの透明なお湯、もしくはとろみの強い温泉が合うのではないかと思っている。すっかり細胞にまわったアルコールと水分やミネラルが、肌という枠をなくし、呼吸しているような感覚になる。

少し古いタイプのロマンスカーの展望席が取れて乗った際の、昭和の装飾品がゆれているのを眺めていた。

 

若いときに渋谷のギャラリーを借りて、オーナーの堅物を口説いていいことに、渋谷川の壁に立つその画廊は、比較的自由に使える場所だった。本当に我儘ばかり。埼玉県の南に一人暮らししていた香水がいくつもあってたしかメゾネットタイプだったか。ただメゾネットとなると、上はクーラーのない熱い空間でしかなかった。時間があったのだろうか、歯科助手が休みの彼女の部屋で一日の欲を、汗をかいて費やすことはあったように思う。リンゴの容器の香水がやたら私は気に入った。そんな当時の彼女はるんるんと渋谷の画廊のパーティに、私のゲストとして赴くも、ネットワーキングと今風に言うとそうなのだが、あいさつ回りをしていることに対する嫉妬のようなもので機嫌を害していた。疲れたといえば疲れたが、彼女の風貌にあったすこし大げさな耳のアクセサリーと、よそ行きの洋服をきていて、パーティの際に階段でピアノを聞いている姿にうっとりしていた私がいたために許せていた。今思うとそれもらしかったのだと思う。

飲んでいたのはバランタインだったか。適当に酔った私は彼女が埼玉に帰る際に、グリーン車の切符をかった覚えがある。

メゾネットで汗ばんだ交合の際の、太ももにあまり筋肉がなく、ひんやりとした感覚は今もある。つややかさが今も残る。特にその香水は、つけたときはとても鼻につくのに、時間がたつとその人がまとう洋服になんとなく察知して、知らないのに知っているかのような過去を連想させるくらい、滑らかなツライチではない加工後の曲面を感じさせてくれる。上野をでる古い車両が退勤客用として汗臭い匂いを抱えて、かつふるびた埃臭い香りと、もっと言うならばモーターの古い音と、染み出したオイルを感じるその車両に揺られ、彼女の部屋に向かうのが楽しかった。

そういえば浦和のイタリアンで安い赤ワインを楽しく飲んだのを思い出す。

 

住宅展示場で案内をしている、いわゆる制服をきた30代後半の女性は、当時まだわたしが20代前半だったこともあってだいぶ年上に思えた。赤羽の赤ちょうちんでだいぶ酔って、モノクロのトーンのビジネスホテルに泊まったのを覚えている。酔っているテンションを暴力的にカウンターの方に投げつけるような、今思うと申し訳ない気分になるそのシーンがあった。

当時、結婚するまでに遊ばなかった。かつ結婚してから子供がいない。ということで若い男の子と遊びたいと言っていた、和装が似合う30代後半だったか。何度か池袋の北口で待ち合わせをしていた。インナーのもつ色気のようなものを感じ、行為の時には特に感情がないのか、殺しているのか、終わるとそそくさとお酒も飲まずに終わる。

ふわついた感じのある人だった。

そういえば30代後半、すこし恰幅がいい女性もいた。新宿の大久保よりのホテルに入ったこともあった。新宿はあまり好きな街ではなかったが、そのあたりには人臭いが緑のある公園があって、印象に残っている。しかしまったく自然の匂いがない。

行為や関係に愛情があるのかないのか。どういう思いなのかの詮索が全くできない。酒の酔いというものがある場合でもない場合でもそうだった。だいたい長く続くわけではないし、行為自体をしたいとは思わなくなっていく。

 

意識しているわけではないが、ものすごく言葉に対して感受性が高いことが多い。そして動作や表情から感じ取ってしまうことがあり、気持ちはそれに連動してしまう。繊細な皺を埋めていくパウダーが、しっとりとした質感を生み出す夕方に、車の排気ガスや緑の匂い、コンクリートの持つ香り、雑多な通り過ぎる人たちの匂い。そういった能動的に、こちらは受動的になってしまう感覚を包み込むような球体を思い浮かべている。

相手のイメージだけで交流を持ってきた女性に、深夜3時に公園で行為に及ぶ。長い商店街はその先幹線道路に出るのだが、だんだんと商店街らしき雰囲気をなくしていく。その道すがらのお寺を左手にまがり回り込むと幼稚園があるのだが、その隣の公園で、監視カメラの位置を確認しながらに行為は始まった。すこし湿度がある季節だったと思うが、その時も白くしっとりとした太ももを強めにつかんでいたのだろうか。

翌日から連絡は取らなくなり、なんだか不思議な思いでその場所をまわってみたのだが、夢だったのではないかと思うような感覚がくるくると回転しながら心の中で混乱した。

 

コーヒーにするか紅茶にするか、たとえば日常では選んで決定する行為の積み重ねかもしれない。それをリズムとしてとらえるのならば、独特のリズムを持っているのであろうか。新築の白い部屋を好んで探したということを話していた。食事も、片づけるときのことを考えて食材を選んでいることも話していた。テクノのような繰り返しの美学の中に彼女なりの音を加えたリズム感を作り出していた。猫のように笑う時に感じる温度感がすこし冷ややかで、真っ白の壁に青みを加える。私からしたらこの白さは浅い眠りしか与えてくれなかった。静かになると窓の外にある高速を走る車の音が、非連続的なリズムで鈍い痛みを感じさせる。ついで光が、部屋に入ってくるまでのいくつかの障害物によってだろうが、痛みを感じるころに鋭利になって襲った。部屋着でいる彼女は落ち着いた雰囲気を目皺に漂わせているのだが、無邪気さを口元に揺らす。髪の毛をまとめているために首元に色気を感じさせながら、これまた不意なタイミングで隙間にすとんと入ってくる。

 

旧来、遊郭だった街であるため、建物は変われども道幅は目抜き通りそのもの。よくみると屋号はアパートの名前として生き残っており、重たい黒い油のようなものをイメージさせる雰囲気が、目抜き通りから曲がると感じた。まっすぐ進み、その遊郭から一歩出たところにある、高速に近いそのマンションは、街の雰囲気と裏腹に見た目から白いために浮いて見える。6階にあるその部屋の廊下からは、同じように建設されたマンションがいくつか距離をあけて隣接している。遊郭の跡はなかなか建物が立ちにくいと聞く。場所柄だろうか。だからいくらかの距離をあけて、隣のマンションの部屋の中が、夕暮れ時でくっきり輪郭をもって見えてしまう。覗いているというか見る感覚でいいならば、いささか興味を沸いてしまう。蛍光灯ではない白熱灯の色温度の下で、部屋着のおじさんが大型のテレビを見ながら缶ビールをあおっている。こちらは白いカーテンをしめて少しの間の営みをする。

 

白いマンションで夜の匂いと赤ワインで疲労感が麻痺してきたときに、それでもやはり会いたいと矢継ぎ早に地下鉄に乗り、もう22時だが空いているお店を探して出張帰りの違う女性に会い、餃子を食べた。もう赤ワインの香りは品をなくし、ハイボールでのど越しを気分転換として、いつものようにそのパリッとした衣が、柔らかな皺がある布感を帯びていく彼女を眺めている。そのまま泊まってもいいのだが、既婚者である以上帰宅する必要があった。

ふたりごと。それぞれに言葉の定義がない付き合い方をしているために、とても感覚的な生活を送っている。気を付けてないといけないのは心で、苦しみが強くなってしまうこともある。たとえば、空き瓶に薬液を注いでいるとき、はじめは気にせずに入れていくも瓶はだんだん先細りの形状のために、こぼれやしないかと意識する。いや、まだ透明の瓶なら加減はできるのだが、中の見えないボトルなどはなおさら気を遣う。ついついあふれてしまっては、後味の悪さを覚える。覚えるといってもそんなに深い傷口にはならないのだが、これを繰り返していくのかと思うと否応に気を使ってしまう。やさしさということばのもつ意味と物心ついてからずっと格闘しているようにも思うが、この自己内省的な訓練は、ちょっとした能力与えてくれているようにも思う。具体的に言うと他人の心の喫水を指でなぞって感じることがある。これは心地が良い場合もあればとても息苦しいこともある。容赦なくそれは感じてしまう。

 

池袋から電車で10分ほどの私鉄の駅から改札をでるとすぐある商店街を抜けて右へ。回り込んであるやや古めのマンションに引っ越し先をきめたその女性は、契約と引っ越しの合間に私を呼んでくれた。床が絨毯の部分があり、清潔感はあるのだが時間の積み重ねを匂わす床をベッドにした。

木目調のラックと間接照明を設置したダイニングで仕事帰りに泊まった際に作ってくれたさんまの煮ものを、半楕円型の机と、その柔らかな室内灯のもと缶ビールを飲みながらつまんだ。とてもセンスのある合理的なひとで、とても歩くのが速かった。人間力はあるのだが、付き合う側がある程度鈍感じゃないと、ひしひしと推察眼を向けられている浸透力の強さが、急に熱いお湯につかったときみたいに末梢をひりひりさせる。やさしさによりかかりたいからとあえて鈍感になりながら、生理の終わりかけに避妊をしなかった性行為ののち、しばらくたって妊娠しないねやっぱりと、けろっと言われたときに、凄みを感じたが、血と白い精子の混ざったものをふきとる彼女を思い出すと、ああと腑に落ちた。

 

とても細かな粒子を衣としたオフホワイトの空気に心地よい程度の圧力を感じながら目が覚めたとき、それが湿度と気温と、そして疲労の混ざりあったバランスが程よかったことに気づく。昨晩のお酒はすっきりと消え、隣ですやすやと寝ている妻の顔を見て落ち着くのは事実だった。重たいノートパソコンの起動時間にまた意識は眠くなりそうで、ラインでおはようとまわりにあいさつを入れる習慣はまだメールの時代から高校時代からあったのではないか。と思う。ただ、同じ相手にずっと毎日送り続けているわけでなく、周期的に変わっているのも事実。

 

布や段ボールが、おそらく作られている工場や、加工されているところ、保管されている場所の匂いを吸い込んでいることがある。そんな匂いに似ている。ただ、ほんとにうっすらと女性の匂いもそこにはある。新潟から上京して、従業員5名ほどの服の製作会社で20代前半の勢いを費やす彼女いた。専門学校時代から服飾でその情熱を持っていたようで、忙しい現状の会社でも比較的余裕をもって働いている。当時まだ地上にあった東急東横線の夜のホームは、酔っ払った若い男性陣が、編成の中ほどに設定されている夜間の女性専用車両の時間にも関らず乗っていて、もはや意味をなしていない。そんな姿を笑っている鼻先には、まだ形作っている途中の渋谷の空気が鼻をよぎっている。もっとも、いま振り返るとそのどん詰まりの地上ホーム自体が夏の夜であったことと、酒が入っていたこともあって、湿度のある重たい記憶として振り返っていた。特急で40分ほどか。降りたら横浜にありがちな坂道を下り、新幹線の高架が見えたころにある小さなアパートの二階。白いというよりすこしグレーのある部屋だった。湿度が足りない。肌でいうと乾燥してきているようなそういう白さだった。

翌朝の暑い朝に今度は階段を上るわけだが、ひょいひょいのぼる彼女を見ながら私はゆっくり歩いて行った。すこし汗ばんだ状態で、複々線を上下にしながら四苦八苦したのだろうか、高架になった東横線通勤特急が高速で飛ばす室内で冷房にあたり冷えるのが心地よかった。その後彼女からは新潟に帰ると申し出があり、それ以降は会っていない。酔って一度連絡が来たが、相変わらずひょっこりしたイメージがうれしかった。日本海側の干物屋だったと思う。

 

らしさってなんだろう。多く、一対一の関係しかわからない場合であるため、その女性がどういう社会的な関係を気づいているのかわからない。好意をもって接してきた女性は、20代後半か。それなりに優しく接していたのだがだんだんと要求が多くなってくる。そうするとこちらはそれ以上のやさしさは無理です。と断るのだが、そうはいかないと、傷口をチクリチクリと弄り回すように激しい暴言と社会的交流を破壊していく強烈な性格をもっていた。おそらく境界性人格障害なのだろう。私以外の私の関係性をことごとく壊していき、私自身も内面をえぐられていく。さっきご飯を食べたのにもうおなかがすいているのか。そんな獣がサンドバックをひたすら殴っているようなそういうイメージだった。その時の職場でのしがらみや金銭的な問題もあり、さらにこのようなサンドバッグになっていたことも重なって、一度肩の荷を下ろす決意をしたのを覚えている。決意をしたというか、もう指が勝手に文章を打っていた。そして送信をしていた。もうとにかく逃げなければいけない。そう強く思うために、神頼みすらしていた。

 

ネットやテレビで毎日のようにされる正義を振りかざして誰かを批判する行為。あったこともない人なのに。まだ政治家ならわかるが、芸人にそれを求めても。野球選手名鑑など昔のものは選手の住所すら載っていたが、いま情報社会では、それ自体に価値が出ている。公であるべき自分の情報や時間、行動、そういった自分にとって大切なプライベートが本当は公でありオフィシャルであるべきなのに、それをいつしか隠しながら生きているようになった。

流れで関係を持ったある女性は、すこし胸元が見えている服だったためか想像がつかなかったが、東大の医学部生だった。リュックにたくさん教科書が入っているのを見たときに、紙や布にしみこんだ匂いを感じて納得した。人間力によって相手を口説き落とすと一定期間、温度が冷めるわけではないが、感覚が近くに漂っていることが多い。母親は自殺して父親は俳優だという彼女に、サンドバックのようにやられている女性がいることを告げると、悪くないと思うよ。と私の心に強く進言してくれた。やりたいほうだいやらせていれば自分にすべて返ってくると。胸が小さいことをコンプレックスにしていたため、最後まで下着を上半身だけ脱ぐのを恥じていた。冷房が効いていた間接照明の部屋で、熱を感じた。

 

終電から数本前の東海道新幹線の東京行きは、酒臭い。こんなに数分間隔で走っているのに指定席の並びは取れなかった。缶のハイボールを買って夜の東海道新幹線の通路側の座席に座った。名古屋を出てそのまま新幹線は突っ走るが、少し空中を泳ぐような緩いカーブと、特有のひゅーんという音が、さらに浜名湖あたりは水面を飛ぶようにして走るのがとても気持ちがよい。ただ、いま夜であるため景色はほとんど見えない。となると高速で走るゆえに感じる圧力と、カーブおよび上下動する感覚だけになる。通路側であるため景色は見えず、ただただ、車内の特有の、シートのような匂いとお酒、またおつまみと、多く出張帰りの男性の匂いが混じる。そうして目をつぶるのだが、身を任せる心地よさに馴染んでいく。

朝にはないこころの柔軟性が夜にはあるのではないか。と思う。朝の新幹線で仮眠をとっていると、高速ではしるゆえの振動でふと目が覚めたとき、風景の速さに恐怖を感じたことがある。朝は心がまだ固いのか。

 

重たいどっしりとした湿度と、粒子の細かな熱に包まれる梅雨の朝。

太陽光は雲によってとらえどこのない輪郭をし、認識を阻む。

いつもより40分早くでて、6時台からまた例の遊郭内にあるマンションの最上階に、会いに行く。コーヒーを飲んで眠いながらに汗をじっとりとかいていて、週末ということも会ったのだと思うが、意識がすこし遠くにいる。

淡い青色、すこし紫。そういう色のソファと、同じく淡いピンクと緑のそれぞれのソファ。三つそれぞれの色を買ってしまうところが彼女らしいなあと寄りかかってバナナをほおばっていた。すこし熟れているようにみえるバナナの色が、彼女の日焼けし始めた頬から漂っているような錯覚をさせる。音もなくしっとりと、かつ舌はそれを奥へ奥へと咀嚼させ、度に香る甘みのあるバナナ匂と、すこし焙煎の深いコーヒーを入れていたためにとても心地よかった。となりにみずみずしいグレープフルーツもあったのだが、さほど主張してこない。耳の後ろあたりから柔らかく香る眠たさと、柔らかい皺に綿密な意識を、眠気が強いことをいいことにうつつと満ちていくスープをつくっていく時間に連想した。

 

地理的には湯河原駅は熱海より手前なのに、熱海のほうが気軽に行ける感覚になるのは新幹線のおかげなのか。ひっきりなしに発車していくのぞみの合間にひょっこりと走るこだまにのるために中央改札で待ち合わせをしていた。梅雨だというのに適度に晴れた夏の湿度は、昼前の太陽の位置に似て、言い訳ができない心のせかし方と似た詰まり具合を感じる。欲に忠実で元気な人は、小柄で、左側の八重歯がみえる。気軽に行きたいために自由席で降りた熱海駅のホームは端っこで、気が抜けたような夏の空気は潮風を感じながら階段を降りた。こちらには帰る家があるために日帰りで借りたホテルで一通りを済ませ、塩分のきいた熱のこもるお湯は、いかにも熱海らしい。熱い海水浴のようなものだ。いつぞや朝早くに旅館をでていった一夜限りの女性がいなくなった後に一人で朝食がてらビールをのんだファミリーレストランを右手にみながら、私に海に入ろうよと誘う彼女を断る。砂がついた靴で帰宅するわけにはどうもいかない。糸川沿いにあるカフェー建築という昭和時代の赤線建築がとても好みで、なんともあでやかな壁のいろと、モルタルのデコレーションが、こもった畳や、油、少し年齢を重ねた女性の匂いを思い出させる。すぐ突き当りには現代のキャバクラやそういう類のお店があり、どこの女性かわからない画像をやたら大きくした看板がそこここにみられる。橋を渡り反対側には、ひねると温泉がでるラブホテルがあったが、どうにも見つけられなかった。以前小田原あたりに住んでいた、ちょっと家庭の様子が見え隠れするような表情と、会話の際の言葉の口から出る強さと選択が、癖として感じられた女性といったことがある。箱入り娘というより軟禁か。しつけの厳しさが彼女の中に負の空気をもたらせていた。そうこう通時的な思考と、共時的な感情のバランスを保ちながら、海岸近くのコンビニでタクシーを呼び駅に戻った。水割りのウイスキーを片手に、ひとけのない新幹線のグリーン車で甘えている彼女を見ていると、なんとなく心がほどけていた。車窓から見える街灯が、スローモーションと残像をつよく魅せてくるころになると、やや目が赤くなっているのを認めた。

 

東京の下町から埼玉方面にはしる鉄道をともに使っていたため、その路線上の私鉄の駅で会っていた女性がいた。会話をするときの内容や話すリズムが独特で、おそらくイメージをつなぎながら話しているのが、それはそれで楽しかった。同業者でもあったために一度職場を紹介されて、第3者を交えた食事があった。高級なお肉を出す焼肉屋で、二人の関係性を客観的な言葉にもしていないなかどう紹介されるのかと、まるで向こうの両親に会いに行くような緊張を覚えている。で、さて思い出せないのはどういう関係性かに対する答えだったが、聞かれたと思うのだが、うまく思い出せない。緊張感のない季節、おそらく春先だったか、複々線の高架下の道を駅から南下していくと、おそらく急行のとまらない駅ゆえに一件しかないホテルの一室で、わきの下にあるほくろと、それを隠すくらいの長さの、明るく染めたゆれる髪の輝きがあった。

 

東中野の駅で待ち合わせ、それも線路沿いにやや下ったところにあるホテルに行った彼女も独特のリズムがあった。その頃はただそういう行為がしたかっただけかもしれない。それを受け入れてくれる彼女のリズムは、とてもゆっくりとねっとりとした迂回しながらの会話と動きに、意識はおもわずつまずく。同世代の女子の模倣をしている部分と、自らのそのリズムが混在しているために、こちらの会話をしながらできるイメージを壊していかないと中身にたどり着けないことが多かった。それから8年後、栃木に勤務している彼女と在来線のグリーン車にのり帰った。懐かしくなるような模倣のような話し方は相変わらずで、すぎる窓の外の明かりのリズムに気持ちをごまかした。そのようなことなので内容はそっけないことで、本質的な部分には触れることができなかったが、当時の記憶からいくつか抜けていた部分を相手は覚えていたため、別れた後にひとり、反芻しながら過去をつなげていた。

 

だれか他人といると、最初は自分を他人に押し付けて同一視して、そうはいかにことに気づいて認めていくステージが、5年とかそういうスパンであるのだと、ものの数秒でまとまったことばでいわれてから、理解するのは早かったのだが、残像が長すぎてどうも思考が止まってしまった。そんなに単純に言葉でまとめられると、こちらの感情が入り込んでも、むりやり枠を広げる、あるいは馴染んでいく時間や隙がないじゃないか。という反抗的にもならない。幹道のバイパスが、思いの外すんなりと行けると気づいたときに、つかむところがない腑に落ちる繊維質のような触感のものが落ちていく感がある。

 

こぎれいな最近のビジネスホテルで、子供を連れて家を出ていかれてしまった訳あり女性が、こちらは上司と日本酒をあおってから部屋で落ち合った。なにか陰の漂う女性で、たとえば、主張したいことがあっても目線がすこしずれ、会話でも語尾に意識的かわからないが、聞き手が引っかかるようなアクセントを持ってくる。だから、聞き手は受け取る内容とともにすこしねじれた角を触っていることになる。しっとりとした肌ざわりとふっくらとした曲線があるのだが、首元からは母の匂いもある。歯列矯正のワイヤーが愕然とした冷たい物質感を放ち、唇からは溶けて漏れそうな感情と、微熱があった。硬すぎる板は脆い。どこかにエラーがありそうなアプリケーションということではなく、物質的な脆さ。塑性変形するひずみを与えかねないと察知したため、雨の降る朝は、さっと身支度をしたように思う。初対面であろうが相手に対してちょっと深い切込みを入れてしまうことができる。私もそうだしこの女性もそうだった。深く切り込めるために相手をいきなりつかんでしまうわけだが、一方暴力的な面もあるのも事実だし、とらえた意識がまだ熱を持った生成されたばかりの場合、冷やして見えてくるその全体像を冷静に判断しないと、悪気はないのという言い訳をしたくなるようなそういう判断ミスを犯す。

 

同業種の女医はふくらみのある頬をしていて、笑顔がとても素直だった。外房にある実家には毎週末帰っているとのこと。関係をもってからはたびたび私もそちらにお邪魔してはお酒をいただいた。ブランデーをいれていただいて、すき焼きを祖父としたのを覚えている。3階建ての実家はもと旅館を改造したもので、広々としていた。海沿いにシェフを雇っていたレストランを経営し、バリ料理や豪華な海鮮をいただいたことを思い出す。錦糸町から2時間ほど揺られてつく単線の行き違いのあるその駅からは私鉄が発着する。昔は海水浴ではやったのだろう駅前の道をまっすぐいくと港に着く。花火大会やお祭りも参加して、たびたび泥酔していた。どうしてもとても幸せで私のような毒さのない生活を魅せられてしまうと、その相手を認める工程に移行するときに壁を感じてしまうことがある。どうしてなのだろうか。なにかスキーマがあるのだろうか。大涌谷から湯をひいた早雲山のほうに旅行し、仙石原よりか香りの強い温泉に行った。どうにもこうにも、行きの登山電車の車内でおいしそうにキュウリを食べている姿が印象に残っている。それからこちらは結婚をして、下町だが都心に出やすいほうにと引っ越しをしたが、その彼女も祖父を亡くし偶然だが徒歩で2分ほどのところに一時期引っ越してきて住んでいた。一度駅前の居酒屋で飲んだのだが、それ以降はまた引っ越したらしく顔を見ていない。いまもあの素直な笑顔ですくすくと仕事をしているのだろうか。まっすぐな勢いのあるものが海の上を動いた後にできる波が、しばらくたって勢いをなくし、波を打ち消しあうポイントが出てくる。そうすると周囲に波が伝播するわけでなくそのポイントでの上下動だけで波が生き残っているような感覚になる。熱すぎて入れない貸し切りの湯本温泉で、恥ずかしがってでも熱がっていた印象が、今思い返すとそれは静まっていく波を見届けた後の、しっとりとしたとても冷静な感情になれるのが不思議だった。

 

そういえば週末の金曜日に新宿駅から出る桃源台行きの高速バスに乗って、今度は透明の蛸川温泉に向かった。ゴールデンレトリバーのような、きれいな長い髪の毛をしていた女性だった。胃腸を崩していたために意識が外に向かわないまま、夜は雪の降る寒くくらい一日だった。お湯がちょうどよく、胃腸を温めてくれた。循環だが加水がなく、充実感のある湯だった。千葉に子供を夕方に迎えに行く女性は、午後の日の高い時間帯に一室でことをしたのだけれど、どちらかというと愛情による行為というよりか、快感を求めていたのか。20代前半の彼女は神田の鬱々としたマンションの一室でことをしたのだが、彼氏以外のものを受け入れることに危惧していた。こうした小刻みなやりとりが振り返ると過去に強弱のリズムを持たせる。

 

箱根温泉といえどもたくさんの源泉がある。

湯ノ花沢 湯本 箱根 姥子 底倉 蛸川 塔之沢 仙石原 大平台 二ノ平 宮ノ下 宮城野 小涌谷 木賀 堂ヶ島 芦之湯 強羅 芦ノ湖 

KKRのホテルに泊まらないと入れない木賀温泉や、谷の底への急こう配を降りて向かうロープウエイの廃墟を眺めて入れなかった堂ヶ島温泉などがあるのだが、なかでも透明で、お湯のこくと充実感は二ノ平温泉が気に入っている。中でも亀の湯という温泉銭湯は蛇口からかけ流しの温泉がでて、すいており、気の向くまでお湯につかれる。タイル張りの緩やかにカーブした湯船はデザインも秀逸で、意識が溶けだしていくような感覚になる。近いころだと午前中で仕事が終わりひょいと神奈川県の入り口からロマンスカーを捕まえ湯本からバスに乗り換える。達者にバスの並びを、知識豊富なおじさんたちが乗客を仕分ける。亀の湯につかってなにも考えないで体が暖まるまでをまった。昼食を食べていなかったためそのままランチの終りかけのそば屋で、ひょいっとはいってついついひっかけてしまって夕方になる。小田原まで下ってきたところでこのまま小田急で帰るには新宿を通過する元気がなかったため、東海道新幹線に乗り換えた。だれとも話さない一人の行動は、単に誰かと向かい旅行というよりかは旅に近いと思う。そのために記憶が比較的気体のような状態で残っていることが多く、客観的に言葉に整理しないために毎回思い出すたびにやや違う角度からの説明になってしまう。

 

掲示板がまだネットに出てきたころはみな携帯のアドレスや電話番号はそのままネットに乗せていたと思う。大学生になった私が知り合っていた茨城に住んでいた女性は、とても好きでいてくれて、私もそれが心地よかった。その地区に半年住んだこともあったために祭りや登山や、半同棲をして時間を重ねた。ある朝にトイレから出てくると彼女は無言で出ていったが、私がほかの女性との関係があるのを、携帯をみて知ったのであろう。曇り空のやや寒い朝だった。言い訳もできないし当人はすぐに出ていったために、その後はSNSを通して連絡をたまに取りあっていたが、こちらも結婚をしてしばらくして関係を持ったのだが気を許し妊娠してしまった。お金など工面しながら連絡をとり、つわりが旦那にばれないようにトイレで嘔吐しているとの連絡を受け、申し訳ない感情でいっぱいになった。そうはする手術の予定を入れていたものの流産してしまって、二人で名前を付けたのを覚えているし、おそらく誰に言うことでもなく、ふたりごとなのだろうなと思った。そういうことがあってからまた連絡を取らなくなったあと一度、彼女の実家のほうでご飯をともにした。ネットで出会った人とそのあと子供を作ったが離婚をするという。実質別居生活のようだった。私とはかれこれ13年ほどたっている。その時間からは、疲労感もあったのだろうが母の匂いが多少なりとも感じてきた。

 

部活で知り合った後輩はよく慕ってくれた。とても秀才で群れることは苦手そうだが、群れないことによって嫌われたりにくまれたりはしないであろう容姿と対応をするっとこなす。お茶の水を通る丸ノ内線茗荷谷駅の前の大きい通りをいくとコンビニがあって、それを目印に谷へと下る。下って右に曲がってある一人暮らしのマンションに暮らしていた。行くときは夜から朝にかけて。狭い一人用のベッドでこなした。今は静岡のほうで彼と暮らしているという。学校でみていた水色の制服が自宅の洗濯かごで裏返しになって入っているのを覚えている。

 

手の甲から腕にかけて筋を感じるときに右手の人差し指にある仕事でできたまめを触る癖がある。そのころだいたい疲労をしてくる週末はまぶたに軽いけいれんが起きる。つらいというよりか疲労に浸っている。だから、たとえばその前日にアルコールを摂っていただとか仕事でオーバーワークをしていたというような身体状況のほうが浸った際の心地は良い。

基本的には日曜日を休みとして月曜日、火曜日と乗り越えていくと水曜日あたりから感覚が開く。そして金曜日を乗り越え土曜日はだいたいお酒を飲んでいる。外向きの浮上していた間隔は週末にくるむように気持ちが内向きになる。そうして日曜日を迎えて空は曇りなのにもかかわらず電車で一時間くらいの干潟に向かった。気持ちが内向きになる土曜日の夜は地方での仕事のあとに女性と飲んでいたのだが、気分が良くなったせいか、一人の時間でもお酒が飲みたくなってウイスキーを帰りの車内で飲んでいた。バーボンかスコッチかとなったときにバーボンの華やかさはちょっと似合わない。と内向きになったときに感じたのはスコッチのほうの熟成感だった。そんなことがあった翌朝だったので、干潟に行く途中におなかがすいたと昼過ぎからやっていたお寿司屋での一杯のビールが胃腸に回って、急に眠気に襲われた。梅雨の時期の曇りの日の車内はすいており、冷房が効いているせいか回ったアルコールを冷やしてくれた。つく頃には冷めており、干潟までの商店街を歩く。昔は巨大な遊園地だった名残として残っているバラ園を目指し、当時はなかった高速道路をくぐる。商店街は当時にはなく、最寄り駅がなかったために支線を伸ばしていたそうだ。現在は駐車場とその残りは草地になっている。後で調べたところその廃線跡は、線路に沿って土地が売られたために、支線が本線からずれていくカーブの部分には、そのカーブに沿ってまがって建物が建っているようだった。当時の航空写真と同じレイアウトのバラ園は、ところどころに女性の像が設置されていて、土台が何回も塗られた厚化粧をしたピンク色をしている。おそらく当時からあったのではないかと思ってしまう。

3割ほどしか咲いていないバラを一通り回って出口を出て、航空写真でみるにジェットコースターが上を突き出して走っていた干潟のほうに歩く。海とは二本の水路でつながっている干潟は、満潮と干潮とで生きている。重たい湿度の高い空気は塩臭さを含んでいる。カモやサギ、トビハゼカニが悠々と生きている干潟はショーケースというには大きい。遠く干潟の一部を高速道路やJRが横切り、周囲に平成初頭にみられたような団地やマンションがそびえたっているのをみていると、なんだか生きたジオラマに立っているような気分になった。雲行きが怪しくなってきたとふと気が緩んだ瞬間に、結構な豪雨に見舞われ、足元はぬかるんだが、歩道にあった木の下で妻と雨宿りをした。心なしか我慢の時間ではなく、こころのほぐれるような緩んだ隙間にしみこむような、そういった雨であったのだが、木の下にいたことで強く降る雨とは壁を持っているようで、音も反響し、かつ視界には豪雨の中でも悠々と食事をしているカモたちがいたからかもしれない。15分ばかりしてやんだ干潟では鵜が羽を乾かしていた。

 

サブカルというのか、ロリータ系というのか、ある特定のブランドがすきだという彼女も同業で、常磐線の各駅停車が止まる駅を降りて左に曲がって大通りまで進む。突き当りを左に曲がったところにマンションの買った部屋に住んでいた。自分のことをあまり話さずどちらかというと日々の浅い面白いことイラついたことなど、すこし距離のある当たり障りのない内容をいつも楽しげに話しているため、夜が深くなったときに意外とわたしは彼女を詳しく知らないことに気が付いた。大晦日の夜に二人でお大師に向かった。案の定寒く、支線を降りて参拝の列は行列だった。ただ、列で並びながらも出店の出す熱や、まんじゅうを吹かす蒸気といったもので温かさはあり、なにより列になっている人たちが熱燗でも飲んでいるようなそういう温度感でいるために、そんな寒さは感じなかった。すでに年明けをして程よく過ぎたころ、警備員に誘導されて参拝を終了し、多少の安堵で階段を降りた。そこここに明かりのある深夜帯は活気もあり場所柄か若者が比較的堂々とかっ歩しているのが目につく。終電もない時間にしかしなんとなくうちにこのまま帰るものつまらなくなり、実はそのころすでにその彼女とは疎遠になっていたが、昔から地元にあるのにも関わらず初めて入ったやきとり屋の油のしみこんで丸くなった木の机でつまんだのち、なかなか来なかったがタクシーを呼び、終夜運転区間までぬけて、うまく接続があったからよかったものの、車内は疲れて帰る乗客の熱気とだるさを感じながら彼女の部屋に帰った。そのやきとり屋は東京をまわる環状線の道沿いにあるのだが、ラーメン屋しかりだが環状線沿いのお店というのはどこか同じ空気感を持っている。参道の周りにある屋台のようなものに似ているのではないかと思う。人生で大晦日からの年明けは何回経験するかわからないが、印象深い夜になったことは間違いない。しばらくして結婚をして妊娠したとの連絡があった。なにかいつも父親のような椅子でいうと肘置きのようなものを求めていたのではないかと個人的には深層で感じていたのだが、それに見合う旦那さんなのだろうなと感じた。

 

大学生の時に後輩の女の子をつれて北千住のワインと煮込みというキャッチフレーズで、おしゃれな居酒屋に入った。後輩となるとまして20前半で、膝上のスカートは酔ってきた赤ワインの回りも早く、そのまま泊まった。それから温泉がメインの湯河原の温泉宿にいって近くのイタリアンで食事をして、ちょうど海岸で花火があったから見に行った記憶は青春のような酸っぱさがあったし、千葉の山奥の温泉に行った時もほどよく酔ってたのしい思いでしかない。かれこれ10年弱経って性欲のためだけに会うことがあったが、強いて場所を洲崎の中にあるビジネスホテルにした。ここは以前洲崎という赤線街のなかで東陽ホテルといういろいろな空気感を背負ってやっていた建物で、いまは大手のアパホテルが回収しているが、改修して運用しているために当時の空気感は残っている。

いつからか赤線街というものに興味が出た。特にカフェー建築という、戦後、RAAが立ち上がったころに赤線街に乱立した張りぼてのような見た目だがお茶屋さんということで運用していた建物で、扉が斜めだったり、手すりが斜めだったり、豆タイルを多用している、また窓も特徴的で、外壁の塗装も胸をつくものがある。とても妖艶な建物やシックな建物や、とてつもない空気感で見るものを圧倒させる。今のシステマチックな建築物とは全く違う。

改修されたそのホテルは、壁面の隅や床、あるいはエレベーターに当時の趣を残していた。また扉を開けるとすぐベッドがあるという昔のラブホテルのような作りも気に入った。初夏だったと思う。

 

研究室の打ち上げで大学近くの今はないイタリアンで食事をした。評価の高い街のイタリアンで、基本的に暖色の室内で、白ではなくクリーム色、茶色ではなく焦げ茶色、緑ではなく深緑といった色にコクがあるのではないかというくらい、長年の使用感も混ざって感じる室内だった。おそらくずっと作ってきたのであろう味わいに自信と強さを感じる料理を、

比較的若めの白ワインでおいしくいただいた。解散後近くでホテルを予約してあったため、向かった。すでにコースを食べていてからのロゼワインは結構まわったように思う。薄暗い部屋で一緒にいた彼女は社会人から学生になり今は同業だ。改めて二日酔いの私を助手席にいれて臭いと笑われながら群馬県の温泉に向かったのを思い出す。渋谷の個展会場での打ち上げの際に来てくれた彼女が途中で帰宅したものの学生時代からの付き合いの女性と展示にかかわってくれた医学生の女性と3人でその夜は川の字で寝た。下着をつけてないなどとけらけら笑っていた声を聴いて、そのまま眠りに落ちた。翌朝はすでにだれもおらず、炊飯器が不調ということだったが、ばりばりに固いお米を食べて、すでに太陽は上のほうになっている吉祥寺を渋谷に向かって井の頭線にのった。本当であれば朝10時につく予定だったが、とうに午後一時手前の影を作らない太陽の位置が、来訪者に会えずじまいだったことへの申し訳なさにも影を作らなかった。来訪者は個展の会期の頭に訪れて興味を抱いていたようだ。その後その来訪者の個展に向かった。たしか恵比寿駅から代官山のほうに進んでいく途中の交差点をまがって、やや坂を上がったところ。昔からやっているのであろうママさんとこげ茶のつやのあるアンティークのもつ風格が圧力として感じるような空間で、彼女独特なタッチと感覚的な色使いで描かれていた。自分のブランデイングもできていながらたまにテレビに出たりする彼女は、ビジネスにありがちな顔つきや話し方、例えば会話の時の歯の見せ方などがあると思っているのだが、一切感じさせない。ファンクラブがあるから働かなくても定期的にお金が入る。ということばをいつか聞いたが、それはこれから数か月たっての話だった。渋谷から246を三茶方面に向かう通りはどうしてこう世界観が出来上がっているのだろうか。写真関係でお世話になった会社があるため何度かこの通りを歩いたが、行きずりの、しかもいざ向かったら比較的散らかっていた部屋で行為をしたのは三茶の交差点から少し奥に入ったアパートの二階だった。ふと、カメラが趣味だった控えめな女の子も三茶にいた。当時買い集めていた古いドイツ製のレンズを欲しがりそうに触っていたのを覚えている。ふわふわした柔らかいシートをソファにかけて、透明の板の机の上にそのレンズをのせるときは、傷つかないものかとひやひやした。会話中の突っ込み方や、ためてから笑う笑い方は特徴的だった。かたやいきずりのほうがお土産としてどこかにつけまつげをつけてきてしまったことに気づいた。そんな三茶の記憶は246を渋谷から向かう頃にはまだ匂わない。来訪者の彼女の部屋は渋谷からタクシーでワンメーターの距離だから、酔った後はタクシーで、そうでないときはあるいは朝は徒歩で渋谷駅に帰ったが、どうにも車線が多すぎてわたるということが億劫になった。都会の一人暮らしの生活だった。良く騒ぐ犬を飼っており私の下着をやたら咬むのだった。時間があったのか、前日夜に向かって泊まった翌朝にみたテレビでチキン南蛮をやっていて、その日の昼にはもう彼女が作ってくれていた。どうしてこうもおもてなしてくれるのか不思議でならなかった。なぜだか彼女の部屋の窓のカーテンは開ける気になれず、おそらく目の前には高速があるのだが、曇りの日の朝などはベランダの緑がすこし開いたカーテンの隙間から見えており、近辺を高速で車が通過しているとは感じられない光景だったと思う。拠点を四国に移すと聞いたとき私も来ないかとさそわれた。まだこちらは東京でやることがあったため断ったが、その後距離がおのずと空いた。予定が空けばこちらは違う感情を日常に織り込んでまた生活するのだが、非連続的な周期で会ってはいた。行為を終えるとお互いなにか感じたようでそれ以降は会わなかったのだが、最後は新宿の西口の高層階のレストランでご飯を向こうの誘いでしたのを覚えている。その際にもらった誕生日プレゼントの手袋は奇しくも私の手には小さく、いまは嫁がしている。女性の香りというよりもどこか生き物の香り、また絵の具の香りがしていた。絵画制作をしているためかところどころ爪に塗料が付着して、そもそも肩が張っているようなそういう信頼感があった。

 

高速鉄道にのればそんな遅くにはならないのだが、横浜にはすこし早くついてしまうと思ったために考えて、それなら南へ直通する鉄道に茨城県にいるうちからのってしまおうと思ったのは時間的には失敗だったが、この工程変更のために気動車に乗ることができて香りをかぐことができた。いまだ朝は旧式の気動車をどうにか改造した形式も走っていると知っていたが、夜にはさすがに車庫で寝ているか、と新式の車両だった。2両編成か1両編成の運行スタイルにもかかわらず複線区間もあり、立ち客がでるほどの込み具合。空気輸送などと国鉄時代に赤字路線を整理していた時代揶揄された言葉があったと思うが、対照的に生きた鉄道路線だと安心した。乗り換えた常磐線から東海道への、東京と上野の間の仕切りを解いた鉄道を使うことは非常にストレスがなく気に入っている。当初は始発駅が通過駅になると危惧していたが、1970年代の鉄道雑誌にニューヨークの地下鉄のように循環路線に中・長距離列車が乗り入れてくるべきだ。といった文章を思い出した。大阪環状線はそうか、乗り入れてくる路線もあるのか。と対比して東京のとてもしっかりとした山の手線の厚みを感じた。疲れもあったのだが関内の彼女の部屋であけたワインは二杯ほどで酔い、時間も遅かったため就寝の手はずを踏む。シャワーを浴びて整った彼女はまた柔らかな皺をみせ、身体に柔らかくコンパクトにまとわりついた。7時台のそのあたりは通勤で街に来る人たちが、日差しがまだ上がりきっていない夜明けの味をそこここに残した街中を、住んでいる土地の味を歩きながら混ぜていく。こちらはそれとは逆方向に駅に向かっているものだからすれ違うたびに種々の味覚変化をマスク越しに楽しむ。

 

東京を震源地とした感染が広がっている。そのため東京から地方および郊外に向かう身としてはなにか感じるところが出てきた。特に第二波では、スタッフのほうから東京からくる私と接触したくないという考えが出てきた。そのためスタッフに濃厚接触にならないように隔離して仕事している。なにか第一波のころから引っ掛かっていた部分が見えてきたのだが、それは当事者と傍観者の違いなのではないかと思う。対岸の火事のような視点で見ているエリアに当事者が行くとなにかしら心情のすり合わせが必要なことが多い。当事者のエリアにいるうちは感染していないが極力防ぐような行動をとる必要があり、傍観者のエリアに行くときは自分が感染しているという考えで行動するという、マインドセットの切り替えが必要となった。日々刻々と考え方が変化しているいま、おそらくみな立ち止まって考えることがなくなってきているように思う。特に毎日発表される感染者の数字は、引っ掛かっていたことがクリアに気づけるようになるまでの日数を要しているように感じる。

 

二回目。同じ事柄を1週間後に文章にした。

どうやら東京をもとに感染が広がっている。映画のような本当の事実だが、これは東京に住んでいる人を当事者とさせた。それ以外は傍観者の視点を国民に与えているのではないかと思う。東京に住んでいると毎日の陽性者数やこまごましたニュースがはいる。政府は東京を除外した政策を、愚策だと思うが発表をし、経済をまわしたいと必死なのがうかがえるも、意外とお盆のころの東京の当事者のマインドセットは自粛のようで、安心を覚えた。心持ちとでも訳すのだろうか、東京に住んでいる人というタグを張られているため、傍観者エリアに行くとそれをひしひしと感じる。区別はされるべきだとはわかっているが、その精神状況はどのような考えで持っていけばいいのか難しい。理論でわかっていることというよりか、なんとなく感じ取ってしまうもやもやとした黄色かグレーがかがったそれを掌に受け取ってしまうのだった。対岸の火事ということばは、傍観する特権を表現した見事な表現だと思う。この傍観していた人間と、当事者の人間が混ざるときにあらかじめすり合わせを行っていないと、比較的なまなましいものが露呈しているように思う。

 

 

予定より30分ほど早くホテルにチェックインして、運び湯だがぬめりけのある、適温の温泉に浸かる。先日ほかの女性泊まったビジネスホテルだが、今回は別の女性だった。癖のないような配色とアクセントに自然の緑を壁に配色するエコ感をだす内装は、たしかに重たくもなく居心地が良い。部屋も古すぎず配色も薄い色が多いのでストレスを感じにくい。その後汗をかいた後の彼女は外出したくないといっていたがどうしてもお酒が飲みたくて、近くの居酒屋ですこし酔いが回るくらい飲んだ。そのころには彼女も楽しかったらしく、しかし部屋に帰るとすぐ寝てしまった。翌朝、案の定すこし水分が足りない身体に気づいたがけだるく、しかしそのまま出勤した。後味がさっぱりしていてどうしても残らない。強いていうなら汗のにおいの記憶はあった。すこし早めに午前中の仕事を終えてバスで30分ほど県内を北上する。梅雨明けの湿度がある暑さであるが、バスの車内は心地がいい。うとうととしながら時事ニュースをラジオで確認して、午後の勤務先へ。その後はまたデイユースでとったホテルで別の女性と落ち合った。

 

男子高校生だったころの教育実習の先生との連綿としたつながりは、こちらが既婚者になっても続いている。だいたい一年前に埼玉県の奥にある神社に一緒に行ってからまた一年がたった。中身を気持ち少なめにした仕事かばんを引っ提げて出てきた私は、なんとなく外の空気がお盆の時期にあるすがすがしさと朝の空気にほっとしていた。同じように池袋駅で落ち合い一年間の出来事をざっときく。元教え子と付き合ったが、おそらく精神疾患をもっていて、父親もおそらくDVだった。そういった彼氏とその家庭から警察の手を借りて逃げた一年だったようだ。時たま私のSNSに彼女からの連絡が来ていて、なんどかやり取りはしていたため、その流れをなぞるようにはなしを当てはめて、おやちがう?という部分は聞き直して修正をした。渦中の当時はまるでねずみ講か宗教の中にいる人間をこちらに呼び戻すように訴えかけたが逆効果で、最終的には権力のある第三者、警察が介入して彼女は現実に戻ってきた。一年前の帰りの西武特急でその彼と付き合ってみるかどうか悩んでいた彼女に、付き合ってみたら?と提言してしまったこと、そして神頼みをして帰ってくる車中での話で、それがどう転ぶのか、取り返しのつかないことになるのではないか?と一年の間考えている時間が多かった。ただまたこうして早朝の池袋駅で会えたのは正直なところ安心した。特急車両は新しいタイプに変わっており、それもまた安心できた要素かもしれない。彼からの暴力やことばによるハラスメントを受けていたころ、逃げ出せるチャンスがあり、こちらとしてはいてもたってもいられずに相模原の仕事終わり八王子に抜けて、彼女と会えないかと思って連絡はしていたものの、結局会えなかった思い出がある。感染症の第一波のころだったために、待つといってもお店はすぐ閉まるし居場所がなく、栄えていないほうの駅前のロータリーにある丸いベンチで時間をつぶしたのを思い出していた。特急はそのままお盆なのにもかかわらず空いている特急は飯能で向きが逆になり、緑の多い山岳地帯へ進む。進行方向と逆というのはなかなかないなあと思うが、実に緑の中に吸い込まれていくようで不思議な気分になる。トンネルに入るとリズミカルにやってくるトンネル内の蛍光灯に気を取られる。接続で時間がなかったが、神社まで向かうバスだけは混んでいて、ぎりぎり座れた。私の場合、感情は言葉にするものではなく、もっとエネルギーの高いもやもやとしたどろどろとしたようなものに例えて感じている。それがうまく言葉にはまれば表出するしそれがなければそのまま、ことばにならない感情はいくつもの空気や色、時間軸をもってしかも同時に数種類はいくつもやってくる。自分のそういった感情以前の感覚をもって生きていしまうことが日常的であって、そういった甘い認識力のまま他人の意識を感じている。だから他人の感情を察知することは比較的たやすい。一年ぶりに会っても神社につくまでの3時間ですでにその認識できない感情たちは、彼女のもつ認識できない感情と合流をして、少しずつ乾いていた小川に水が流れていく。さほど流れは速くない。どちらかというと流れ出す水がそこここの小石や木々を確認しながら領域を湿らせていくような、そういった速度だった。暑さが感情を干上がらせるため、神社につきご祈祷していただいているときに私は入り口あたりで涼んでいた。鳥居をくぐって右側にある屋根のついた木造のベンチはお気に入りで、一年に二回くる(わたしも後日ご祈祷していただくために来るわけだが)と必ずこのベンチに座る。艶消しの木のベンチには緑の匂いが染みついており、山の上から神社を漉いてきた風を浴びることができる。その帰りがてら地元の居酒屋でシンプルな鶏肉をやいた料理を、これまた炭酸のぬけたハイボールで流していたが、このころにはとくに感情を固めなくてもつながっているだろうなという感覚に浸かっていた。とても心地がいいのだが、どうしてもその後帰宅すると流れていた小川は必ず途絶える。そしてまた一年か、渇いていく。乾いていくときに起きる物理的変化に対して心は疲労するものらしく、帰宅してからいきなり酔いが回ってしまってまだ21時だというのに寝てしまった。

 

意識が萎縮していく。関心を殺していく。そうして無関心な領域に持っていきたいのにおしてもつぶれ切らない感情はその蓋の下にまだある。そうしたイメージがまとわりついて、見破られるのが怖いのか、目を合わせられないときがある。どうせなら夏の終わりくらいであればまだ気持ちは楽なのに。と熱いアスファルトに乾ききった土が混ざっているあたりに目をやった。

 

大学生のころにいまでいうとフッ軽というのか、さまざまにつてを持った女性と知り合った。その後一流企業に就職するのだが、まだ大学生のある夜に突然連絡が来て泊まることになった。新宿の隣町で部屋に向かう前にどこかで軽くイタリアンを食したあと、吐息がアルコール交じりの状態でデザイナーズマンションというのか、部屋に向かった。赤い丸い手すりのある階段を上がって二階だったか、コンビニに歯ブラシをその後買いに行った覚えがある。汗のにおいがなんとなく残っている夜で、ソファで事をした。翌朝、何事もなかったかのように座っていた。あまり感情が出てこないのだろうか。そこが読み取れない。ことさらその最中の記憶がないのは、酔いのせいかわからない。ただ、通して感じるのはおそらく好意があったのだと思う。転職で大阪に行ったのちまた東京に帰ってきたときにも、私は既婚者となっていたが家庭的な焼き鳥をつまみにして近況を聞いた。生活は比較的表裏のないような感じを漂わせながらも、ナイーブなかたまりをどこかに携えている。そんな印象であった。天性か、楽しく仕事ができてしまうし、みなうまくやれているところで、帰宅すると一人の空気を出しているのか。ただそれをさみしがり屋というのか。大阪に彼女が住んでいた時にどうせお互い三が日は暇だからと高山の温泉に泊まったこともあった。こちらは新宿から高速で松本に向かい、そこから行き違いすら難しいような道で上高地を越えて飛騨高山に向かう。そこからJR高山線で南下した小坂という町で温泉に泊まった。天然の炭酸泉でぬるく心地が良かったのを覚えている。翌朝あまり詳しくは覚えてないが、特急ではなく普通列車で名古屋に降りた。ちょうど帰省ラッシュにあたり激込みの東海道新幹線に乗ることとなった。時間を合わせて、静岡でひかりを下車し数駅は夕方の静岡駅から出る地元感のある普通列車で揺られて富士のほうに向かった。静岡の企業に勤めている彼女とは、彼女から東京に来て泊まったり、あるいは私が静岡に行き泊まったりした。3か月ほどか。すらっとしているのに愛嬌があって賢そうな彼女はもうすこし都会に住んでいてもいいと思うが、海沿いの商店もない駅が最寄りだった。研修で東京駅近くのホテルに泊まった際にこっそり私はその部屋にころがりこんで、狭いシングルで泊ったことがあったが、その後すぐにそのホテルは老舗にもかかわらずすぐに廃業していた。記憶が比較的まだ生もののうちに記憶の生じた場所が現実からなくなってしまう虚無的な感覚を、場所と記憶とを結びつけたくなる性質が私にはあるのだと気づかせてくれた出来事だった。ある日付き合う気がないと悟った彼女は突然別れを告げてそれ以降連絡はない。新宿のアパレルで店員をしていた妹さんは元気なのだろうか。モンクレールの暖かそうな黒いジャンパーを羽織って、細い体を温めていたのを思い出す。

 

東京大学を出て丸の内OLをしている彼女は、実家が富山で酒造をやっている。なんとも言えないギャップを覚えた。仕事上がり東海道線グリーン車の二階に乗り込み、帰宅するサラリーマンの傍らビールと駅弁としばらく盛り上がった。おしゃれなのか黒い帽子と、まだ20代半ばだったと思うが、モノトーンの服だったように思える。今思うとその服装でOLしていたとは思えない。宿についてひととおり楽しく戯れて、お互い酔ってしまって朝を迎える。若かったからか性欲はあったため、朝の眠気もあったが事をした。横になっており彼女の頭のさらにその上のほうに、昨日かぶっていた黒い帽子があり、小顔の彼女にはその帽子は少々大きいのではないかと、チェックアウトまでの時間で考えた。その日はもともと彼女には別の用事があったため朝のうちに別れる予定だったが、なくなり、昼前の湯河原の海を眺めて、感慨にふけて、暑いねなどと浅めの話をしたが、どうしてもお酒の力も欲しくなってしまい、となりの熱海の町で昼過ぎから酒をあおった。東京についた記憶は今ではもうなくて、それ以降連絡は途絶えたまま。それがより一層に断面をレアな状態でみせてくる上質なお肉ではないけれど、記憶にはまた血流が流れているかのような温度を持っている。

 

写真の個展に毎回来てくれていたすらっとした、猫のような長髪の女の子がいた。色が好きだといってくれたのを覚えている。大学終わりにお茶の水の裏側になる湯島のこじゃれたバーで会ってそのまま池袋に向かった。西武線沿線に住んでいたと思うから、私は彼女のうちのほうに送ってあげようとしたのだろうか。だけれどまだ飲みたいとのことで二件目に行ったが、この段階で終電を落とした。池袋は北口に休憩で3000円の撮影でつかっていた、シンプルなシテイホテルがあったのを思い出し、そこで泊まった。

 

ある日性病に感染していた女性がいたため、私と嫁も検査をした。どうもこうもいいくるめて他の女性とは遊んでいないとしたうえで判定が私は陰性で嫁は陽性であった。こうなるとわたしも、陰性だから今はいいが、妊活をしていたことからすると十分に感染していた可能性は十分にある。となると、時期的に可能性がある女性たちに言わなくてはいけなくなってしまった。意外と覚悟はあっさりとできたもので、淡々と、ラインで送ることができた。好き嫌いがはっきりしてきたと嫁に言われて、そうなのかなあと思い返してみると、好き嫌いがはっきりしているよりか、覚悟がすぐできるようになったのではないかと思う。ここでも傍観者から当事者になるとそれぞれで対応が異なった。総じていうと私の性欲がさらになくなった気もする。そんななかすぐ看護師の彼女はとくにわたしにネガテイブな面を見せずに検査を受けてくれて陰性だったとのことで、改めて会うことにした。ちょうど温泉に行きたかったこともあり、山形での勤務を終えてすぐにビールを飲み、福島で下車をして、新幹線の改札をでて右側のベンチに座って待っていた。そんななか横浜のマンションの最上階に事務所を構える女性と比較的並行して会っていたが、どうもそちらには私が合わせている部分が大きいと気づいた。これは好きか嫌いかというと非常に難しい。だれしもしかし、好きな人であろうと、会うときになってちょっとしたメンドクサさを感じるのではないか。私は会う当日に、会う人とのやり取りが減る習性がある。それはなんだろうか。めんどうなのか。そうしたことを繰り返しているうちに昭和の古びた温泉で、実は風呂上りに廊下にゴキブリがいて、隣の部屋のドアを掻い潜り侵入していったことは隠し、白ワインに浸って就寝した。

 

素泊まりだから朝食はなく、睡眠を満たした後に性欲を満たし、まだ夏の暑い福島の温泉地を散歩してたどり着いた朝からやっているカフェはお休みだった。通りがかりにパン屋があったのを思い出し、そこでいくつかパンを買った。帰りがけにもっていた温泉地の案内地図が風で破れ始めているのをみつけた亭主が、新しくくれたが、その彼女は交換したいとなかなかない選択肢を亭主につたえ、空気がすこし笑ったように思えた。この才能はなかなかないと思う。けろっと本人はなんで?と言わんばかりの顔をしたが、平日朝の温泉地の、もと赤線の目抜き通りのはずれにある、扉を開けたら所狭しとパンが置いてあるに近いそのパン屋で、よそ者を相手に固まっていた感覚が一気に流れ出す瞬間だった。予期せぬ感情の溶出は多少なりとも屋外の暑さにまた固まることになるのだが、幸福感を感じるほどで、しばらくは感じてなかったのでなかろうか。その後温泉地から30分弱の私鉄でパンをほおばりながら、また転倒してしまった婦人に気遣い絆創膏を自然と貼りに行く彼女をみて、また気持ちは溶ける。看護師だから自然とできるのかとも思ってしまう部分もあったが、戻ってきた彼女の顔をみて、そういえばこないだ彼女本人も自転車で転倒して絆創膏を顔に貼っていたことに気づいた。幸福と笑いと。本当に心が温かくなった。福島駅についてそれをみていた他の乗客からありがとうと言われている彼女は、してやった感もみじんも感じさせず、私もこのあいだ転んだのでと笑いを誘う。二両しかないホームでは改札口までが近く、幸せな会話を眺めるのもすぐ終わってしまった。帰りの新幹線ではすやすやと寝ている彼女が記憶に残る。実はその2週間後に、朝の患者がキャンセルでゆっくり来てくださいと言われ、私は取手から朝しか走っていない旧型の気動車に乗るために迂回して職場に向かった。ちょうどよくそれは入線していて、扇風機が全速力で回っている。ラッシュと反対方向のためすいており、一番先頭の3人掛けほどの椅子に座った。向いに、露出の多い若い女性二人が乗ってきた。昨晩の空気感を引きずっているようにも見え、酒は引いているがまだ体調がよくないようにも見える。そのためかすぐ睡魔に襲われて寝てしまった。気動車は走り始め、旧型であることと線路がよくないために上下によく揺れる。それでも彼女らは熟睡し、最寄り駅ではっと目覚めて急いで降りた。スマホが椅子に一つ。視野の左側にあったがすでに扉は閉まってしまっていて、私はスマホに目をやっていたためスマホを手にして、窓を開け、渡す行為もできたのだが、そういった気持ちを持てずに殻に入ってしまっていた。幸い運転席の後ろだったため彼女らが座席を見つめるのを気づいた運転手が再度ドアを開けて万事休すだった。対照的にわたしはどうしてこういうときに動けないのだろうかと本能的な部分での感情の動きを責めていた。おそらく看護師の彼女ならそのようなこと当たり前にすぐに行動に出ていただろう。偶然にキャンセルが出て私がその路線を使ってかつ乗客がスマホを目の前で忘れる確率は大したものかとも思うが、こういうたぐいの偶然性は神様のレシピだと伊坂幸太郎から学んだ。振り返ればこういうようにしか生きられなかった時間の流れが生まれていることに気づくときがある。どうしてこうなったか、隙も入らない偶然性と無意識に決定して時間を歩んだ道筋が、一本しか見渡せない。

 

言語以前の感情の世界で考えていると気づき始めて、いまは他人の考えや感情をなんとなく接するうちに嗅ぎ取っているのだとやや確信めいている。以前はそんなことないよと自らを消して対応していたが、やはり感じてしまっているのかと思う場面がある。打ち消すことで相手の感情を変えることができるかもしれないが、変えたい相手ならすでにそうしているか。と進んで別れの方向へ、感情で言うと無関心へ追いやる機会がある。ちょっと前まで触るとひんやりするすべっとした木の板の机には、傷がつかないように透明なシートが張られ、その触感を感じることはできない。そうしたようにちょっとした3週間の間の感情の変化が、どうにも私の感情にふたを作り始めている。相手もそれは感じるところがあるのか、二週間たってからはそれを如実に感じ始めた。面倒。という感情に追いやることで無関心を作っているようなそういう構築をしているように感じる。会いに行く通常通りの出迎えではあるが私も気持ちに皮を感じた。それは自分から作っているのか、瞬時に相手からにじみでた薬液に反応したのか、それはわからない。皮がなんなのかというと、疲労感とそれから身を守るための厚みは薄いのだが結構しっかりとした透明なものではなかろうか。恋愛の始まりのころは相手と自分がどれだけ感情が同じになれるのか、一緒にいる時間がとにかく楽しいと思うが、それが過ぎたときに違いをどう認識していくかだと思う。若いころはそれをマジックが切れたころのように思っていたが、どうもそういうことらしい。

 

フレーミングということばがある。認識をし直すといった意味合いだ。なんとなくだが特に前向きな人というのはこのリフレーミングした際に考え方を刷新しているのではないかと思う。あれだけ感情を持っていかれていた横浜の最上階に住む彼女は同時に経営能力にも優れていると思うが、そのリフレーミングがうまかった。と思っていた。ただ、再認識する際になにか漏れ出ている部分があることにもすこしずつ気づいていた。たとえば砂を救ったのだけれど多少は、一部分が漏れ出て、感情は冷え固まる前に葬られていく。だからなにか本人の前向きさに虚無感と影が少しある。本人は感じていないのかもしれないが。行きつけのお店でビールを飲んでいた際に酔ったお客に手相占いを見てもらった。みてもらったというか見せてほしいといわれたのだった。以前北千住のしゃれたカフェで占い師の女性と話したことがあるが、予想通り席に来た酔った占い師も個性が濃かった。二人の柔らかな時間の上に乗っかってくるような圧力だった。そこで二人とも似ているわよ、繊細で。と告げた。彼女はそれを否定したが、こちらはそれが腑に落ちた。その虚無感と影は生活のどの段階で回収しているのだろうか。私といた時間に回収していたのだろうか。会わなくなって、あるいは関心がなくなってために気づいた面であった。

 

夏も終わりに近い暖かい日は、さて秋の始まりだと思わせる空の雲の速さと透明感、また風の温度に皮膚が固まるときの、対比的に必ずといってもいいほど思い出す側近の記憶だ。

 

高校時代の教育実習の先生からの、「ひとりのうちにまた」ということばが引っかかっており、すでに両親ともを知っている私は、その日山形駅に向かうタクシーをバスターミナルに終点を変えてもらって、仙台行きのバスに乗った。小一時間の高速バスは毎週のようにつくばから乗っているのだが、始発も終点もなじみがない街であるために、家に帰るためにのるのとは違うためか、心が乾いている。帰るというときに電車やバスに乗っているときに、心が潤っているような気持ちが相対的に認められた。山形県宮城県の境目の山岳地帯をくねるように、しかも高いところを走る。カーブした高い陸橋を超えて次の山のお腹にあいたトンネルに突っ込んでいく。日暮れから宮城県に入ったころには夕暮れとなり、トンネルから上がるといきなり市街地にでた。関東平野の首都圏に慣れている身からすると変化が目まぐるしい。身軽でよかったためにさっそうと知らない土地の繁華街を歩くときはいくぶんだいぶ遠いところにいるようだった。少し腰を痛めていたが白ワインの酔いで鈍感になったまま朝を迎えた。すこしの交わりをもって、まったりとした時間が過ぎていくのを感じながら右足に冷や汗が、湿度をもって感じていた。

 

振り返って気づくこととしては、非常事態宣言を出すときに国民が政府に出させたような感があった。あのころを考えてみると、健康な自分がいつ感染するかわからない恐怖や不安で、自分以外の他人をどう制御するか、社会が止まることよりもそちらが強かったように思う。その際に他人の制御を自分から行うのではなく政府という強い力で外的に抑え込む。これに頼るという意識の流れは、個人という当事者の立場から傍観した社会を束ねる空想のポジションから制御をしたいという思考の足りない行動と、その後に自らの社会の制御に巻き込まれていく当事者であることとのギャップを作っていったように思う。専門家の意見を仰ぎたくて必死だったように思うし、いまもどうしていいかわからない場面が多い。どうしてもっと勉強して考えなかったのか。そういったところで依存してしまう便利さと、思考を止めてしまう危うさを思う。

 

SNSスマホによる便利なコミュニケーションが侵食していく部分をもっと考察しておく必要があると思うのだが。世界一の民主主義大国の大統領選を見て思った。そして今日、その方は例の感染症に感染していたことが判明した。

 

木でできた木馬はもはや掘ったひとの魂を感じる。あるいは、50年を超えて手入れされている機械は、もはや魂がこもっている。このことは、今は当たり前のように3Dプリンターで作れるようなものとの違いが、まだ若い人でも感じ取れるのではなかろうか。味が出るということばで言えるのかもしれない。どうも人工物に魂を感じていると私は涙がでてくる。だからこの、生き生きとした人工物を覆いかぶせるような緑にも写欲が湧く。ひたすらに毎日目的地に向けて走り続ける鉄道を0歳児から好きだったようにいまもそれは変わらないようだ。したいな。という欲というのはどこからくるのだろうか。大切にしないといけないなと気づいた。

 

進路予測が難しい台風がきていた。わずかながらの暖かみですらない、冬の色味の濃い雨が、台風によるものだといわれてもどうしてもイメージが合わない。神奈川から富山へ行く途中の長野のホテルで前泊することにした。最終ではまだ富山まで行けるのだが、どうしても仕事と関係のない土地がらで気持ちを休めたい有機的な感覚と、せっかくの機会だからとあえて長野行きの新幹線で終点まで乗るということとした。終着駅までのるということは、通過駅で降りるよりも安易にできることで、それは東京駅で降りる場合、上野で降りるのとは違った安心を持って列車に揺れている。20時ごろ長野駅に着いたころには、雪の香りを鼻先にかすめている。金曜日の夜だったことは、そのあとせっかくだからと窓を開け長野の空気を吸い込むと階下から若い声が絶えず聞こえていたことから気づかされた。翌朝、東京からの始発の新幹線は定時に出るか、あるいは遅れるかわからないため長野始発の新幹線を選んだ。つくには早すぎるが、なんとなく目が覚めてしまった薄暗い長野の空を眺めていたら、まあいいか。というゆるみを認めた。そうして富山での仕事を終え、感染症も落ち着いたのかツアー客の団体をすり抜けて金沢へ。在来線で京都に向かう。福井のみにしか止まらない速達タイプの特急で日本縦貫線をひた走る。トンネルが多いのは仕方のないことで、聞いていたラジオはたびたび途切れ、仕事をしようとしたPCも揺れるためにタイプミスが連発した。もういいか。と昨日長野で買ったウイスキーのミニボトルをそのままのどへ流し込む。長距離のトンネルで走行している際に聞こえる警戒音や徐行を行いながらもひた走る高速の列車は、揺れとともに車窓は暗闇だが圧倒的な威圧感をもって感覚を受動化させる。ところどころで高速ですり抜けていく屋根のないホームでは、そのあとに吹く列車通過時の風をどれだけ後に回しているのか、考えたところで実態はずっとつかめないむごさを覚える。急に音が静かになったと思えば湖西線で、緑一色に塗られた国鉄型車両を一瞬にして追い抜いた。山科のトンネルをくぐると鴨川の鉄橋を超えて速度を落としホームに入る。そのころには雨はまったくなく、温度の名残だけであった。カフェー建築を改築したホテルに泊まった。どこまでも光沢のない漆黒さをもった香りを漂わせる室内と、固めのベッドに横たわって、寺院が隣にあるのだが、すり抜けてきた風を感じながら朝まで睡眠をとれた。夜飲みすぎたのかあるいは疲労なのかよくわからないのだがむくんだまま鴨川沿いを歩き、コンソメスープのしみ込んだカブのスープが本当においしかった。さほど大きくはないであろうことを予想させるスープのしみ込んだカブの繊維を舌先でほぐしているうちに、辛みではない甘さのある根野菜のこくだけがコンソメと混ざり合う。手土産に出町ふたばの豆餅を買い求め、そのまま京阪電車枚方に向かう。道中の風景は仕事で訪れていたこともあり女性に会いに行くというちょっとした浮つきをつまみにして記憶を飲んでいた。見ず知らずの都市について地図を眺めるも、北と南がわからず、地図自体も基準の方向がことなっているものが3枚ほどあり混乱をきたしたため、タクシーに乗った。ただ目的のレストランは知る人ぞ知るのようで、途中であきらめて降ろされてしまった。店の前で繁盛しているレストランをしばらく眺めていると後ろから道幅の狭いためにすれすれをゆっくり走ってくる乗用車に気を取られた。曇り空なのは幸いなのかと思ったのは影がないからで、窓から首を出して位置関係は正確さがあるのではないか。ぶつかりもせずゆっくりと走り抜けていった。席についてしばらくったってやってきた彼女は関西のアクセントでたまに聞き取りにくいのはわたしが関東の人間だからであろう。酒が抜けた穏やかな身体で湿度と気温があったために水の入ったコップにつく水滴のようにおでこに湿度を持っていた。年齢にあったデザイン性のある黄色の上着をきていた彼女は、そういえば手土産を買った後に一人暮らしだと言っていた。てっきり結婚しているのかと思ったとは年頃の懸念事項かもと口には出さなかったが、なにかそれを経験したかのような空気感も持ち合わせていた。湿度が高いと髪の毛はくるんくるんになる私は、それを気にしているほど余裕もなく初対面で緊張をしていた。久しぶりだなこの感覚と思うとともに、会話の話題がかなり飛んでいることに気づいた。どうもコントロールができていない。それほど一所懸命になっていて意識が回っていないのか。とどこか笑ってしまうようになっていた。京都駅まで来てくれた彼女を別れ、一気に解放感が出てくる。会っていて嫌いなわけでもなければむしろ好きなくらいだったが、それでも一人になった時の解放感は大きい。会う前にも一種の気を使うときに出てくるエネルギーの初期値のようなものをマインドセットするときと同じように別れたあとにも感じた。それもあってかすぐにくるのぞみではなく15分後ののぞみにして食欲をみたし、睡眠をするために容赦なくグリーン車を予約していた。日が暮れてきたころ名古屋をでて、そういえば名古屋に住んでいて横浜にオフィスがある彼女は、近いのよと言っていたが、とても新横浜までは長く感じた。本当は浜名湖を通過する際の浮遊感も感じたかったんだが、もう夜の黒みに包まれていた。家に着くとすごくのどが渇きだして水道水を浄水器にかけた冷や水を一気に飲み干したのだが、その際にどうも背中に筋肉や横隔膜あたりに張りを感じた。一日荷物を持っていたためだったかと考えると想像がついたが、感染症由来か?などとまた頭の中をめぐりながら睡眠をとったが中途覚醒でうなされてしまった。月曜日はどうもすっきりとしない時が多いなあと思うが、日曜日の甘えをひきずっているのだと鷹をくくってしまったほうが楽に朝を迎えられるか。とすこし笑ったのは深夜だった。

 

なにか、何年も苦労して歳重ねてから花開くまでは苦行の日々だという、今現在の幸せよりか先にそれを求めていた時代から、どうやら、今どのように充足した満足感を得られるかに意識が移行しているように思う。もちろんそれは便利なシステムができそれに依存する日々の中で、先々を考えなくてもよくなった、あるいはより情報が増えてきたことが影響しているのではないかと思う。吉原細見という新吉原遊郭時代の遊女ランキングが、お客の案内冊子になっていること以上に、ランキング化することで遊女たちの精神的支配をしていることに気づく。トップは充足するし、下位は、働く場所も決まりそれなりの仕事しかない。そういったシステムが経済を、特に資本主義の中でジェンダーの区別が独り立ちしていった時代背景を考えつつ、いまはそれがとても異質だと気づくが、当時は当たり前のことだったのだろう。

 

いつから孤独を飼い始めた。いつからか、思い返してもはっきりわからない。ときにそれは黒くなにか形をかえるものとして片隅にいるときがある。理性を支配するほどに成長しているときもあるし、わずかに味がするほどの度合いのこともある。たとえばさみしくてしょうがないときの孤独や、大人数で食事をしているときに感じる孤独。わかりやすく表出しているときはそんなところだろうか。すぐに孤独を身にまとい、ひとりでいる時間を作ることに容易くなっているのは確かのようだ。ひとりでラジオをしているパーソナリティが、話しているうちに相方がいるようになってくると言っていたが、たしかに一人でいるスイッチが入ると独り言のようなことをこまごまと、口にすらしていない会話を黙々としているときがある。特に寝る前と一人になってすぐのころに夕方だった時が多い。そうした時にはすでに右肩の後ろあたりに例の孤独がいる。なにか口元を抑えるように右側から覆うようにしてそれはやってきて、粘着質とは程遠い透明度のある、しかし黒い孤独。一度飼うとなかなか捨てることはできず多くは一生を共にするのだろう。そしておそらくだが、飼っている人たちは勝手に知り合っていく。どうしてかなにかひかれている部分がある。ひかれるというのは異性だからだとか、そういう動物的な意味合いではなく、もっと人間的な部分で感じる。有名人にとっての公は、オフィシャル、だから有名人がテレビに映っているそのイメージであって、私はプライベート、つまり家に帰る前に不倫しているときである。とだれが決めたのだろうか。そもそも不倫をしているようなプライベートの時間は有名人本人からすればそれが公でありオフィシャルであろう。発想を転換すべきだと思う。飼っているこの孤独は私にとってとても公でオフィシャルなものであると思っている。それをプライベートだとあたかも飼小屋に閉じ込めておくのはオフィシャルを崩しかねないバランスをもっているなといままでの経験上から察している。

 

夕方の銀座から東銀座を抜けて築地に歩いていく途中の昼下がりの、首都高の上を渡る橋にある柵に絡まる蔦の印象がある。というよりか柵というまっすぐな線の中に蔦の3次元的な曲線が絡まっていて、ほぼ真上からの太陽だったこともあって蔦の輪郭は強調された。心に余裕があるときにおぼえる、フラッシュが不意にたかれたような鮮やかな色合いとは違い、その時はどちらかというと色よりか形、色は彩度を落としモノクロだったのかと思っていても変わりないほどの記憶になっている。そうした記憶を反芻していた今週は、移動距離も多かったために色を感じにくくなっているのかもしれない。原爆の写真をカラーにする技術が生まれたために、それを見た被災者が記憶を思わず思い出す、記憶の溶解ということばがあったが、反芻している過去の記憶はより具体的にその形態をもってくると、その時の心情が重なっているのかなと気になりもする。色の名前まで決まっていないような色まで、認識できている、できていない関係なく、世の中は色にあふれているのに、疲労はその感度を奪っていき、どちらかというと単色、さらにはそのものの形状にしか認識がいかなくなってしまう。東京に23時くらいに着く帰りの新幹線の車窓は暗闇で、疲労とお酒とで認識を形状だけにしていても許される時間なのかとほっとできたのは水曜日のことだった。

 

差別はなくならない。ただ、みな不完全な人間であることをしり、違いがあいまいであることの豊かさを知る。これはできると思う。価値観を変えていく必要がある。

 

木曜日、突然の警察署からの電話。以前最後千葉であった離婚調停中の彼女が行方不明であると、機動捜査隊から連絡があり、翌週月曜日に捜査に協力するためにお会いすることになった。何が起きたかは察してくれと言われるばかりで、しかし彼女の携帯に私の番号と、会いたいというメッセージがあったそう。弁護士に相談しネットで調べてみると、どうやらその旦那と親権をめぐってトラブルになったあげく殺害され可能性が高い。とのことだった。どう受け止めていいかわからないまま、その夜は山形でワインをのんだがどうも神経が落ち着かない。そのまま深夜まで眠れないままだった。ニュースをネット記事で見つけ行方不明になる当日の彼女が写っている動画をみたが、まさしく本人だった。ロングスカートを好み、だいたいなにか荷物を持ち、後ろ姿だけでも表情が予想できるくらいの彼女の姿。暗い時期や感情が爆発するのは、直接見たことはないけれど本人から聞いていて、いつもそれを抱え込んでわたしと会っていたのだろう。その抱え込みを感じさせない首元の自律した、しっかりとした美しさがそこにはあり、深い愛情を容易に予想させるわたしの好きな部分でもある。ニュースでは旦那が殺害し埋めた。とのことだがまだ遺体は発見されていないという。生きていてくれ。これを記している「今」は日曜日の夜である。明日に捜査協力のために話してくる予定だ。ニュースでみた彼女が暮らしていた茨城県のうちが印象に残り、それを反芻している。

 

翌朝。2時くらいから5時前まで寝ていたのか、その間も夢ではそのニュースや過去の記憶を生きていた。寝ているというより仮に寝ている、感情は寝ていてもより研ぎ澄まされている。ネットストーカー対策でFacebookのアカウントを変えたが以前のメッセージのやり取りは残っていたと、ふと思い出し探り見つかった。茨城でともに半同棲をしていた時に私が他の女性とも関係を持っていたことを知っていなくなってからのやり取りが残っていた。その後であった男性とできちゃった婚をしたこと、その後私との子供を身ごもったこと、そして早期流産したこと。短文で味気のない私の返しが、当時境界性人格障害の女性にこりごりになっていた際にやや警戒しながら返事をしていたことは言い訳に過ぎないが、冷淡に感じて涙ぐんだ。空は冬のようで雲の隙間からすんだ空気のなか朝日が光を刺す。荒川や江戸川を渡るときに感情の抜け目が連動しているようだった。旦那の話では鉾田市大竹の海岸に埋めて、血痕が残っていた車は成田湯川駅から近い外小代公園だったという。近いうちに行かないといけないと強く感じている。どうしても思い出すとまだ生きている。私の中ではまだ笑っていて、声も聞こえる。あの笑顔を抱きしめたくなる。髪の毛の触感もある。色にあふれている世界から、色彩と影が失われていく。乗っていた車両の窓がUVカット仕様だったかとも思い、扉の窓ガラス越しにもみたが、変わらず無光沢の黒ずんだ雲だった。

 

どういう心持ちで待ち合わせ時間を迎えていいのかわからない。皆に平等に与えられている時間をどう処理して感じていいか、あえて時間を感じたくないと思うのは気圧のある朝の早起きに似ている。意識は線路の向こう側をさし、感染症由来ではない嗅覚の損失を感じながら、直線で歩きたいのだけれど、駅前はロータリーだと、無言で足取りは曲線を描く。見つかったナンバーの車にのり警察にもろもろを話した。脂が乗り始めた同年代の警察官と、若い警察官と、二人のやり取りの上でこちらからできるありったけを話し、一時間ほどはなし隣駅に降りた。降りるとそこは日常なのだが、秋の落ち葉が意識をかき回し、ついでタクシー乗り場から歩道に乗るとなんとなく意識が揺らぐ。

 

案の定週末に携帯は連絡が来、翌週の月曜日に携帯を押収された。当時の記録や今の記録を取られた。その間もネットニュースではパラレルワールドのようにニュースは更新される。仕事の後、例の車に乗り携帯を受け取った。

そしてそれから四日後、彼女の誕生日だった。SNSにメッセージを送ったものの、その数時間後、彼女のページはなくなった。いきなり心に穴が開いた。

ちょうど私は三島での仕事を終えてすぐきた新幹線にのり熱海に。そこから一駅伊東線にのった。東急の車両の左側、つまり海が見える側の椅子をボックスに改造した車両の椅子に座りコロナビールを飲んだ。海の暖かさが冬なのにあったのは、今日が異常に暑かったんだろう。宿につき、むかし山梨に何回か伺っている個人経営のワイナリーでできた今年のワインを買い込んで部屋で飲んだ。隣にその子が来てくれなかと一人でつぶやく。

 

高校時代はまだガラケーで、出会い系サイトで出会って、病んでいたその子は胸元がみえるインナーで写メを送ってきてわたしはたまらずに大学生になって会いに行った。たしかオムライスを食べたのではないか。アーノルドパーマがすきだからと服をかった。いまももらったベルトや服がある。あんなにわたしは傷つけることをしたのに好き。と言ってくれるあの愛情は、本当に深く深い、その優しさから出てくるものではないのかと思う。たとえば、石や土を何年もかけてなじみ、でてきた純粋な透明な液体に反射している周りの風景の濃縮した輝きをそれに重ねる。マスコミが追ってきていることを考えると今すぐに茨城県の海岸にはいかないほうが良いと考えているのかいまだった。それはやや言い訳のような含みを持ってしまっているのも事実なのだが、受け入れる心がまだなく、突如として道路に穴が開くような現象が心に起きる予感がしている。心に明らかに感情のノリが悪い領域ができている。塗ってもはじかれる絵の具のよう。過去のことを思い出してもいまの感情がどうも動かない。こころのなかでは生きてしまっている。生きてしまっていて死んではいない。遺体が見つかった時私はどう思うのだろう。そう考えても形式的なことばだけで中身は追随してこなかった。

 

神領区の165が運用に入るのを好んでいた。JR東海165系や付属編成だけだったが113系は背もたれに白い布を置いてくれていて、かつ台車も灰色に塗られて清潔感があった。当時東京駅発の大垣夜行373系で指定席だったが、大垣救済臨時は品川発だったが全社自由席だった。定期便は途中から普通列車となり名古屋方面の朝の普通列車を担う一方で救済臨は大垣まで飛ばし、関西にも早く着くことができた。当時の救済臨は神領区の165系、新前橋の165系、田町の165と167、さらには神領113系も投入されていた。いまは上野東京ラインで使っているホームは当時臨時ホームで、国鉄の茶色に塗られた103などが展示されたことがあったように思う。

夏の暑いころに9時半ごろに品川駅の臨時ホームで並んだころにはすでに並んでいて、ただ席には座れるだろうという並び具合ですでにその時刻を把握していたように思う。高校で仲の良かった友人と乗り込んだ165系ボックスシートは確かにすぐにうまり、横浜を出ると通路までうまって立ち客も出ていた。向かいの酔ったサラリーマンは東京からいたのだが、熟睡していたが、とうとう翌朝岐阜で降りたがあれは正解だったのか?とぐだぐだ睡眠もせずに話していた記憶が懐かしい。豊橋でたしか長時間停車をして一度コンビニで夜食をかったこともあったが、この込み具合じゃ無理だとくくった思いでがある。そのころには進行方向向かって左手に朝日の日差しがはいるころに重たいモーターのうめきとともに貨物ターミナルをすり抜ける。非電化の区間が多いためか気動車の油のにおいが窓から入る。長良川を渡るときの朝日が気持ちよかった。大垣駅には一番のりばにつく。一か所しかない乗換階段のいちをめざしみなおもむろに席から立ち上がる。

一夜をうるさく、風もはいる東海道を、油のにおいとなんでもない時間で過ごして、しょうもなく寝不足で乗り換えるために気持ちをせかす大垣駅に着く前せわしなさ。

何回もそれを繰り返しているからか、米原につけば長編成の新快速がいるからいいやと高をくくっていたように思う。ふるびた窓枠にRのある113系が待っていて、前日に関ヶ原には雪が降ったのであろうと思うような風景が流れる。すぎる途中駅の喫茶店で昔、真夏の撮影後に友人がアイスクリームを食べたくてアイスといったらアイスコーヒーがでてきてやや文句をおばちゃんにいったらかるくあしらわれたことをいつも、いまも思い出している。透明度の高い記憶はみずみずしい緑の畑とその奥の深い緑の荘王さに、いまも新幹線からみての関ヶ原という場所には感じてしまう。引き込まれるような場所だと思う。さて、米原には日本海からの線路が合流する交通のいわゆる辻だが、これがまたとても味わい深く、米原駅特有の空気を放つ。いまは気軽にホームを跨げばしらさぎは止まっているのだが、ホームのそば屋や洗面台が駅のホームにあることや、以前は気動車も出入りしていた形跡をのこすスペースが旅情を掻き立てる。のぞみが通過することはとても現代的だなと感じる。

昔の時刻表から眺めていると、JR西日本自慢の新快速は徐々に米原、いまは敦賀まで伸ばしている。以前は京都、草津どまりだったようだ。都市間の連絡性が増えているのだろう。583系のように寝台、座席、A寝台、グリーンなどを兼ね備えた合理性を求めた車両は、その後日本海縦貫線には似合った。点在する都市に対し走る夜行列車が深夜であろうが需要があり必要に応じて利用するといった急行きたぐにを育て上げた地区でもある。通勤ライナーやそういった通勤に使う優等列車は都心で育てた列車であるし、新幹線も幹線を育てた結果だろう。583系はそれにあったニーズに対応できた車両だったのではなかろうか。

仙台電車区583系を青森から6連に短縮して全検に通したのには心底驚いた。485系も6連で用いていたことからすると、新幹線ができる前にどれだけ恩恵があったかをおもんぱかってしまうが、それでもロマンがある検査だった。黒磯発盛岡行きの583系臨時快速にのれたのが最後で、仙台で下車した。旅情というものはなかなか感じる暇もなくなっている。

 

泊る予定だった相手の看護師の女性から、祖母が下血したとのこと。おそらくがんではないか。とのことだった。人生は一度しかないから。とすこし低い声で話している彼女は自分の人生をどこかで必ず前向きに、というよりかは重たいものを軽々もっているときの声をこめているように聞こえてしまう。母親譲りなのか、看護師としてがんセンターで働いているからなのか。とても鍛えられているようにも思ってしまう。看護師あるいは母親が看護師の娘さんと深い関係になって知ると、図太い人間力を本当に感じる。感心してしまうことや、とびぬけていて冷静になってしまうこともあるのだが、ある事柄を考えたときに瞬時にあらゆる考え方を装備している。わたしもそのうちの一つか、多くて三つを備えることはできるのだが、それを超えた種類と奥行きをすでにもっているのだった。ほどよくすいている快速に乗り込み130キロという高速で飛ばすも、秋葉原付近になると各駅になる。日比谷線の入谷や三ノ輪もそうだが、都心にはいるわずか手前にある乗換路線のさほど多くない駅は、乗換路線がないが乗降者数がそこそこいる。路線のもつ利便性を求めると優等列車でも停車する必要があるのだろう。買っておいたハイボールを飲むタイミングを失っていて、えいやっと深夜12時回ったころに飲んだのだが、夕食にコンビニのかつを食べたのもあるのだろうが、早朝5時半には胃もたれで目が覚めてしまった。

 

まだ学生時代に恋仲であった女性がおそらく殺されたと告げられ、調査協力のために一度押収された携帯電話が手元に戻ってきたころ、ちょうど休みが平日にとっていた週があったことに気づいた。いつも海に行くときは小学生からの仲の友人に車を出してもらうことが多かったし、今回も車を出してほしいと彼に告げた。その前日の夜に、仕事が休みになったから空いたよと返信メールが来ていた。遺体があるであろう場所に行くには鉄道では行きにくくそのこともあって彼に連絡したのだが、時間がたつと、なにか底沼のない暗闇に感情が少しずつ引き込まれているのではないかという感覚というよりかは実感が出ていた。小学生くらいだっただろうか。自分が実はとても小さい動物で、世界はもっと巨大な人間や建物や世界で構成されているのではないか、あるいはそれの逆に私たちが巨大すぎるのではないかと、なぜだか発熱した時にそれを感知して鳥肌が立つような意識を刷り込まれるような恐怖と、目に見えない漆黒かまっしろな雪の中にいるが混ざり合い始めているころに感じる不安定さを覚えていた。それに似た感覚がこの歳になって前日にふいにやってきた。平然とした朝を家族ですごしたのちに決心するのではなく、覚悟でもなく、臭いものに蓋をして足を投げ出す感覚で扉の鍵を閉めた。時間の接続が悪く30分弱次の特急までかかってしまった。足を投げ出したくはやく住居付近から早く遠ざかりたい感覚が強く、特急の前に走っていて結果的に追い抜かれる普通列車でも遠ざかるのならばいいかと思ってしまうほどだった。よく晴れた冬の空気感の中、仕事の合間に特急列車に乗るいでたちの男性数名とわたし。1時間半ほど乗車して隣接県の主要駅で乗り換えたローカル線は1両編成で、なるべく自分が落ち着く音楽を聴きながら、太陽は昼の光を車内に運ぶ。もし車でここに来るとして友人とはいえ2時間は他人といなくてはいけない。この冬の日の晴天と、鬱蒼とした精神状態の間にできるのであれば他人はいてほしくないと思っていた意識の輪郭がはっきりしてきた。1985年開通したこの路線は、ローカル線にもかかわらず高架のホームだったが、駅前には車の点検をしてしまっているタクシーの運転手しかいなかった。お願いして乗り込み、5キロくらいだと見積もっていたが距離を感じると歩くには無理だったと思う。その角を曲がった先を、首を突っ込んで覗くときに必要な勇気と覚悟のようなものが要るのではないか。もはや方言交じりの運転手の話などうわの空で、駅前の閑散さとは裏腹に街道はたくさんのトラックの往来でせわしないときに、心の中で集中して、5キロ先を見透けるようにと数時間前には臭いものに蓋をしていた自分が情けないほどに焦りを感じていた。つきました。と言われて支払い降りたところはまだ海が見えない。駐車場から丘を越えていかなければいけない。家族には何も伝えていないために仕事道具も手に携え、その丘を越える。海からの風をうけて傾く枝や幹の木々が独特な雰囲気を持ち、空は青々としているのに木々は淡い色味で、ある程度整えられた芝生もクリームのような色合いだった。おそらく空よりも濃い、青々とした海が広がっているのだろう。芯の硬い布の塊を掌で抱え込んでいるとしたら、じわじわと手汗がでているのか湿度が上った。丘を越えて見えた海は命が生きているような鮮度で脳に入ってくる。気持ちまでもが鮮度に圧倒され、3月以降止まってほこりをかぶっている古い記憶を忘れそうになる。釣りをしている人が数名いる中ほどよく座れる椅子に腰をかけて思ってつくった曲を音量最大にして聞いた。曲を聴くというよりはその間に瞑想をして、なにか声が返ってこないのか心の中で研ぎ澄ました刃先をゆっくりと回転させる。なにかを触れることができないのか。そう思いながら20分の曲は終わった。北上をして海の家の廃墟があるあたりではコンクリートが崩壊しており、その先に廃墟になったホテルと広々とした駐車場があった。

 

午前だけ仕事で、しかも終わるのが伸びてしまってすぐに電話して会った彼女がけろっとしていて、私だったらイライラしてしまうかもとなんでまあ心が狭くなったものかと駅前の丸いロータリーを歩きながら冬晴れ。あまりあてもないが成田のほうにある温泉にでもいくかと思い立ち、東京とは逆方面にのった。この路線は途中から運転本数が40分に一本と極端に少なくなることも知らずに乗換駅に着いた時には、昼過ぎで食事をすることにした。ニュータウンてこういうことか、と整然と淡々としたリズムで家が立ち並んでいるのをみるのだが、どうも人影は少なく、歩道のコンクリートはところどころ隆起して荒れている。徒歩5分くらいの和食屋があったためそこで昼食をとり、温泉の最寄り駅に着いた。最寄り駅は、殺されたとされる女性の車が発見された公園が近くにあることは知っていて、半ば私はそこに行きたかったというのもあったのだった。連れてきている彼女には写真が撮りたいからと告げ、散歩がてらその公園に向かう。ニュータウンということばにさらに相応しいのではないかと思われる地区を左に眺めながら、一方でゴーストタウンのようなひとけのなさでもあった。右側にはおそらく旧来からある工場があり、ちょうど黒いジャンパーをきた50代くらいの女性がでてきた。いささかニュータウンとも似つかない質素な格好だったが、工場の看板の時間を経た色合いとはとても合っており、腑に落ちる。それを超えると鈍角に道は曲がり高低差のある公園につく。また上がるのか。と思ったが彼女の話声も聞かずに、落ち葉を清掃していた男性3人の恰好を注視していた。捜索をしているのではないかと思ったからである。どうやらそうではなく単に落ち葉を掃除しているだけのようだったが、轟音とともに吹き飛ばされる落ち葉をみているとどうも落ち着かない。テレビでもみた駐車場が見えてきたが、これ以上は近づきたくない。と輪郭のはっきりした意識が見えてきた。左手には古墳群があり、古墳の上からは沼が見渡せている。そして大型のトラックが入れる産業廃棄物処理場も眼下に見え、左手にさらに体を回すとニュータウンの街並み。ひとけのなさと街にどことなく褪せた色を多く感じ、彩はなかった。夜になるとさぞ寒く暗いのではないか。そのままタクシーに乗り込み私たちは温泉に向かった。

 

新宿駅のバスターミナルがまだ整備されておらず、ヨドバシカメラの向かいのただでさえ人々が道を行きかう中足繁くバスが発着するバスターミナルは、昔から中央高速を経て山に向かう高速バスが多くある。そのためか乗客もそれなりに旅行に向かうというよりか登山客が多く、かつ数回は利用している人たちであろう。手慣れて行列に並ぶ。一方普段着の乗客は大体が若く、実家に帰るのではなかろうかと思われる井出達だった。私はそのどちらにも属さず、つれていた女性と甲府の先の一宮まで乗り、いわゆる盆地の壁の内壁の斜面の途中を走る街道で降ろされてからとぼとぼと緩やかな傾斜を上った。個人でやっているワイナリーで試飲させていただき、秋なので桃はすでに枝だけであるけれど、内壁から底を見下ろしながら畑の中にある小道を酔い覚ましがてら彼女と下る。冬ではないけれど日差しが冬の夕方のような強さと、日差しに周囲にはまだ暖かさを感じる柔らかな空気が印象に残っている。大体このまま駅に着くころには日が暮れていて、帰りは熟睡していることが常であった。

 

 

 

あとがき。

数学としてとらえれば横の時間軸をもってきて、今を規定すればそれより前は未来、後ろは過去。そういうイメージに固執していたが、過去は今だから存在していることを時間軸は殺める。過去をどう理解してとらえて、表現していくか。たとえば通時的な記憶の塑性がおきる。市ヶ谷駅から四ツ谷駅の線路沿いの堤防を暑い夏の夜に虫さされ防止スプレーと、ほの暗い光の中、どうやって四ツ谷駅につく前に手をつなぐのか。そんな思い出をそこに行くと思いだすし、途中にあったブランコで楽しんでいる彼女を思い出したりする。ただ、それがすべてではない。例えばそこに実際行くともう少し詳細に思い出す。今はないブランコの跡地は四ツ谷駅手前じゃなく市ヶ谷駅寄りだったな。とか。そうすると、いま生きている私が過去を語るうえで、今の現実世界が私の中の過去を溶かしだしていく感覚を思い出す。これを過去の溶出、もっといえば生きた過去なのだと思う。日々の生活の中にタイムラインで流れてくる情報を一方的に、流れてきたそうめんを止めて食べるわけじゃないがそういった感覚でつまみ食いしている今をいきる日々は、場当たり的でいましか連想させない。一か月前のニュースはどうなっただとか先週の思い出を振り返ってお酒を嗜むとか、そういうスペースを心に感じない。どちらかというと過去は写真や文章にして投稿して葬るようなイメージになる。たまにいまから掘り返して過去を生きたものとする行為が人生の細部を考えたときに必要なのではないかと思う。

考察

そう。感染症がとても流行ったために、外出もままならないのはわかっているのだが、4月初旬に目抜き通りの一本奥の道の交差点で、なんとなく風に吹かれて女性を待った。多少の罪悪感があったのだと思うが、意を決してお店を探すもなかなか断られ、近くの窓のない居酒屋に予約が取れた。

息を吸うとなにか後頭部できんといたむような黒い輪郭のはっきりした線を、白ワインでぼかしていく。ついで赤ワインは、もうすでに相手はうとうとと舟をこいでいたためほとんどわたしが飲み干した。

からだの細胞にアルコールが染みた重たいからだで、夜の一時間弱郊外を走る電車にゆられ、女性のうちについた。やや海の匂いがあったかと思う。

そのりんとした歩き方や話し方に空気の流れを持ち、かつ柔らかな気配りをしている。寝息になってからはその枠というものが、意外と皺のある柔らかさとふくらみを持つのを感じた。

朝になってまだ昨日の赤ワインの空気を鼻先に漂わせながら、うやむやと、朝の空気をたくさん吸っては呼吸を整えた。その皺を持った柔らかい包み紙は、アイロンでもかけたのかと思うほどのパリっとした触感に変わる。

どちらかというとモノクロに近い感覚で彼女の部屋をとらえていたのは、まだ引っ越したばかりでひろく、そして雑然としていたからなのだろうか。触るとひんやりするような、すこし湿度を持ったまだ馴染みのない木目が心地よい。

 

前日に飲みすぎた後の、二日酔いではなく疲労感を開き直りながら感じていたが、こりずに帰りにはまたビールを飲んでいたように思う。

疲労感と一杯のビールがつくりだすだるさは、昨晩のやわらかい皺を思い出すとまどろみを思えた。視界でおさえる現実に、舌がなじんだ妻のご飯を透明のアクリル板を置いて隔てるようにして、いただく。

 

母であることを感じたことはない。どちらかというとしっとりとした印象を感じる女性がいる。じぶんが優しすぎてしまうことで、それを消極的であるならば、のどにつっかかっているような、意志がうまく伝わらないもどかしさ。

らしさ。という言葉を使うと、受け止めるところに愛情を覚え始めた。過去にやさしさを悪用する人に追い詰められ、吐き気とともに日々の生活する空気を捻じ曲げられたことがあってから、意識はしていないまでも外傷性の記憶になっている部分がある。それをやや匂わせる我儘な部分を持った不器用さを、はてどう受け止めたらいいのが、しんそこ困って半年がたってきたが、ようやく、らしさという部分で受け入れてきたように思う。

郊外のターミナル駅直結のホテルからの帰りだったか、これから一時間かけて帰るはずだっただが、今年初のゲリラ豪雨で電車が止まっている。行為の最中に雨は止んだようだ。22時。気持ちは徐々に角度をつけ、ざわざわした風をうちに感じている。おそらく横浜線南武線小田急線で南下しなければならない。結局横浜線に乗り新横浜から新幹線に乗った。雨で少し涼しくなった空気が、地面の香りを炊き込めて、やや温度を持ったけだるさに包まれる。らしさを受け止めたことに気疲れしていたのか。

時期が時期なのか、新幹線の自由席はすいていて、仕事帰りなのか行楽帰りなのか、中年のおじさんがラフにスマホをいじっている。自分を中心とした内向的な意識を働かせたところ、とくに意識を彼に向けることなく、しばし雨の止んできた景色を眺める。

武蔵小杉のあたりは車体がすこし傾きながら、ゆっくりとカーブしていく。

品川駅を出ると終着駅に近づくときに毛羽立ち始める意識の粗さを生み出す。とはいえこちらはまだ20分も乗車していないのだが。と右斜め下の隅っこに視点を追いやった。

東京駅のホームは雨上がりで、海の匂いと人工的な匂いが、頭のあたりをまとわりついてくる。いそいそとすいた階段をかけ下りる。

まだ家庭を感じさせない、洋服から漂っていた柔軟剤の香りが、腕の下あたりから炊き込まれていたことに気づく。

 

正義を振りかざすことに快感を覚えているこの世の中には、実は、不便な事柄を解消し、便利になることで生じる副産物が多く漂っているのではないかと考えている。便利さと引き換えに奪われるのは思考。他人をどうとらえるか。インターネットや電話はまずその他人とのコミュニーケーションを、外向的にあって話すことから、内向的に、ひとりでコミュニケーションが他人と取れるように変えた。現在には匿名で会ったことのない誰かを誹謗中傷し、さらには戦争をも引き起こす。内向的イメージの暴走か。どうして他人実際を、らしさ。として認めてやらないのか。昨今あった黒人が射殺された事件や、絞殺の事件。もちろん差別問題として個々人に備わるステレオタイプの輪郭が熱くなったのだが、それ以前に、警官が勝手に誰かを殺めたとても確固たる事実に、その自らのイメージがまとわりつき事実を混乱させていく。

 

男子校でなかなか群れることができなかった。表面上ではみなと仲良くしているつもりだったが、つるむことが苦手で、なにより運動神経がよくなかったことがマイナスになり、だいたい一人だった。写真部の暗室が住処だったといっても過言ではない。そんななか珍しく男子校にきた教育実習生の女性の先生にそういえば最後の感想を、黒板にさらさらと書いたアドレスに私は送信した。当時はモノクロのガラケーだった。初任給や初体験や、そんなくだらないことを聞いたり、どういうところで買い物したりご飯を食べているのか。身近な女性というものに初めて触れた気がしてとてもわくわくした思い出がある。あれから12年後、その女性と安い箱根の旅館に出かけた。もともとモデルもしていたため、しっとりとした細い足が、いままでは顔や表情ばかり気を取られていたのだが、目に入ってくる。そんなに大きくない、石で固められた湯船になみなみとかけ流しされる透明な、すこし熱を持った温泉につかると、すこし窮屈そうだなと思ってしまうほどだった。安いといえどもよく手入れがされており、温泉も心地よく、昔の思い出話をたどり、どうしていまこうやって二人でいるのかを、歴史をたどっていじってみたりしてよく笑った覚えがある。

床が軋む朝食会場は、一階だったと思うが、彼女には天井が低かったように思う。

 

どこか単に女性として好きな部分を、男子高で彼女に思っていたのは事実だった。彼女をひととして好きな部分をそのあとの関係性で見つけて、部分にのせて熟成させていく過程は、心地よいもので、繊細さと優しさで受け止めては咀嚼していく過程が、結局彼女とは一緒に住むことはなくなった今も続いている。

連綿なそして繊細な時間を思い出しては、一人でも過ごすことができる。

 

ユニークさと明るさを兼ね備えた女性は、人生で何回か出会っている。だいたい突然やってくることが多い。同じ箱根ではあるのだが、もうすこし芦ノ湖のほうに足を延ばし、ペンションのようなところに泊まった。少し埃っぽかったのではないか。おそらく景気が良いときに建築されて、近年リニューアルしたのであろうその室内で、ところどころの隅っこのペンキが剥げているのをみて思った。作ってきたという手料理を堪能しワインを飲んで、白濁した仙石原の温泉を引いているようなのだが、硫黄の匂いが肌にしみこむほど浸かった。温泉とワインのマリアージュというのは考えてなかったが、辛口の白ワインには透明の熱い温泉、もしくは硫黄の白濁した温泉、重たい赤ワインにはぬるめの透明なお湯、もしくはとろみの強い温泉が合うのではないかと思っている。すっかり細胞にまわったアルコールと水分やミネラルが、肌という枠をなくし、呼吸しているような感覚になる。

少し古いタイプのロマンスカーの展望席が取れて乗った際の、昭和の装飾品がゆれているのを眺めていた。

 

若いときに渋谷のギャラリーを借りて、オーナーの堅物を口説いていいことに、渋谷川の壁に立つその画廊は、比較的自由に使える場所だった。本当に我儘ばかり。埼玉県の南に一人暮らししていた香水がいくつもあってたしかメゾネットタイプだったか。ただメゾネットとなると、上はクーラーのない熱い空間でしかなかった。時間があったのだろうか、歯科助手が休みの彼女の部屋で一日の欲を、汗をかいて費やすことはあったように思う。リンゴの容器の香水がやたら私は気に入った。そんな当時の彼女はるんるんと渋谷の画廊のパーティに、私のゲストとして赴くも、ネットワーキングと今風に言うとそうなのだが、あいさつ回りをしていることに対する嫉妬のようなもので機嫌を害していた。疲れたといえば疲れたが、彼女の風貌にあったすこし大げさな耳のアクセサリーと、よそ行きの洋服をきていて、パーティの際に階段でピアノを聞いている姿にうっとりしていた私がいたために許せていた。今思うとそれもらしかったのだと思う。

飲んでいたのはバランタインだったか。適当に酔った私は彼女が埼玉に帰る際に、グリーン車の切符をかった覚えがある。

メゾネットで汗ばんだ交合の際の、太ももにあまり筋肉がなく、ひんやりとした感覚は今もある。つややかさが今も残る。特にその香水は、つけたときはとても鼻につくのに、時間がたつとその人がまとう洋服になんとなく察知して、知らないのに知っているかのような過去を連想させるくらい、滑らかなツライチではない加工後の曲面を感じさせてくれる。上野をでる古い車両が退勤客用として汗臭い匂いを抱えて、かつふるびた埃臭い香りと、もっと言うならばモーターの古い音と、染み出したオイルを感じるその車両に揺られ、彼女の部屋に向かうのが楽しかった。

そういえば浦和のイタリアンで安い赤ワインを楽しく飲んだのを思い出す。

 

住宅展示場で案内をしている、いわゆる制服をきた30代後半の女性は、当時まだわたしが20代前半だったこともあってだいぶ年上に思えた。赤羽の赤ちょうちんでだいぶ酔って、モノクロのトーンのビジネスホテルに泊まったのを覚えている。酔っているテンションを暴力的にカウンターの方に投げつけるような、今思うと申し訳ない気分になるそのシーンがあった。

当時、結婚するまでに遊ばなかった。かつ結婚してから子供がいない。ということで若い男の子と遊びたいと言っていた、和装が似合う30代後半だったか。何度か池袋の北口で待ち合わせをしていた。インナーのもつ色気のようなものを感じ、行為の時には特に感情がないのか、殺しているのか、終わるとそそくさとお酒も飲まずに終わる。

ふわついた感じのある人だった。

そういえば30代後半、すこし恰幅がいい女性もいた。新宿の大久保よりのホテルに入ったこともあった。新宿はあまり好きな街ではなかったが、そのあたりには人臭いが緑のある公園があって、印象に残っている。しかしまったく自然の匂いがない。

行為や関係に愛情があるのかないのか。どういう思いなのかの詮索が全くできない。酒の酔いというものがある場合でもない場合でもそうだった。だいたい長く続くわけではないし、行為自体をしたいとは思わなくなっていく。

 

意識しているわけではないが、ものすごく言葉に対して感受性が高いことが多い。そして動作や表情から感じ取ってしまうことがあり、気持ちはそれに連動してしまう。繊細な皺を埋めていくパウダーが、しっとりとした質感を生み出す夕方に、車の排気ガスや緑の匂い、コンクリートの持つ香り、雑多な通り過ぎる人たちの匂い。そういった能動的に、こちらは受動的になってしまう感覚を包み込むような球体を思い浮かべている。

相手のイメージだけで交流を持ってきた女性に、深夜3時に公園で行為に及ぶ。長い商店街はその先幹線道路に出るのだが、だんだんと商店街らしき雰囲気をなくしていく。その道すがらのお寺を左手にまがり回り込むと幼稚園があるのだが、その隣の公園で、監視カメラの位置を確認しながらに行為は始まった。すこし湿度がある季節だったと思うが、その時も白くしっとりとした太ももを強めにつかんでいたのだろうか。

翌日から連絡は取らなくなり、なんだか不思議な思いでその場所をまわってみたのだが、夢だったのではないかと思うような感覚がくるくると回転しながら心の中で混乱した。

 

コーヒーにするか紅茶にするか、たとえば日常では選んで決定する行為の積み重ねかもしれない。それをリズムとしてとらえるのならば、独特のリズムを持っているのであろうか。新築の白い部屋を好んで探したということを話していた。食事も、片づけるときのことを考えて食材を選んでいることも話していた。テクノのような繰り返しの美学の中に彼女なりの音を加えたリズム感を作り出していた。猫のように笑う時に感じる温度感がすこし冷ややかで、真っ白の壁に青みを加える。私からしたらこの白さは浅い眠りしか与えてくれなかった。静かになると窓の外にある高速を走る車の音が、非連続的なリズムで鈍い痛みを感じさせる。ついで光が、部屋に入ってくるまでのいくつかの障害物によってだろうが、痛みを感じるころに鋭利になって襲った。部屋着でいる彼女は落ち着いた雰囲気を目皺に漂わせているのだが、無邪気さを口元に揺らす。髪の毛をまとめているために首元に色気を感じさせながら、これまた不意なタイミングで隙間にすとんと入ってくる。

 

旧来、遊郭だった街であるため、建物は変われども道幅は目抜き通りそのもの。よくみると屋号はアパートの名前として生き残っており、重たい黒い油のようなものをイメージさせる雰囲気が、目抜き通りから曲がると感じた。まっすぐ進み、その遊郭から一歩出たところにある、高速に近いそのマンションは、街の雰囲気と裏腹に見た目から白いために浮いて見える。6階にあるその部屋の廊下からは、同じように建設されたマンションがいくつか距離をあけて隣接している。遊郭の跡はなかなか建物が立ちにくいと聞く。場所柄だろうか。だからいくらかの距離をあけて、隣のマンションの部屋の中が、夕暮れ時でくっきり輪郭をもって見えてしまう。覗いているというか見る感覚でいいならば、いささか興味を沸いてしまう。蛍光灯ではない白熱灯の色温度の下で、部屋着のおじさんが大型のテレビを見ながら缶ビールをあおっている。こちらは白いカーテンをしめて少しの間の営みをする。

 

白いマンションで夜の匂いと赤ワインで疲労感が麻痺してきたときに、それでもやはり会いたいと矢継ぎ早に地下鉄に乗り、もう22時だが空いているお店を探して出張帰りの違う女性に会い、餃子を食べた。もう赤ワインの香りは品をなくし、ハイボールでのど越しを気分転換として、いつものようにそのパリッとした衣が、柔らかな皺がある布感を帯びていく彼女を眺めている。そのまま泊まってもいいのだが、既婚者である以上帰宅する必要があった。

ふたりごと。それぞれに言葉の定義がない付き合い方をしているために、とても感覚的な生活を送っている。気を付けてないといけないのは心で、苦しみが強くなってしまうこともある。たとえば、空き瓶に薬液を注いでいるとき、はじめは気にせずに入れていくも瓶はだんだん先細りの形状のために、こぼれやしないかと意識する。いや、まだ透明の瓶なら加減はできるのだが、中の見えないボトルなどはなおさら気を遣う。ついついあふれてしまっては、後味の悪さを覚える。覚えるといってもそんなに深い傷口にはならないのだが、これを繰り返していくのかと思うと否応に気を使ってしまう。やさしさということばのもつ意味と物心ついてからずっと格闘しているようにも思うが、この自己内省的な訓練は、ちょっとした能力与えてくれているようにも思う。具体的に言うと他人の心の喫水を指でなぞって感じることがある。これは心地が良い場合もあればとても息苦しいこともある。容赦なくそれは感じてしまう。

 

池袋から電車で10分ほどの私鉄の駅から改札をでるとすぐある商店街を抜けて右へ。回り込んであるやや古めのマンションに引っ越し先をきめたその女性は、契約と引っ越しの合間に私を呼んでくれた。床が絨毯の部分があり、清潔感はあるのだが時間の積み重ねを匂わす床をベッドにした。

木目調のラックと間接照明を設置したダイニングで仕事帰りに泊まった際に作ってくれたさんまの煮ものを、半楕円型の机と、その柔らかな室内灯のもと缶ビールを飲みながらつまんだ。とてもセンスのある合理的なひとで、とても歩くのが速かった。人間力はあるのだが、付き合う側がある程度鈍感じゃないと、ひしひしと推察眼を向けられている浸透力の強さが、急に熱いお湯につかったときみたいに末梢をひりひりさせる。やさしさによりかかりたいからとあえて鈍感になりながら、生理の終わりかけに避妊をしなかった性行為ののち、しばらくたって妊娠しないねやっぱりと、けろっと言われたときに、凄みを感じたが、血と白い精子の混ざったものをふきとる彼女を思い出すと、ああと腑に落ちた。

 

とても細かな粒子を衣としたオフホワイトの空気に心地よい程度の圧力を感じながら目が覚めたとき、それが湿度と気温と、そして疲労の混ざりあったバランスが程よかったことに気づく。昨晩のお酒はすっきりと消え、隣ですやすやと寝ている妻の顔を見て落ち着くのは事実だった。重たいノートパソコンの起動時間にまた意識は眠くなりそうで、ラインでおはようとまわりにあいさつを入れる習慣はまだメールの時代から高校時代からあったのではないか。と思う。ただ、同じ相手にずっと毎日送り続けているわけでなく、周期的に変わっているのも事実。

 

布や段ボールが、おそらく作られている工場や、加工されているところ、保管されている場所の匂いを吸い込んでいることがある。そんな匂いに似ている。ただ、ほんとにうっすらと女性の匂いもそこにはある。新潟から上京して、従業員5名ほどの服の製作会社で20代前半の勢いを費やす彼女いた。専門学校時代から服飾でその情熱を持っていたようで、忙しい現状の会社でも比較的余裕をもって働いている。当時まだ地上にあった東急東横線の夜のホームは、酔っ払った若い男性陣が、編成の中ほどに設定されている夜間の女性専用車両の時間にも関らず乗っていて、もはや意味をなしていない。そんな姿を笑っている鼻先には、まだ形作っている途中の渋谷の空気が鼻をよぎっている。もっとも、いま振り返るとそのどん詰まりの地上ホーム自体が夏の夜であったことと、酒が入っていたこともあって、湿度のある重たい記憶として振り返っていた。特急で40分ほどか。降りたら横浜にありがちな坂道を下り、新幹線の高架が見えたころにある小さなアパートの二階。白いというよりすこしグレーのある部屋だった。湿度が足りない。肌でいうと乾燥してきているようなそういう白さだった。

翌朝の暑い朝に今度は階段を上るわけだが、ひょいひょいのぼる彼女を見ながら私はゆっくり歩いて行った。すこし汗ばんだ状態で、複々線を上下にしながら四苦八苦したのだろうか、高架になった東横線通勤特急が高速で飛ばす室内で冷房にあたり冷えるのが心地よかった。その後彼女からは新潟に帰ると申し出があり、それ以降は会っていない。酔って一度連絡が来たが、相変わらずひょっこりしたイメージがうれしかった。日本海側の干物屋だったと思う。

 

らしさってなんだろう。多く、一対一の関係しかわからない場合であるため、その女性がどういう社会的な関係を気づいているのかわからない。好意をもって接してきた女性は、20代後半か。それなりに優しく接していたのだがだんだんと要求が多くなってくる。そうするとこちらはそれ以上のやさしさは無理です。と断るのだが、そうはいかないと、傷口をチクリチクリと弄り回すように激しい暴言と社会的交流を破壊していく強烈な性格をもっていた。おそらく境界性人格障害なのだろう。私以外の私の関係性をことごとく壊していき、私自身も内面をえぐられていく。さっきご飯を食べたのにもうおなかがすいているのか。そんな獣がサンドバックをひたすら殴っているようなそういうイメージだった。その時の職場でのしがらみや金銭的な問題もあり、さらにこのようなサンドバッグになっていたことも重なって、一度肩の荷を下ろす決意をしたのを覚えている。決意をしたというか、もう指が勝手に文章を打っていた。そして送信をしていた。もうとにかく逃げなければいけない。そう強く思うために、神頼みすらしていた。

 

ネットやテレビで毎日のようにされる正義を振りかざして誰かを批判する行為。あったこともない人なのに。まだ政治家ならわかるが、芸人にそれを求めても。野球選手名鑑など昔のものは選手の住所すら載っていたが、いま情報社会では、それ自体に価値が出ている。公であるべき自分の情報や時間、行動、そういった自分にとって大切なプライベートが本当は公でありオフィシャルであるべきなのに、それをいつしか隠しながら生きているようになった。

流れで関係を持ったある女性は、すこし胸元が見えている服だったためか想像がつかなかったが、東大の医学部生だった。リュックにたくさん教科書が入っているのを見たときに、紙や布にしみこんだ匂いを感じて納得した。人間力によって相手を口説き落とすと一定期間、温度が冷めるわけではないが、感覚が近くに漂っていることが多い。母親は自殺して父親は俳優だという彼女に、サンドバックのようにやられている女性がいることを告げると、悪くないと思うよ。と私の心に強く進言してくれた。やりたいほうだいやらせていれば自分にすべて返ってくると。胸が小さいことをコンプレックスにしていたため、最後まで下着を上半身だけ脱ぐのを恥じていた。冷房が効いていた間接照明の部屋で、熱を感じた。

 

終電から数本前の東海道新幹線の東京行きは、酒臭い。こんなに数分間隔で走っているのに指定席の並びは取れなかった。缶のハイボールを買って夜の東海道新幹線の通路側の座席に座った。名古屋を出てそのまま新幹線は突っ走るが、少し空中を泳ぐような緩いカーブと、特有のひゅーんという音が、さらに浜名湖あたりは水面を飛ぶようにして走るのがとても気持ちがよい。ただ、いま夜であるため景色はほとんど見えない。となると高速で走るゆえに感じる圧力と、カーブおよび上下動する感覚だけになる。通路側であるため景色は見えず、ただただ、車内の特有の、シートのような匂いとお酒、またおつまみと、多く出張帰りの男性の匂いが混じる。そうして目をつぶるのだが、身を任せる心地よさに馴染んでいく。

朝にはないこころの柔軟性が夜にはあるのではないか。と思う。朝の新幹線で仮眠をとっていると、高速ではしるゆえの振動でふと目が覚めたとき、風景の速さに恐怖を感じたことがある。朝は心がまだ固いのか。

 

重たいどっしりとした湿度と、粒子の細かな熱に包まれる梅雨の朝。

太陽光は雲によってとらえどこのない輪郭をし、認識を阻む。

いつもより40分早くでて、6時台からまた例の遊郭内にあるマンションの最上階に、会いに行く。コーヒーを飲んで眠いながらに汗をじっとりとかいていて、週末ということも会ったのだと思うが、意識がすこし遠くにいる。

淡い青色、すこし紫。そういう色のソファと、同じく淡いピンクと緑のそれぞれのソファ。三つそれぞれの色を買ってしまうところが彼女らしいなあと寄りかかってバナナをほおばっていた。すこし熟れているようにみえるバナナの色が、彼女の日焼けし始めた頬から漂っているような錯覚をさせる。音もなくしっとりと、かつ舌はそれを奥へ奥へと咀嚼させ、度に香る甘みのあるバナナ匂と、すこし焙煎の深いコーヒーを入れていたためにとても心地よかった。となりにみずみずしいグレープフルーツもあったのだが、さほど主張してこない。耳の後ろあたりから柔らかく香る眠たさと、柔らかい皺に綿密な意識を、眠気が強いことをいいことにうつつと満ちていくスープをつくっていく時間に連想した。

 

地理的には湯河原駅は熱海より手前なのに、熱海のほうが気軽に行ける感覚になるのは新幹線のおかげなのか。ひっきりなしに発車していくのぞみの合間にひょっこりと走るこだまにのるために中央改札で待ち合わせをしていた。梅雨だというのに適度に晴れた夏の湿度は、昼前の太陽の位置に似て、言い訳ができない心のせかし方と似た詰まり具合を感じる。欲に忠実で元気な人は、小柄で、左側の八重歯がみえる。気軽に行きたいために自由席で降りた熱海駅のホームは端っこで、気が抜けたような夏の空気は潮風を感じながら階段を降りた。こちらには帰る家があるために日帰りで借りたホテルで一通りを済ませ、塩分のきいた熱のこもるお湯は、いかにも熱海らしい。熱い海水浴のようなものだ。いつぞや朝早くに旅館をでていった一夜限りの女性がいなくなった後に一人で朝食がてらビールをのんだファミリーレストランを右手にみながら、私に海に入ろうよと誘う彼女を断る。砂がついた靴で帰宅するわけにはどうもいかない。糸川沿いにあるカフェー建築という昭和時代の赤線建築がとても好みで、なんともあでやかな壁のいろと、モルタルのデコレーションが、こもった畳や、油、少し年齢を重ねた女性の匂いを思い出させる。すぐ突き当りには現代のキャバクラやそういう類のお店があり、どこの女性かわからない画像をやたら大きくした看板がそこここにみられる。橋を渡り反対側には、ひねると温泉がでるラブホテルがあったが、どうにも見つけられなかった。以前小田原あたりに住んでいた、ちょっと家庭の様子が見え隠れするような表情と、会話の際の言葉の口から出る強さと選択が、癖として感じられた女性といったことがある。箱入り娘というより軟禁か。しつけの厳しさが彼女の中に負の空気をもたらせていた。そうこう通時的な思考と、共時的な感情のバランスを保ちながら、海岸近くのコンビニでタクシーを呼び駅に戻った。水割りのウイスキーを片手に、ひとけのない新幹線のグリーン車で甘えている彼女を見ていると、なんとなく心がほどけていた。車窓から見える街灯が、スローモーションと残像をつよく魅せてくるころになると、やや目が赤くなっているのを認めた。

 

東京の下町から埼玉方面にはしる鉄道をともに使っていたため、その路線上の私鉄の駅で会っていた女性がいた。会話をするときの内容や話すリズムが独特で、おそらくイメージをつなぎながら話しているのが、それはそれで楽しかった。同業者でもあったために一度職場を紹介されて、第3者を交えた食事があった。高級なお肉を出す焼肉屋で、二人の関係性を客観的な言葉にもしていないなかどう紹介されるのかと、まるで向こうの両親に会いに行くような緊張を覚えている。で、さて思い出せないのはどういう関係性かに対する答えだったが、聞かれたと思うのだが、うまく思い出せない。緊張感のない季節、おそらく春先だったか、複々線の高架下の道を駅から南下していくと、おそらく急行のとまらない駅ゆえに一件しかないホテルの一室で、わきの下にあるほくろと、それを隠すくらいの長さの、明るく染めたゆれる髪の輝きがあった。

 

東中野の駅で待ち合わせ、それも線路沿いにやや下ったところにあるホテルに行った彼女も独特のリズムがあった。その頃はただそういう行為がしたかっただけかもしれない。それを受け入れてくれる彼女のリズムは、とてもゆっくりとねっとりとした迂回しながらの会話と動きに、意識はおもわずつまずく。同世代の女子の模倣をしている部分と、自らのそのリズムが混在しているために、こちらの会話をしながらできるイメージを壊していかないと中身にたどり着けないことが多かった。それから8年後、栃木に勤務している彼女と在来線のグリーン車にのり帰った。懐かしくなるような模倣のような話し方は相変わらずで、すぎる窓の外の明かりのリズムに気持ちをごまかした。そのようなことなので内容はそっけないことで、本質的な部分には触れることができなかったが、当時の記憶からいくつか抜けていた部分を相手は覚えていたため、別れた後にひとり、反芻しながら過去をつなげていた。

 

だれか他人といると、最初は自分を他人に押し付けて同一視して、そうはいかにことに気づいて認めていくステージが、5年とかそういうスパンであるのだと、ものの数秒でまとまったことばでいわれてから、理解するのは早かったのだが、残像が長すぎてどうも思考が止まってしまった。そんなに単純に言葉でまとめられると、こちらの感情が入り込んでも、むりやり枠を広げる、あるいは馴染んでいく時間や隙がないじゃないか。という反抗的にもならない。幹道のバイパスが、思いの外すんなりと行けると気づいたときに、つかむところがない腑に落ちる繊維質のような触感のものが落ちていく感がある。

 

こぎれいな最近のビジネスホテルで、子供を連れて家を出ていかれてしまった訳あり女性が、こちらは上司と日本酒をあおってから部屋で落ち合った。なにか陰の漂う女性で、たとえば、主張したいことがあっても目線がすこしずれ、会話でも語尾に意識的かわからないが、聞き手が引っかかるようなアクセントを持ってくる。だから、聞き手は受け取る内容とともにすこしねじれた角を触っていることになる。しっとりとした肌ざわりとふっくらとした曲線があるのだが、首元からは母の匂いもある。歯列矯正のワイヤーが愕然とした冷たい物質感を放ち、唇からは溶けて漏れそうな感情と、微熱があった。硬すぎる板は脆い。どこかにエラーがありそうなアプリケーションということではなく、物質的な脆さ。塑性変形するひずみを与えかねないと察知したため、雨の降る朝は、さっと身支度をしたように思う。初対面であろうが相手に対してちょっと深い切込みを入れてしまうことができる。私もそうだしこの女性もそうだった。深く切り込めるために相手をいきなりつかんでしまうわけだが、一方暴力的な面もあるのも事実だし、とらえた意識がまだ熱を持った生成されたばかりの場合、冷やして見えてくるその全体像を冷静に判断しないと、悪気はないのという言い訳をしたくなるようなそういう判断ミスを犯す。

 

同業種の女医はふくらみのある頬をしていて、笑顔がとても素直だった。外房にある実家には毎週末帰っているとのこと。関係をもってからはたびたび私もそちらにお邪魔してはお酒をいただいた。ブランデーをいれていただいて、すき焼きを祖父としたのを覚えている。3階建ての実家はもと旅館を改造したもので、広々としていた。海沿いにシェフを雇っていたレストランを経営し、バリ料理や豪華な海鮮をいただいたことを思い出す。錦糸町から2時間ほど揺られてつく単線の行き違いのあるその駅からは私鉄が発着する。昔は海水浴ではやったのだろう駅前の道をまっすぐいくと港に着く。花火大会やお祭りも参加して、たびたび泥酔していた。どうしてもとても幸せで私のような毒さのない生活を魅せられてしまうと、その相手を認める工程に移行するときに壁を感じてしまうことがある。どうしてなのだろうか。なにかスキーマがあるのだろうか。大涌谷から湯をひいた早雲山のほうに旅行し、仙石原よりか香りの強い温泉に行った。どうにもこうにも、行きの登山電車の車内でおいしそうにキュウリを食べている姿が印象に残っている。それからこちらは結婚をして、下町だが都心に出やすいほうにと引っ越しをしたが、その彼女も祖父を亡くし偶然だが徒歩で2分ほどのところに一時期引っ越してきて住んでいた。一度駅前の居酒屋で飲んだのだが、それ以降はまた引っ越したらしく顔を見ていない。いまもあの素直な笑顔ですくすくと仕事をしているのだろうか。まっすぐな勢いのあるものが海の上を動いた後にできる波が、しばらくたって勢いをなくし、波を打ち消しあうポイントが出てくる。そうすると周囲に波が伝播するわけでなくそのポイントでの上下動だけで波が生き残っているような感覚になる。熱すぎて入れない貸し切りの湯本温泉で、恥ずかしがってでも熱がっていた印象が、今思い返すとそれは静まっていく波を見届けた後の、しっとりとしたとても冷静な感情になれるのが不思議だった。

 

そういえば週末の金曜日に新宿駅から出る桃源台行きの高速バスに乗って、今度は透明の蛸川温泉に向かった。ゴールデンレトリバーのような、きれいな長い髪の毛をしていた女性だった。胃腸を崩していたために意識が外に向かわないまま、夜は雪の降る寒くくらい一日だった。お湯がちょうどよく、胃腸を温めてくれた。循環だが加水がなく、充実感のある湯だった。千葉に子供を夕方に迎えに行く女性は、午後の日の高い時間帯に一室でことをしたのだけれど、どちらかというと愛情による行為というよりか、快感を求めていたのか。20代前半の彼女は神田の鬱々としたマンションの一室でことをしたのだが、彼氏以外のものを受け入れることに危惧していた。こうした小刻みなやりとりが振り返ると過去に強弱のリズムを持たせる。

 

箱根温泉といえどもたくさんの源泉がある。

湯ノ花沢 湯本 箱根 姥子 底倉 蛸川 塔之沢 仙石原 大平台 二ノ平 宮ノ下 宮城野 小涌谷 木賀 堂ヶ島 芦之湯 強羅 芦ノ湖 

KKRのホテルに泊まらないと入れない木賀温泉や、谷の底への急こう配を降りて向かうロープウエイの廃墟を眺めて入れなかった堂ヶ島温泉などがあるのだが、なかでも透明で、お湯のこくと充実感は二ノ平温泉が気に入っている。中でも亀の湯という温泉銭湯は蛇口からかけ流しの温泉がでて、すいており、気の向くまでお湯につかれる。タイル張りの緩やかにカーブした湯船はデザインも秀逸で、意識が溶けだしていくような感覚になる。近いころだと午前中で仕事が終わりひょいと神奈川県の入り口からロマンスカーを捕まえ湯本からバスに乗り換える。達者にバスの並びを、知識豊富なおじさんたちが乗客を仕分ける。亀の湯につかってなにも考えないで体が暖まるまでをまった。昼食を食べていなかったためそのままランチの終りかけのそば屋で、ひょいっとはいってついついひっかけてしまって夕方になる。小田原まで下ってきたところでこのまま小田急で帰るには新宿を通過する元気がなかったため、東海道新幹線に乗り換えた。だれとも話さない一人の行動は、単に誰かと向かい旅行というよりかは旅に近いと思う。そのために記憶が比較的気体のような状態で残っていることが多く、客観的に言葉に整理しないために毎回思い出すたびにやや違う角度からの説明になってしまう。

 

掲示板がまだネットに出てきたころはみな携帯のアドレスや電話番号はそのままネットに乗せていたと思う。大学生になった私が知り合っていた茨城に住んでいた女性は、とても好きでいてくれて、私もそれが心地よかった。その地区に半年住んだこともあったために祭りや登山や、半同棲をして時間を重ねた。ある朝にトイレから出てくると彼女は無言で出ていったが、私がほかの女性との関係があるのを、携帯をみて知ったのであろう。曇り空のやや寒い朝だった。言い訳もできないし当人はすぐに出ていったために、その後はSNSを通して連絡をたまに取りあっていたが、こちらも結婚をしてしばらくして関係を持ったのだが気を許し妊娠してしまった。お金など工面しながら連絡をとり、つわりが旦那にばれないようにトイレで嘔吐しているとの連絡を受け、申し訳ない感情でいっぱいになった。そうはする手術の予定を入れていたものの流産してしまって、二人で名前を付けたのを覚えているし、おそらく誰に言うことでもなく、ふたりごとなのだろうなと思った。そういうことがあってからまた連絡を取らなくなったあと一度、彼女の実家のほうでご飯をともにした。ネットで出会った人とそのあと子供を作ったが離婚をするという。実質別居生活のようだった。私とはかれこれ13年ほどたっている。その時間からは、疲労感もあったのだろうが母の匂いが多少なりとも感じてきた。

 

部活で知り合った後輩はよく慕ってくれた。とても秀才で群れることは苦手そうだが、群れないことによって嫌われたりにくまれたりはしないであろう容姿と対応をするっとこなす。お茶の水を通る丸ノ内線茗荷谷駅の前の大きい通りをいくとコンビニがあって、それを目印に谷へと下る。下って右に曲がってある一人暮らしのマンションに暮らしていた。行くときは夜から朝にかけて。狭い一人用のベッドでこなした。今は静岡のほうで彼と暮らしているという。学校でみていた水色の制服が自宅の洗濯かごで裏返しになって入っているのを覚えている。

 

手の甲から腕にかけて筋を感じるときに右手の人差し指にある仕事でできたまめを触る癖がある。そのころだいたい疲労をしてくる週末はまぶたに軽いけいれんが起きる。つらいというよりか疲労に浸っている。だから、たとえばその前日にアルコールを摂っていただとか仕事でオーバーワークをしていたというような身体状況のほうが浸った際の心地は良い。

基本的には日曜日を休みとして月曜日、火曜日と乗り越えていくと水曜日あたりから感覚が開く。そして金曜日を乗り越え土曜日はだいたいお酒を飲んでいる。外向きの浮上していた間隔は週末にくるむように気持ちが内向きになる。そうして日曜日を迎えて空は曇りなのにもかかわらず電車で一時間くらいの干潟に向かった。気持ちが内向きになる土曜日の夜は地方での仕事のあとに女性と飲んでいたのだが、気分が良くなったせいか、一人の時間でもお酒が飲みたくなってウイスキーを帰りの車内で飲んでいた。バーボンかスコッチかとなったときにバーボンの華やかさはちょっと似合わない。と内向きになったときに感じたのはスコッチのほうの熟成感だった。そんなことがあった翌朝だったので、干潟に行く途中におなかがすいたと昼過ぎからやっていたお寿司屋での一杯のビールが胃腸に回って、急に眠気に襲われた。梅雨の時期の曇りの日の車内はすいており、冷房が効いているせいか回ったアルコールを冷やしてくれた。つく頃には冷めており、干潟までの商店街を歩く。昔は巨大な遊園地だった名残として残っているバラ園を目指し、当時はなかった高速道路をくぐる。商店街は当時にはなく、最寄り駅がなかったために支線を伸ばしていたそうだ。現在は駐車場とその残りは草地になっている。後で調べたところその廃線跡は、線路に沿って土地が売られたために、支線が本線からずれていくカーブの部分には、そのカーブに沿ってまがって建物が建っているようだった。当時の航空写真と同じレイアウトのバラ園は、ところどころに女性の像が設置されていて、土台が何回も塗られた厚化粧をしたピンク色をしている。おそらく当時からあったのではないかと思ってしまう。

3割ほどしか咲いていないバラを一通り回って出口を出て、航空写真でみるにジェットコースターが上を突き出して走っていた干潟のほうに歩く。海とは二本の水路でつながっている干潟は、満潮と干潮とで生きている。重たい湿度の高い空気は塩臭さを含んでいる。カモやサギ、トビハゼカニが悠々と生きている干潟はショーケースというには大きい。遠く干潟の一部を高速道路やJRが横切り、周囲に平成初頭にみられたような団地やマンションがそびえたっているのをみていると、なんだか生きたジオラマに立っているような気分になった。雲行きが怪しくなってきたとふと気が緩んだ瞬間に、結構な豪雨に見舞われ、足元はぬかるんだが、歩道にあった木の下で妻と雨宿りをした。心なしか我慢の時間ではなく、こころのほぐれるような緩んだ隙間にしみこむような、そういった雨であったのだが、木の下にいたことで強く降る雨とは壁を持っているようで、音も反響し、かつ視界には豪雨の中でも悠々と食事をしているカモたちがいたからかもしれない。15分ばかりしてやんだ干潟では鵜が羽を乾かしていた。

 

サブカルというのか、ロリータ系というのか、ある特定のブランドがすきだという彼女も同業で、常磐線の各駅停車が止まる駅を降りて左に曲がって大通りまで進む。突き当りを左に曲がったところにマンションの買った部屋に住んでいた。自分のことをあまり話さずどちらかというと日々の浅い面白いことイラついたことなど、すこし距離のある当たり障りのない内容をいつも楽しげに話しているため、夜が深くなったときに意外とわたしは彼女を詳しく知らないことに気が付いた。大晦日の夜に二人でお大師に向かった。案の定寒く、支線を降りて参拝の列は行列だった。ただ、列で並びながらも出店の出す熱や、まんじゅうを吹かす蒸気といったもので温かさはあり、なにより列になっている人たちが熱燗でも飲んでいるようなそういう温度感でいるために、そんな寒さは感じなかった。すでに年明けをして程よく過ぎたころ、警備員に誘導されて参拝を終了し、多少の安堵で階段を降りた。そこここに明かりのある深夜帯は活気もあり場所柄か若者が比較的堂々とかっ歩しているのが目につく。終電もない時間にしかしなんとなくうちにこのまま帰るものつまらなくなり、実はそのころすでにその彼女とは疎遠になっていたが、昔から地元にあるのにも関わらず初めて入ったやきとり屋の油のしみこんで丸くなった木の机でつまんだのち、なかなか来なかったがタクシーを呼び、終夜運転区間までぬけて、うまく接続があったからよかったものの、車内は疲れて帰る乗客の熱気とだるさを感じながら彼女の部屋に帰った。そのやきとり屋は東京をまわる環状線の道沿いにあるのだが、ラーメン屋しかりだが環状線沿いのお店というのはどこか同じ空気感を持っている。参道の周りにある屋台のようなものに似ているのではないかと思う。人生で大晦日からの年明けは何回経験するかわからないが、印象深い夜になったことは間違いない。しばらくして結婚をして妊娠したとの連絡があった。なにかいつも父親のような椅子でいうと肘置きのようなものを求めていたのではないかと個人的には深層で感じていたのだが、それに見合う旦那さんなのだろうなと感じた。

 

大学生の時に後輩の女の子をつれて北千住のワインと煮込みというキャッチフレーズで、おしゃれな居酒屋に入った。後輩となるとまして20前半で、膝上のスカートは酔ってきた赤ワインの回りも早く、そのまま泊まった。それから温泉がメインの湯河原の温泉宿にいって近くのイタリアンで食事をして、ちょうど海岸で花火があったから見に行った記憶は青春のような酸っぱさがあったし、千葉の山奥の温泉に行った時もほどよく酔ってたのしい思いでしかない。かれこれ10年弱経って性欲のためだけに会うことがあったが、強いて場所を洲崎の中にあるビジネスホテルにした。ここは以前洲崎という赤線街のなかで東陽ホテルといういろいろな空気感を背負ってやっていた建物で、いまは大手のアパホテルが回収しているが、改修して運用しているために当時の空気感は残っている。

いつからか赤線街というものに興味が出た。特にカフェー建築という、戦後、RAAが立ち上がったころに赤線街に乱立した張りぼてのような見た目だがお茶屋さんということで運用していた建物で、扉が斜めだったり、手すりが斜めだったり、豆タイルを多用している、また窓も特徴的で、外壁の塗装も胸をつくものがある。とても妖艶な建物やシックな建物や、とてつもない空気感で見るものを圧倒させる。今のシステマチックな建築物とは全く違う。

改修されたそのホテルは、壁面の隅や床、あるいはエレベーターに当時の趣を残していた。また扉を開けるとすぐベッドがあるという昔のラブホテルのような作りも気に入った。初夏だったと思う。

 

研究室の打ち上げで大学近くの今はないイタリアンで食事をした。評価の高い街のイタリアンで、基本的に暖色の室内で、白ではなくクリーム色、茶色ではなく焦げ茶色、緑ではなく深緑といった色にコクがあるのではないかというくらい、長年の使用感も混ざって感じる室内だった。おそらくずっと作ってきたのであろう味わいに自信と強さを感じる料理を、

比較的若めの白ワインでおいしくいただいた。解散後近くでホテルを予約してあったため、向かった。すでにコースを食べていてからのロゼワインは結構まわったように思う。薄暗い部屋で一緒にいた彼女は社会人から学生になり今は同業だ。改めて二日酔いの私を助手席にいれて臭いと笑われながら群馬県の温泉に向かったのを思い出す。渋谷の個展会場での打ち上げの際に来てくれた彼女が途中で帰宅したものの学生時代からの付き合いの女性と展示にかかわってくれた医学生の女性と3人でその夜は川の字で寝た。下着をつけてないなどとけらけら笑っていた声を聴いて、そのまま眠りに落ちた。翌朝はすでにだれもおらず、炊飯器が不調ということだったが、ばりばりに固いお米を食べて、すでに太陽は上のほうになっている吉祥寺を渋谷に向かって井の頭線にのった。本当であれば朝10時につく予定だったが、とうに午後一時手前の影を作らない太陽の位置が、来訪者に会えずじまいだったことへの申し訳なさにも影を作らなかった。来訪者は個展の会期の頭に訪れて興味を抱いていたようだ。その後その来訪者の個展に向かった。たしか恵比寿駅から代官山のほうに進んでいく途中の交差点をまがって、やや坂を上がったところ。昔からやっているのであろうママさんとこげ茶のつやのあるアンティークのもつ風格が圧力として感じるような空間で、彼女独特なタッチと感覚的な色使いで描かれていた。自分のブランデイングもできていながらたまにテレビに出たりする彼女は、ビジネスにありがちな顔つきや話し方、例えば会話の時の歯の見せ方などがあると思っているのだが、一切感じさせない。ファンクラブがあるから働かなくても定期的にお金が入る。ということばをいつか聞いたが、それはこれから数か月たっての話だった。渋谷から246を三茶方面に向かう通りはどうしてこう世界観が出来上がっているのだろうか。写真関係でお世話になった会社があるため何度かこの通りを歩いたが、行きずりの、しかもいざ向かったら比較的散らかっていた部屋で行為をしたのは三茶の交差点から少し奥に入ったアパートの二階だった。ふと、カメラが趣味だった控えめな女の子も三茶にいた。当時買い集めていた古いドイツ製のレンズを欲しがりそうに触っていたのを覚えている。ふわふわした柔らかいシートをソファにかけて、透明の板の机の上にそのレンズをのせるときは、傷つかないものかとひやひやした。会話中の突っ込み方や、ためてから笑う笑い方は特徴的だった。かたやいきずりのほうがお土産としてどこかにつけまつげをつけてきてしまったことに気づいた。そんな三茶の記憶は246を渋谷から向かう頃にはまだ匂わない。来訪者の彼女の部屋は渋谷からタクシーでワンメーターの距離だから、酔った後はタクシーで、そうでないときはあるいは朝は徒歩で渋谷駅に帰ったが、どうにも車線が多すぎてわたるということが億劫になった。都会の一人暮らしの生活だった。良く騒ぐ犬を飼っており私の下着をやたら咬むのだった。時間があったのか、前日夜に向かって泊まった翌朝にみたテレビでチキン南蛮をやっていて、その日の昼にはもう彼女が作ってくれていた。どうしてこうもおもてなしてくれるのか不思議でならなかった。なぜだか彼女の部屋の窓のカーテンは開ける気になれず、おそらく目の前には高速があるのだが、曇りの日の朝などはベランダの緑がすこし開いたカーテンの隙間から見えており、近辺を高速で車が通過しているとは感じられない光景だったと思う。拠点を四国に移すと聞いたとき私も来ないかとさそわれた。まだこちらは東京でやることがあったため断ったが、その後距離がおのずと空いた。予定が空けばこちらは違う感情を日常に織り込んでまた生活するのだが、非連続的な周期で会ってはいた。行為を終えるとお互いなにか感じたようでそれ以降は会わなかったのだが、最後は新宿の西口の高層階のレストランでご飯を向こうの誘いでしたのを覚えている。その際にもらった誕生日プレゼントの手袋は奇しくも私の手には小さく、いまは嫁がしている。女性の香りというよりもどこか生き物の香り、また絵の具の香りがしていた。絵画制作をしているためかところどころ爪に塗料が付着して、そもそも肩が張っているようなそういう信頼感があった。

 

高速鉄道にのればそんな遅くにはならないのだが、横浜にはすこし早くついてしまうと思ったために考えて、それなら南へ直通する鉄道に茨城県にいるうちからのってしまおうと思ったのは時間的には失敗だったが、この工程変更のために気動車に乗ることができて香りをかぐことができた。いまだ朝は旧式の気動車をどうにか改造した形式も走っていると知っていたが、夜にはさすがに車庫で寝ているか、と新式の車両だった。2両編成か1両編成の運行スタイルにもかかわらず複線区間もあり、立ち客がでるほどの込み具合。空気輸送などと国鉄時代に赤字路線を整理していた時代揶揄された言葉があったと思うが、対照的に生きた鉄道路線だと安心した。乗り換えた常磐線から東海道への、東京と上野の間の仕切りを解いた鉄道を使うことは非常にストレスがなく気に入っている。当初は始発駅が通過駅になると危惧していたが、1970年代の鉄道雑誌にニューヨークの地下鉄のように循環路線に中・長距離列車が乗り入れてくるべきだ。といった文章を思い出した。大阪環状線はそうか、乗り入れてくる路線もあるのか。と対比して東京のとてもしっかりとした山の手線の厚みを感じた。疲れもあったのだが関内の彼女の部屋であけたワインは二杯ほどで酔い、時間も遅かったため就寝の手はずを踏む。シャワーを浴びて整った彼女はまた柔らかな皺をみせ、身体に柔らかくコンパクトにまとわりついた。7時台のそのあたりは通勤で街に来る人たちが、日差しがまだ上がりきっていない夜明けの味をそこここに残した街中を、住んでいる土地の味を歩きながら混ぜていく。こちらはそれとは逆方向に駅に向かっているものだからすれ違うたびに種々の味覚変化をマスク越しに楽しむ。

 

東京を震源地とした感染が広がっている。そのため東京から地方および郊外に向かう身としてはなにか感じるところが出てきた。特に第二波では、スタッフのほうから東京からくる私と接触したくないという考えが出てきた。そのためスタッフに濃厚接触にならないように隔離して仕事している。なにか第一波のころから引っ掛かっていた部分が見えてきたのだが、それは当事者と傍観者の違いなのではないかと思う。対岸の火事のような視点で見ているエリアに当事者が行くとなにかしら心情のすり合わせが必要なことが多い。当事者のエリアにいるうちは感染していないが極力防ぐような行動をとる必要があり、傍観者のエリアに行くときは自分が感染しているという考えで行動するという、マインドセットの切り替えが必要となった。日々刻々と考え方が変化しているいま、おそらくみな立ち止まって考えることがなくなってきているように思う。特に毎日発表される感染者の数字は、引っ掛かっていたことがクリアに気づけるようになるまでの日数を要しているように感じる。

 

二回目。同じ事柄を1週間後に文章にした。

どうやら東京をもとに感染が広がっている。映画のような本当の事実だが、これは東京に住んでいる人を当事者とさせた。それ以外は傍観者の視点を国民に与えているのではないかと思う。東京に住んでいると毎日の陽性者数やこまごましたニュースがはいる。政府は東京を除外した政策を、愚策だと思うが発表をし、経済をまわしたいと必死なのがうかがえるも、意外とお盆のころの東京の当事者のマインドセットは自粛のようで、安心を覚えた。心持ちとでも訳すのだろうか、東京に住んでいる人というタグを張られているため、傍観者エリアに行くとそれをひしひしと感じる。区別はされるべきだとはわかっているが、その精神状況はどのような考えで持っていけばいいのか難しい。理論でわかっていることというよりか、なんとなく感じ取ってしまうもやもやとした黄色かグレーがかがったそれを掌に受け取ってしまうのだった。対岸の火事ということばは、傍観する特権を表現した見事な表現だと思う。この傍観していた人間と、当事者の人間が混ざるときにあらかじめすり合わせを行っていないと、比較的なまなましいものが露呈しているように思う。

 

 

予定より30分ほど早くホテルにチェックインして、運び湯だがぬめりけのある、適温の温泉に浸かる。先日ほかの女性泊まったビジネスホテルだが、今回は別の女性だった。癖のないような配色とアクセントに自然の緑を壁に配色するエコ感をだす内装は、たしかに重たくもなく居心地が良い。部屋も古すぎず配色も薄い色が多いのでストレスを感じにくい。その後汗をかいた後の彼女は外出したくないといっていたがどうしてもお酒が飲みたくて、近くの居酒屋ですこし酔いが回るくらい飲んだ。そのころには彼女も楽しかったらしく、しかし部屋に帰るとすぐ寝てしまった。翌朝、案の定すこし水分が足りない身体に気づいたがけだるく、しかしそのまま出勤した。後味がさっぱりしていてどうしても残らない。強いていうなら汗のにおいの記憶はあった。すこし早めに午前中の仕事を終えてバスで30分ほど県内を北上する。梅雨明けの湿度がある暑さであるが、バスの車内は心地がいい。うとうととしながら時事ニュースをラジオで確認して、午後の勤務先へ。その後はまたデイユースでとったホテルで別の女性と落ち合った。

 

男子高校生だったころの教育実習の先生との連綿としたつながりは、こちらが既婚者になっても続いている。だいたい一年前に埼玉県の奥にある神社に一緒に行ってからまた一年がたった。中身を気持ち少なめにした仕事かばんを引っ提げて出てきた私は、なんとなく外の空気がお盆の時期にあるすがすがしさと朝の空気にほっとしていた。同じように池袋駅で落ち合い一年間の出来事をざっときく。元教え子と付き合ったが、おそらく精神疾患をもっていて、父親もおそらくDVだった。そういった彼氏とその家庭から警察の手を借りて逃げた一年だったようだ。時たま私のSNSに彼女からの連絡が来ていて、なんどかやり取りはしていたため、その流れをなぞるようにはなしを当てはめて、おやちがう?という部分は聞き直して修正をした。渦中の当時はまるでねずみ講か宗教の中にいる人間をこちらに呼び戻すように訴えかけたが逆効果で、最終的には権力のある第三者、警察が介入して彼女は現実に戻ってきた。一年前の帰りの西武特急でその彼と付き合ってみるかどうか悩んでいた彼女に、付き合ってみたら?と提言してしまったこと、そして神頼みをして帰ってくる車中での話で、それがどう転ぶのか、取り返しのつかないことになるのではないか?と一年の間考えている時間が多かった。ただまたこうして早朝の池袋駅で会えたのは正直なところ安心した。特急車両は新しいタイプに変わっており、それもまた安心できた要素かもしれない。彼からの暴力やことばによるハラスメントを受けていたころ、逃げ出せるチャンスがあり、こちらとしてはいてもたってもいられずに相模原の仕事終わり八王子に抜けて、彼女と会えないかと思って連絡はしていたものの、結局会えなかった思い出がある。感染症の第一波のころだったために、待つといってもお店はすぐ閉まるし居場所がなく、栄えていないほうの駅前のロータリーにある丸いベンチで時間をつぶしたのを思い出していた。特急はそのままお盆なのにもかかわらず空いている特急は飯能で向きが逆になり、緑の多い山岳地帯へ進む。進行方向と逆というのはなかなかないなあと思うが、実に緑の中に吸い込まれていくようで不思議な気分になる。トンネルに入るとリズミカルにやってくるトンネル内の蛍光灯に気を取られる。接続で時間がなかったが、神社まで向かうバスだけは混んでいて、ぎりぎり座れた。私の場合、感情は言葉にするものではなく、もっとエネルギーの高いもやもやとしたどろどろとしたようなものに例えて感じている。それがうまく言葉にはまれば表出するしそれがなければそのまま、ことばにならない感情はいくつもの空気や色、時間軸をもってしかも同時に数種類はいくつもやってくる。自分のそういった感情以前の感覚をもって生きていしまうことが日常的であって、そういった甘い認識力のまま他人の意識を感じている。だから他人の感情を察知することは比較的たやすい。一年ぶりに会っても神社につくまでの3時間ですでにその認識できない感情たちは、彼女のもつ認識できない感情と合流をして、少しずつ乾いていた小川に水が流れていく。さほど流れは速くない。どちらかというと流れ出す水がそこここの小石や木々を確認しながら領域を湿らせていくような、そういった速度だった。暑さが感情を干上がらせるため、神社につきご祈祷していただいているときに私は入り口あたりで涼んでいた。鳥居をくぐって右側にある屋根のついた木造のベンチはお気に入りで、一年に二回くる(わたしも後日ご祈祷していただくために来るわけだが)と必ずこのベンチに座る。艶消しの木のベンチには緑の匂いが染みついており、山の上から神社を漉いてきた風を浴びることができる。その帰りがてら地元の居酒屋でシンプルな鶏肉をやいた料理を、これまた炭酸のぬけたハイボールで流していたが、このころにはとくに感情を固めなくてもつながっているだろうなという感覚に浸かっていた。とても心地がいいのだが、どうしてもその後帰宅すると流れていた小川は必ず途絶える。そしてまた一年か、渇いていく。乾いていくときに起きる物理的変化に対して心は疲労するものらしく、帰宅してからいきなり酔いが回ってしまってまだ21時だというのに寝てしまった。

 

意識が萎縮していく。関心を殺していく。そうして無関心な領域に持っていきたいのにおしてもつぶれ切らない感情はその蓋の下にまだある。そうしたイメージがまとわりついて、見破られるのが怖いのか、目を合わせられないときがある。どうせなら夏の終わりくらいであればまだ気持ちは楽なのに。と熱いアスファルトに乾ききった土が混ざっているあたりに目をやった。

 

大学生のころにいまでいうとフッ軽というのか、さまざまにつてを持った女性と知り合った。その後一流企業に就職するのだが、まだ大学生のある夜に突然連絡が来て泊まることになった。新宿の隣町で部屋に向かう前にどこかで軽くイタリアンを食したあと、吐息がアルコール交じりの状態でデザイナーズマンションというのか、部屋に向かった。赤い丸い手すりのある階段を上がって二階だったか、コンビニに歯ブラシをその後買いに行った覚えがある。汗のにおいがなんとなく残っている夜で、ソファで事をした。翌朝、何事もなかったかのように座っていた。あまり感情が出てこないのだろうか。そこが読み取れない。ことさらその最中の記憶がないのは、酔いのせいかわからない。ただ、通して感じるのはおそらく好意があったのだと思う。転職で大阪に行ったのちまた東京に帰ってきたときにも、私は既婚者となっていたが家庭的な焼き鳥をつまみにして近況を聞いた。生活は比較的表裏のないような感じを漂わせながらも、ナイーブなかたまりをどこかに携えている。そんな印象であった。天性か、楽しく仕事ができてしまうし、みなうまくやれているところで、帰宅すると一人の空気を出しているのか。ただそれをさみしがり屋というのか。大阪に彼女が住んでいた時にどうせお互い三が日は暇だからと高山の温泉に泊まったこともあった。こちらは新宿から高速で松本に向かい、そこから行き違いすら難しいような道で上高地を越えて飛騨高山に向かう。そこからJR高山線で南下した小坂という町で温泉に泊まった。天然の炭酸泉でぬるく心地が良かったのを覚えている。翌朝あまり詳しくは覚えてないが、特急ではなく普通列車で名古屋に降りた。ちょうど帰省ラッシュにあたり激込みの東海道新幹線に乗ることとなった。時間を合わせて、静岡でひかりを下車し数駅は夕方の静岡駅から出る地元感のある普通列車で揺られて富士のほうに向かった。静岡の企業に勤めている彼女とは、彼女から東京に来て泊まったり、あるいは私が静岡に行き泊まったりした。3か月ほどか。すらっとしているのに愛嬌があって賢そうな彼女はもうすこし都会に住んでいてもいいと思うが、海沿いの商店もない駅が最寄りだった。研修で東京駅近くのホテルに泊まった際にこっそり私はその部屋にころがりこんで、狭いシングルで泊ったことがあったが、その後すぐにそのホテルは老舗にもかかわらずすぐに廃業していた。記憶が比較的まだ生もののうちに記憶の生じた場所が現実からなくなってしまう虚無的な感覚を、場所と記憶とを結びつけたくなる性質が私にはあるのだと気づかせてくれた出来事だった。ある日付き合う気がないと悟った彼女は突然別れを告げてそれ以降連絡はない。新宿のアパレルで店員をしていた妹さんは元気なのだろうか。モンクレールの暖かそうな黒いジャンパーを羽織って、細い体を温めていたのを思い出す。

 

東京大学を出て丸の内OLをしている彼女は、実家が富山で酒造をやっている。なんとも言えないギャップを覚えた。仕事上がり東海道線グリーン車の二階に乗り込み、帰宅するサラリーマンの傍らビールと駅弁としばらく盛り上がった。おしゃれなのか黒い帽子と、まだ20代半ばだったと思うが、モノトーンの服だったように思える。今思うとその服装でOLしていたとは思えない。宿についてひととおり楽しく戯れて、お互い酔ってしまって朝を迎える。若かったからか性欲はあったため、朝の眠気もあったが事をした。横になっており彼女の頭のさらにその上のほうに、昨日かぶっていた黒い帽子があり、小顔の彼女にはその帽子は少々大きいのではないかと、チェックアウトまでの時間で考えた。その日はもともと彼女には別の用事があったため朝のうちに別れる予定だったが、なくなり、昼前の湯河原の海を眺めて、感慨にふけて、暑いねなどと浅めの話をしたが、どうしてもお酒の力も欲しくなってしまい、となりの熱海の町で昼過ぎから酒をあおった。東京についた記憶は今ではもうなくて、それ以降連絡は途絶えたまま。それがより一層に断面をレアな状態でみせてくる上質なお肉ではないけれど、記憶にはまた血流が流れているかのような温度を持っている。

 

写真の個展に毎回来てくれていたすらっとした、猫のような長髪の女の子がいた。色が好きだといってくれたのを覚えている。大学終わりにお茶の水の裏側になる湯島のこじゃれたバーで会ってそのまま池袋に向かった。西武線沿線に住んでいたと思うから、私は彼女のうちのほうに送ってあげようとしたのだろうか。だけれどまだ飲みたいとのことで二件目に行ったが、この段階で終電を落とした。池袋は北口に休憩で3000円の撮影でつかっていた、シンプルなシテイホテルがあったのを思い出し、そこで泊まった。

 

ある日性病に感染していた女性がいたため、私と嫁も検査をした。どうもこうもいいくるめて他の女性とは遊んでいないとしたうえで判定が私は陰性で嫁は陽性であった。こうなるとわたしも、陰性だから今はいいが、妊活をしていたことからすると十分に感染していた可能性は十分にある。となると、時期的に可能性がある女性たちに言わなくてはいけなくなってしまった。意外と覚悟はあっさりとできたもので、淡々と、ラインで送ることができた。好き嫌いがはっきりしてきたと嫁に言われて、そうなのかなあと思い返してみると、好き嫌いがはっきりしているよりか、覚悟がすぐできるようになったのではないかと思う。ここでも傍観者から当事者になるとそれぞれで対応が異なった。総じていうと私の性欲がさらになくなった気もする。そんななかすぐ看護師の彼女はとくにわたしにネガテイブな面を見せずに検査を受けてくれて陰性だったとのことで、改めて会うことにした。ちょうど温泉に行きたかったこともあり、山形での勤務を終えてすぐにビールを飲み、福島で下車をして、新幹線の改札をでて右側のベンチに座って待っていた。そんななか横浜のマンションの最上階に事務所を構える女性と比較的並行して会っていたが、どうもそちらには私が合わせている部分が大きいと気づいた。これは好きか嫌いかというと非常に難しい。だれしもしかし、好きな人であろうと、会うときになってちょっとしたメンドクサさを感じるのではないか。私は会う当日に、会う人とのやり取りが減る習性がある。それはなんだろうか。めんどうなのか。そうしたことを繰り返しているうちに昭和の古びた温泉で、実は風呂上りに廊下にゴキブリがいて、隣の部屋のドアを掻い潜り侵入していったことは隠し、白ワインに浸って就寝した。

 

素泊まりだから朝食はなく、睡眠を満たした後に性欲を満たし、まだ夏の暑い福島の温泉地を散歩してたどり着いた朝からやっているカフェはお休みだった。通りがかりにパン屋があったのを思い出し、そこでいくつかパンを買った。帰りがけにもっていた温泉地の案内地図が風で破れ始めているのをみつけた亭主が、新しくくれたが、その彼女は交換したいとなかなかない選択肢を亭主につたえ、空気がすこし笑ったように思えた。この才能はなかなかないと思う。けろっと本人はなんで?と言わんばかりの顔をしたが、平日朝の温泉地の、もと赤線の目抜き通りのはずれにある、扉を開けたら所狭しとパンが置いてあるに近いそのパン屋で、よそ者を相手に固まっていた感覚が一気に流れ出す瞬間だった。予期せぬ感情の溶出は多少なりとも屋外の暑さにまた固まることになるのだが、幸福感を感じるほどで、しばらくは感じてなかったのでなかろうか。その後温泉地から30分弱の私鉄でパンをほおばりながら、また転倒してしまった婦人に気遣い絆創膏を自然と貼りに行く彼女をみて、また気持ちは溶ける。看護師だから自然とできるのかとも思ってしまう部分もあったが、戻ってきた彼女の顔をみて、そういえばこないだ彼女本人も自転車で転倒して絆創膏を顔に貼っていたことに気づいた。幸福と笑いと。本当に心が温かくなった。福島駅についてそれをみていた他の乗客からありがとうと言われている彼女は、してやった感もみじんも感じさせず、私もこのあいだ転んだのでと笑いを誘う。二両しかないホームでは改札口までが近く、幸せな会話を眺めるのもすぐ終わってしまった。帰りの新幹線ではすやすやと寝ている彼女が記憶に残る。実はその2週間後に、朝の患者がキャンセルでゆっくり来てくださいと言われ、私は取手から朝しか走っていない旧型の気動車に乗るために迂回して職場に向かった。ちょうどよくそれは入線していて、扇風機が全速力で回っている。ラッシュと反対方向のためすいており、一番先頭の3人掛けほどの椅子に座った。向いに、露出の多い若い女性二人が乗ってきた。昨晩の空気感を引きずっているようにも見え、酒は引いているがまだ体調がよくないようにも見える。そのためかすぐ睡魔に襲われて寝てしまった。気動車は走り始め、旧型であることと線路がよくないために上下によく揺れる。それでも彼女らは熟睡し、最寄り駅ではっと目覚めて急いで降りた。スマホが椅子に一つ。視野の左側にあったがすでに扉は閉まってしまっていて、私はスマホに目をやっていたためスマホを手にして、窓を開け、渡す行為もできたのだが、そういった気持ちを持てずに殻に入ってしまっていた。幸い運転席の後ろだったため彼女らが座席を見つめるのを気づいた運転手が再度ドアを開けて万事休すだった。対照的にわたしはどうしてこういうときに動けないのだろうかと本能的な部分での感情の動きを責めていた。おそらく看護師の彼女ならそのようなこと当たり前にすぐに行動に出ていただろう。偶然にキャンセルが出て私がその路線を使ってかつ乗客がスマホを目の前で忘れる確率は大したものかとも思うが、こういうたぐいの偶然性は神様のレシピだと伊坂幸太郎から学んだ。振り返ればこういうようにしか生きられなかった時間の流れが生まれていることに気づくときがある。どうしてこうなったか、隙も入らない偶然性と無意識に決定して時間を歩んだ道筋が、一本しか見渡せない。

 

言語以前の感情の世界で考えていると気づき始めて、いまは他人の考えや感情をなんとなく接するうちに嗅ぎ取っているのだとやや確信めいている。以前はそんなことないよと自らを消して対応していたが、やはり感じてしまっているのかと思う場面がある。打ち消すことで相手の感情を変えることができるかもしれないが、変えたい相手ならすでにそうしているか。と進んで別れの方向へ、感情で言うと無関心へ追いやる機会がある。ちょっと前まで触るとひんやりするすべっとした木の板の机には、傷がつかないように透明なシートが張られ、その触感を感じることはできない。そうしたようにちょっとした3週間の間の感情の変化が、どうにも私の感情にふたを作り始めている。相手もそれは感じるところがあるのか、二週間たってからはそれを如実に感じ始めた。面倒。という感情に追いやることで無関心を作っているようなそういう構築をしているように感じる。会いに行く通常通りの出迎えではあるが私も気持ちに皮を感じた。それは自分から作っているのか、瞬時に相手からにじみでた薬液に反応したのか、それはわからない。皮がなんなのかというと、疲労感とそれから身を守るための厚みは薄いのだが結構しっかりとした透明なものではなかろうか。恋愛の始まりのころは相手と自分がどれだけ感情が同じになれるのか、一緒にいる時間がとにかく楽しいと思うが、それが過ぎたときに違いをどう認識していくかだと思う。若いころはそれをマジックが切れたころのように思っていたが、どうもそういうことらしい。

 

フレーミングということばがある。認識をし直すといった意味合いだ。なんとなくだが特に前向きな人というのはこのリフレーミングした際に考え方を刷新しているのではないかと思う。あれだけ感情を持っていかれていた横浜の最上階に住む彼女は同時に経営能力にも優れていると思うが、そのリフレーミングがうまかった。と思っていた。ただ、再認識する際になにか漏れ出ている部分があることにもすこしずつ気づいていた。たとえば砂を救ったのだけれど多少は、一部分が漏れ出て、感情は冷え固まる前に葬られていく。だからなにか本人の前向きさに虚無感と影が少しある。本人は感じていないのかもしれないが。行きつけのお店でビールを飲んでいた際に酔ったお客に手相占いを見てもらった。みてもらったというか見せてほしいといわれたのだった。以前北千住のしゃれたカフェで占い師の女性と話したことがあるが、予想通り席に来た酔った占い師も個性が濃かった。二人の柔らかな時間の上に乗っかってくるような圧力だった。そこで二人とも似ているわよ、繊細で。と告げた。彼女はそれを否定したが、こちらはそれが腑に落ちた。その虚無感と影は生活のどの段階で回収しているのだろうか。私といた時間に回収していたのだろうか。会わなくなって、あるいは関心がなくなってために気づいた面であった。

 

夏も終わりに近い暖かい日は、さて秋の始まりだと思わせる空の雲の速さと透明感、また風の温度に皮膚が固まるときの、対比的に必ずといってもいいほど思い出す側近の記憶だ。

 

高校時代の教育実習の先生からの、「ひとりのうちにまた」ということばが引っかかっており、すでに両親ともを知っている私は、その日山形駅に向かうタクシーをバスターミナルに終点を変えてもらって、仙台行きのバスに乗った。小一時間の高速バスは毎週のようにつくばから乗っているのだが、始発も終点もなじみがない街であるために、家に帰るためにのるのとは違うためか、心が乾いている。帰るというときに電車やバスに乗っているときに、心が潤っているような気持ちが相対的に認められた。山形県宮城県の境目の山岳地帯をくねるように、しかも高いところを走る。カーブした高い陸橋を超えて次の山のお腹にあいたトンネルに突っ込んでいく。日暮れから宮城県に入ったころには夕暮れとなり、トンネルから上がるといきなり市街地にでた。関東平野の首都圏に慣れている身からすると変化が目まぐるしい。身軽でよかったためにさっそうと知らない土地の繁華街を歩くときはいくぶんだいぶ遠いところにいるようだった。少し腰を痛めていたが白ワインの酔いで鈍感になったまま朝を迎えた。すこしの交わりをもって、まったりとした時間が過ぎていくのを感じながら右足に冷や汗が、湿度をもって感じていた。

 

振り返って気づくこととしては、非常事態宣言を出すときに国民が政府に出させたような感があった。あのころを考えてみると、健康な自分がいつ感染するかわからない恐怖や不安で、自分以外の他人をどう制御するか、社会が止まることよりもそちらが強かったように思う。その際に他人の制御を自分から行うのではなく政府という強い力で外的に抑え込む。これに頼るという意識の流れは、個人という当事者の立場から傍観した社会を束ねる空想のポジションから制御をしたいという思考の足りない行動と、その後に自らの社会の制御に巻き込まれていく当事者であることとのギャップを作っていったように思う。専門家の意見を仰ぎたくて必死だったように思うし、いまもどうしていいかわからない場面が多い。どうしてもっと勉強して考えなかったのか。そういったところで依存してしまう便利さと、思考を止めてしまう危うさを思う。

 

あとがき。

数学としてとらえれば横の時間軸をもってきて、今を規定すればそれより前は未来、後ろは過去。そういうイメージに固執していたが、過去は今だから存在していることを時間軸は殺める。過去をどう理解してとらえて、表現していくか。たとえば通時的な記憶の塑性がおきる。市ヶ谷駅から四ツ谷駅の線路沿いの堤防を暑い夏の夜に虫さされ防止スプレーと、ほの暗い光の中、どうやって四ツ谷駅につく前に手をつなぐのか。そんな思い出をそこに行くと思いだすし、途中にあったブランコで楽しんでいる彼女を思い出したりする。ただ、それがすべてではない。例えばそこに実際行くともう少し詳細に思い出す。今はないブランコの跡地は四ツ谷駅手前じゃなく市ヶ谷駅寄りだったな。とか。そうすると、いま生きている私が過去を語るうえで、今の現実世界が私の中の過去を溶かしだしていく感覚を思い出す。これを過去の溶出、もっといえば生きた過去なのだと思う。日々の生活の中にタイムラインで流れてくる情報を一方的に、流れてきたそうめんを止めて食べるわけじゃないがそういった感覚でつまみ食いしている今をいきる日々は、場当たり的でいましか連想させない。一か月前のニュースはどうなっただとか先週の思い出を振り返ってお酒を嗜むとか、そういうスペースを心に感じない。どちらかというと過去は写真や文章にして投稿して葬るようなイメージになる。たまにいまから掘り返して過去を生きたものとする行為が人生の細部を考えたときに必要なのではないかと思う。

そう。感染症がとても流行ったために、外出もままならないのはわかっているのだが、4月初旬に目抜き通りの一本奥の道の交差点で、なんとなく風に吹かれて女性を待った。多少の罪悪感があったのだと思うが、意を決してお店を探すもなかなか断られ、近くの窓のない居酒屋に予約が取れた。

 

息を吸うとなにか後頭部できんといたむような黒い輪郭のはっきりした線を、白ワインでぼかしていく。ついで赤ワインは、もうすでに相手はうとうとと舟をこいでいたためほとんどわたしが飲み干した。

 

からだの細胞にアルコールが染みた重たいからだで、夜の一時間弱郊外を走る電車にゆられ、女性のうちについた。やや海の匂いがあったかと思う。

そのりんとした歩き方や話し方に空気の流れを持ち、かつ柔らかな気配りをしている。寝息になってからはその枠というものが、意外と皺のある柔らかさとふくらみを持つのを感じた。

 

朝になってまだ昨日の赤ワインの空気を鼻先に漂わせながら、うやむやと、朝の空気をたくさん吸っては呼吸を整えた。

その皺を持った柔らかい包み紙は、アイロンでもかけたのか?とおもうほどのパリっとした触感に変わる。

どちらかというとモノクロに近い感覚で彼女の部屋をとらえていたのは、まだ引っ越したばかりでひろく、そして雑然としていたからなのだろうか。触るとひんやりするような、すこし湿度を持ったまだ馴染みのない木目が心地よい。

 

前日に飲みすぎた後の、二日酔いではなく疲労感を開き直りながら感じていたが、こりずに帰りにはまたビールを飲んでいたように思う。

疲労感と一杯のビールがつくりだすだるさは、昨晩のやわらかい皺を思い出すとまどろみを思えた。視界でおさえる現実に、舌がなじんだ妻のご飯を透明のアクリル板を置いてみるようにして、いただく。

 

母であることを感じたことはない。どちらかというとしっとりとした印象を感じる女性がいる。じぶんが優しすぎてしまうことで、それを消極的であるならば、のどにつっかかっているような、意志がうまく伝わらないもどかしさ。

らしさ。という言葉を使うと、受け止めるところに愛情を覚え始めた。過去にやさしさを悪用する人に追い詰められ、吐き気とともに日々の生活する空気を捻じ曲げられたことがあってから、意識はしていないまでも外傷性の記憶になっている部分がある。それをやや匂わせる我儘な部分を持った不器用さを、はてどう受け止めたらいいのが、しんそこ困って半年がたってきたが、ようやく、らしさという部分で受け入れてきたように思う。

 

その帰りだったか、これから一時間かけて帰るはずだっただが、今年初のゲリラ豪雨で電車が止まっている。22時。気持ちは徐々に角度をつけ、ざわざわした風をうちに感じている。こういうとき誰かに言いたくなってしまうのが人間なのか、妻にそのざわつきを伝えた。おそらく横浜線南武線小田急線で南下しなければならない。結局横浜線に乗り新横浜から新幹線に乗った。雨で少し涼しくなった空気が、地面の香りを炊き込めて、やや温度を持ったけだるさに包まれる。らしさを受け止めたことに気疲れしていたのか。

時期が時期なのか、新幹線の自由席はすいていて、仕事帰りなのか行楽帰りなのか、中年のおじさんがラフにスマホをいじっている。自分を中心とした内向的な意識を働かせたところ、とくに意識を彼に向けることなく、しばし雨の止んできた景色を眺める。

武蔵小杉のあたりは車体がすこし傾きながら、ゆっくりとカーブしていく。

品川駅を出ると終着駅に近づくときに毛羽立ち始める意識の粗さを生み出す。とはいえこちらはまだ20分も乗車していないのだが。と右斜め下の隅っこに視点を追いやった。

東京駅のホームは雨上がりで、海の匂いと人工的な匂いが、頭のあたりをまとわりついてくる。いそいそとすいた階段を下りる。

まだ家庭を感じさせない、洋服から漂っていた柔軟剤の香りが、腕の下あたりから炊き込まれていたことに気づく。

 

正義を振りかざすことに快感を覚えているこの世の中には、実は、不便な事柄を解消し、便利になることで生じる副産物が多く漂っているのではないかと考えている。便利さと引き換えに奪われるのは思考。他人をどうとらえるか。インターネットや電話はまずその他人とのコミュニーケーションを、外向的にあって話すことから、内向的に、ひとりでコミュニケーションが他人と取れるように変えた。現在には匿名で会ったことのない誰かを誹謗中傷し、さらには戦争をも引き起こす。内向的イメージの暴走とでもいおうか。どうして他人実際を、らしさ。として認めてやらないのか。昨今あった黒人が射殺された事件や、絞殺の事件。もちろん差別問題として個々人に備わるステレオタイプの輪郭が熱くなったのだが、それ以前に、警官が勝手に誰かを殺めたとても確固たる事実に、その自らのイメージがまとわりつき事実を混乱させていく。

 

男子校でなかなか群れることができなかった。表面上ではみなと仲良くしているつもりだったが、つるむことが苦手で、なにより運動神経がよくなかったことがマイナスになり、だいたい一人だった。写真部の暗室が住処だったといっても過言ではない。そんななか珍しく男子校にきた教育実習生の女性の先生にそういえば最後の感想を、黒板にさらさらと書いたアドレスに私は送信した。当時はモノクロのガラケーだった。初任給や初体験や、そんなくだらないことを聞いたり、どういうところで買い物したりご飯を食べているのか。身近な女性というものに初めて触れた気がしてとてもわくわくした思い出がある。あれから12年後、その女性と安い箱根の旅館に出かけた。もともとモデルもしていたため、しっとりとした細い足が、いままでは顔や表情ばかり気を取られていたのだが、目に入ってくる。そんなに大きくない、石で固められた湯船になみなみとかけ流しされる透明な、すこし熱を持った温泉につかると、すこし窮屈そうだなと思ってしまうほどだった。安いといえどもよく手入れがされており、温泉も心地よく、昔の思い出話をたどり、どうしていまこうやって二人でいるのかを、歴史をたどっていじってみたりしてよく笑った覚えがある。

床が軋む朝食会場は、一階だったと思うが、彼女には天井が低かったように思う。

 

どこか単に女性として好きな部分を、男子高で彼女に思っていたのは事実だった。彼女をひととして好きな部分をそのあとの関係性で見つけて、部分にのせて熟成させていく過程は、心地よいもので、繊細さと優しさで受け止めては咀嚼していく過程が、結局彼女とは一緒に住むことはなくなった今も続いている。

連綿なそして繊細な時間を思い出しては、一人でも過ごすことができる。

 

ユニークさと明るさを兼ね備えた女性は、人生で何回か出会っている。だいたい突然やってくることが多い。同じ箱根ではあるのだが、もうすこし芦ノ湖のほうに足を延ばし、ペンションのようなところに泊まった。少し埃っぽかったのではないか。おそらく景気が良いときに建築されて、近年リニューアルしたのであろうその室内で、ところどころの隅っこのペンキが剥げているのをみて思った。作ってきたという手料理を堪能しワインを飲んで、白濁した仙石原の温泉を引いているようなのだが、硫黄の匂いがしみこむほど浸かった。温泉とワインのマリアージュというのは考えてなかったが、辛口の白ワインには透明の熱い温泉、もしくは硫黄の白濁した温泉、重たい赤ワインにはぬるめの透明なお湯、もしくはとろみの強い温泉が合うのではないかと思っている。すっかり細胞にまわったアルコールと水分やミネラルが、肌という枠をなくし、呼吸しているような感覚になる。

少し古いタイプのロマンスカーの展望席が取れて乗った際の、昭和の装飾品がゆれているのを眺めていた。

 

若いときに渋谷のギャラリーを借りて、オーナーの堅物を口説いていいことに、渋谷川の壁に立つその画廊は、比較的自由に使える場所だった。本当に我儘ばかり。埼玉県の南に一人暮らししていた、メゾンのような部屋を思い出す。香水がいくつもあってたしかメゾネットタイプだったか。ただメゾネットとなると、上はクーラーのない熱い空間でしかなかった。時間があったのだろうか、歯科助手が休みの彼女の部屋で一日の欲を汗をかいて費やすことはあったように思う。たしかリンゴの容器の香水がやたら私は気に入った。そんな当時の彼女はるんるんと渋谷の画廊のパーティに、私のゲストとして赴くも、ネットワーキングと今風に言うとそうなのだが、あいさつ回りをしていることに対する嫉妬のようなもので機嫌を害した。疲れたといえば疲れたが、彼女の風貌にあったすこし大げさな耳のアクセサリーと、よそ行きの洋服をきていて、パーティの際に階段でピアノを聞いている姿にうっとりしていた私がいたために、許せていた。おそらくらしかったのだと思う。

バランタインだったか。適当に酔った私は彼女が埼玉に帰る際に、グリーン車の切符をかった覚えがある。

メゾネットで汗ばんだ交合の際の、太ももにあまり筋肉がなく、ひんやりとした感覚は今もある。つややかさが今も残る。特にその香水は、つけたときはとても鼻につくのに、時間がたつとその人がまとう洋服になんとなく察知して、知らないのに知っているかのような過去を連想させるくらい、滑らかなツライチではない加工後の曲面を感じさせてくれる。上野をでる古い車両がホームライナーとして汗臭い匂いを抱えて、かつふるびた埃臭い香りと、もっと言うならばモーターの古い音と、染み出したオイルを感じるその車両に揺られ、彼女の部屋に向かうのが楽しかった。

そういえば浦和のイタリアンで安い赤ワインを楽しく飲んだのを思い出す。

 

住宅展示場で案内をしている、いわゆる制服をきた30代後半の女性は、当時まだわたしが20代前半だったこともあってだいぶ年上に思えた。赤羽の赤ちょうちんでだいぶ酔って、モノクロのトーンのビジネスホテルに泊まったのを覚えている。酔っているテンションを暴力的にカウンターの方に投げつけるような、今思うと申し訳ない気分になるそのシーンがあった。

当時、結婚するまでに遊ばなかった。かつ結婚してから子供がいない。ということで若い男の子と遊びたいと言っていた、和装が似合う30代後半だったか。何度か池袋の北口で待ち合わせをしていた。インナーのもつ色気のようなものを感じ、行為の時には特に感情がないのか、殺しているのか、終わるとそそくさとお酒も飲まずに終わる。

ふわついた感じのある人だった。

そういえば30代後半、すこし恰幅がいい女性もいた。新宿の大久保よりのホテルに入った。新宿はあまり好きな街ではなかったが、そのあたりには人臭いが緑のある公園があって、印象に残っている。決してしかし自然の匂いがない。

行為や関係に愛情があるのかないのか。どういう思いなのかの詮索が全くできない。酒の酔いというものがある場合でもない場合でもそうだった。だいたい長く続くわけではないし、行為自体をしたいとは思わなくなっていく。

 

意識しているわけではないが、ものすごく言葉に対して感受性が高いことが多い。そして動作や表情から感じ取ってしまうことがあり、気持ちはそれに連動してしまう。繊細な皺を埋めていくパウダーが、しっとりとした質感を生み出す夕方に、車の排気ガスや緑の匂い、コンクリートの持つ香り、雑多な通り過ぎる人たちの匂い。そういった能動的に、こちらは受動的になってしまう感覚を包み込むような球体を思い浮かべている。

相手のイメージだけで交流を持ってきた女性に、深夜3時に公園で行為に及ぶ。長い商店街はその先幹線道路に出るのだが、だんだんと商店街らしき雰囲気をなくしていく。その道すがらのお寺を左手にまがり回り込むと幼稚園があるのだが、その隣の公園で、監視カメラの位置を確認しながらに行為は始まった。すこし湿度がある季節だったと思うが、その時も白くしっとりとした太ももを強めにつかんでいたのだろうか。

翌日から連絡は取れなくなり、なんだか不思議な思いでその場所をまわってみたのだが、夢だったのではないかと思うような感覚がくるくると回転しながら心の中で混乱した。

 

コーヒーにするか紅茶にするか、たとえば日常では選んで決定する行為の積み重ねかもしれない。それをリズムとしてとらえるのならば、独特のリズムを持っているのであろうか。新築の白い部屋を好んで探したということを話していた。食事も、片づけるときのことを考えて食材を選んでいることも話していた。テクノのような繰り返しの美学の中に彼女なりの音を加えたリズム感を作り出していた。猫のように笑う時に感じる温度感がすこし冷ややかで、真っ白の壁に青みを加える。私からしたらこの白さは浅い眠りしか与えてくれなかった。静かになると窓の外にある高速を走る車の音が、非連続的なリズムで鈍い痛みを感じさせる。ついで光が、部屋に入ってくるまでのいくつかの障害物によってだろうが、痛みを感じるころに鋭利になって襲った。部屋着でいる彼女は落ち着いた雰囲気を目皺に漂わせているのだが、無邪気さを口元に揺らす。髪の毛をまとめているために首元に色気を感じさせながら、これまた不意なタイミングで隙間にすとんと入ってくる。

 

旧来、遊郭だった街であるため、建物は変われども道幅は目抜き通りそのもの。よくみると屋号はアパートの名前として生き残っており、重たい黒い油のようなものをイメージさせる雰囲気が、目抜き通りから曲がると感じた。まっすぐ進み、その遊郭から一歩出たところにある、高速に近いそのマンションは、街の雰囲気と裏腹に見た目から白いために浮いて見える。6階にあるその部屋の廊下からは、同じように建設されたマンションがいくつか距離をあけて隣接している。遊郭の跡はなかなか建物が立ちにくいと聞く。場所柄だろうか。だからいくらかの距離をあけて、隣のマンションの部屋の中が、夕暮れ時でくっきり輪郭をもって見えてしまう。覗いているというか見る感覚でいいならば、いささか興味を沸いてしまう。蛍光灯ではない白熱灯の色温度の下で、部屋着のおじさんが大型のテレビを見ながら缶ビールをあおっている。こちらは白いカーテンをしめて少しの間の営みをする。

 

白いマンションで夜の匂いと赤ワインで疲労感が麻痺してきたときに、それでもやはり会いたいと矢継ぎ早に地下鉄に乗り、もう22時だが空いているお店を探して出張帰りの女性と餃子を食べる。もう赤ワインの香りは品をなくし、ハイボールでのど越しを気分転換として、いつものようにそのパリッとした衣が、柔らかな皺がある布感を帯びていく彼女を眺めている。そのまままた泊まってもいいんだが、既婚者である以上帰宅する必要がある。

ふたりごと。都合のいいことばだ。それぞれに言葉の定義がない付き合い方をしているために、とても感覚的な生活を送っている。気を付けてないといけないのは心で、苦しみが強くなってしまうこともある。たとえば、空き瓶に薬液を注いでいるとき、はじめは気にせずに入れていくも瓶はだんだん先細りの形状のために、こぼれやしないかと意識する。いや、まだ透明の瓶なら加減はできるのだが、中の見えないボトルなどはなおさら気を遣う。ついついあふれてしまっては、後味の悪さを覚える。覚えるといってもそんなに深い傷口にはならないのだが、これを繰り返していくのかと思うと否応に気を使ってしまう。やさしさということばのもつ意味と物心ついてからずっと格闘しているようにも思うが、この自己内省的な訓練は、ちょっとした能力与えてくれているようにも思う。具体的に言うと他人の心の喫水を指でなぞって感じることがある。これは心地が良い場合もあればとても息苦しいこともある。容赦なくそれは感じてしまう。

 

池袋から電車で10分ほどの商店街を抜けて右へ。回り込んであるやや古めのマンションに引っ越し先をきめたその女性は、契約と引っ越しの合間に私を呼んでくれた。床が絨毯というか布の部分があり、清潔感はあるが時間の積み重ねを匂わす床をベッドにした。

仕事帰りによったときに作ってくれたさんまの煮ものを、半楕円型の机と、しゃれた室内灯のもと缶ビールを飲みながらつまんだ。とてもセンスのある合理的なひとで、とても歩くのが速い。人間力はあるのだが、付き合う側がある程度鈍感じゃないと、ひしひしと推察眼を向けられている浸透力の強さが、急に熱いお湯につかったときみたいに末梢をひりひりさせる。やさしさによりかかりたいからとあえて鈍感になりながら、生理のおわりかけに避妊をしなかった性行為ののち、しばらくたって妊娠しないねやっぱりと、けろっと言われたときに、凄みを感じたが、血と白い精子の混ざったものをふきとる彼女を思い出すと、するっと腑に落ちた。

 

とても細かな粒子を衣としたオフホワイトの空気に心地よい程度の圧力を感じながら目が覚めたとき、それが湿度と気温と、そして疲労の混ざりあったバランスが程よかったことに気づいた。昨晩のお酒はすっきりと消え、隣ですやすやと寝ている妻の顔を見て落ち着くのは事実だった。重たいノートパソコンの起動時間にまた意識は眠くなりそうで、ラインでおはようとまわりにあいさつを入れる習慣は、高校時代からあったのではないか。と思う。ただ、同じ相手にずっと毎日送り続けているわけでなく、周期的に変わっているのも事実だ。

 

布や段ボールが、おそらく作られている工場や、加工されているところ、保管されている場所の匂いを吸い込んでいることがある。そんな匂いに似ている。ただ、ほんとにうっすらと女性の匂いもそこにはある。新潟から上京して、従業員5名ほどの服の製作会社で20代前半の勢いを費やす彼女いた。専門学校時代から服飾でその情熱を持っていたようで、忙しい現状の会社でも比較的余裕をもって働いている。当時まだ地上にあった東急東横線の夜のホームは、酔っ払った若い男性陣が、編成の中ほどに設定されている夜間の女性専用車両の時間にもかかわず乗っていて、もはや意味をなしていない。そんな姿を笑っている鼻先には、まだ形作っている渋谷の空気が鼻をよぎっている。もっとも、いま振り返るとそのどん詰まりの地上ホーム自体が夏の夜であったことと、酒が入っていたこともあって、湿度のある重たい記憶として振り返っていた。特急で40分ほどか。降りたら横浜なりがちな坂道を下り、新幹線の高架が見えたころにある小さなアパートに二回。白いというよりすこしグレーのある部屋だった。湿度が足りない。肌でいうと乾燥してきているようなそういう白さだった。

翌朝の暑い朝に今度は階段を上るわけだが、ひょいひょいのぼる彼女を見ながら私はゆっくり歩いて行った。すこし汗ばんだ状態で、複々線を上下にしながら四苦八苦したのだろうか、高架になった東横線通勤特急が高速で飛ばす室内で冷房にあたり冷えるのが心地よかった。その後彼女からは新潟に帰ると申し出があり、それ以降は会っていない。酔って一度連絡が来たが、相変わらずひょっこりしたイメージがうれしかった。日本海側の干物屋だったと思う。

 

らしさってなんだろう。多く、一対一の関係しかわからない場合であるため、その女性がどういう社会的な関係を気づいているのかわからない。好意をもって接してきた女性は、20代後半か。それなりに優しく接していたのだがだんだんと要求が多くなってくる。そうするとこちらはそれ以上のやさしさは無理です。と断るのだが、そうはいかないと、傷口をチクリチクリと弄り回すように激しい暴言と社会的交流を破壊していく強烈な性格をもっていた。おそらく境界性人格障害なのだろう。私以外の私の関係性をことごとく壊していき、私自身も内面をえぐられていく。さっきご飯を食べたのにもうおなかがすいているのか。そんな獣がサンドバックをひたすら殴っているようなそういうイメージだった。その時の職場でのしがらみや金銭的な問題もあり、さらにこのようなサンドバッグになっていたことも重なって、一度肩の荷を下ろす決意をしたのを覚えている。決意をしたというか、もう指が勝手に文章を打っていた。そして送信をしていた。もうとにかく逃げなければいけない。そう強く思うために、神頼みすらしていた。

 

ネットやテレビで毎日のようにされる正義を振りかざして誰かを批判する行為。あったこともない人なのに。まだ政治家ならわかるが、芸人にそれを求めても。野球選手名鑑など昔のものは選手の住所すら載っていたが、いま情報社会では、それ自体に価値が出ている。公であるべき自分の情報や時間、行動、そういった自分にとって大切なプライベートが本当は公でありオフィシャルであるべきなのに、それをいつしか隠しながら生きているようになった。

流れで関係を持ったある女性は、すこし胸元が見えている服だったためか想像がつかなかったが、東大の医学部生だった。リュックにたくさん教科書が入っているのを見たときに、紙や布にしみこんだ匂いを感じて、納得した。人間力によって相手を口説き落とすと一定期間、温度が冷めるわけではないが、感覚が近くに漂っていることが多い。母親は自殺して父親は俳優だという彼女に、サンドバックのようにやられている女性がいることを告げると、悪くないと思うよ。と私の心に強く進言してくれた。やりたいほうだいやらせていれば自分にすべて返ってくると。胸が小さいことをコンプレックスにしていたため、最後まで下着を上半身だけ脱ぐのを恥じていた。冷房が効いていた間接照明の部屋で、熱を感じた。

 

終電から数本前の東海道新幹線の東京行は、酒臭い。こんなに数分間隔で走っているのに指定席の並びは取れなかった。缶のハイボールを買って夜の東海道新幹線の通路側の座席に座った。名古屋を出てそのまま新幹線は突っ走るが、少し空中を泳ぐような緩いカーブと、特有のひゅーんという音が、さらに浜名湖あたりは水面を飛ぶようにして走るのがとても気持ちがよい。ただ、いま夜であるため景色はほとんど見えない。となると高速で走るゆえに感じる圧力と、カーブおよび上下動する感覚だけになる。通路側であるため景色は見えず、ただただ、車内の特有の、シートのような匂いとお酒、またおつまみと、多く出張帰りの男性の匂いが混じる。そうして目をつぶるのだが、身を任せる心地よさに馴染んでいく。

朝にはないこころの柔軟性が夜にはあるのではないか。と思う。朝の新幹線で仮眠をとっていると、高速ではしるゆえの振動でふと目が覚めたとき、風景の速さに恐怖を感じたことがある。朝は心がまだ固いのか。

 

重たいどっしりとした湿度と、粒子の細かな熱に包まれる梅雨の朝。

太陽光は雲によってとらえどこのない輪郭をし、認識を阻む。

いつもより40分早くでて、6時台からまた遊郭内にあるマンションの最上階に、会いに行く。コーヒーを飲んで眠いながらに汗をじっとりとかいていて、週末ということも会ったのだと思うが、意識がすこし遠くにいる。

淡い青色、すこし紫。そういう色のソファと、同じく淡いピンクと緑のそれぞれのソファ。三つそれぞれの色を買ってしまうところが彼女らしいなあと寄りかかってバナナをほおばっていた。すこし熟れているようにみえるバナナの色が、彼女の日焼けし始めた頬から漂っているような錯覚をさせる。音もなくしっとりと、かつ舌はそれを奥へ奥へと咀嚼させ、度に香る甘みのあるバナナ匂と、すこし焙煎の深いコーヒーを入れていたためにとても心地よかった。となりにみずみずしいグレープフルーツもあったのだが、さほど主張してこない。耳の後ろあたりから柔らかく香る眠たさと、柔らかい皺に綿密な意識を、眠気が強いことをいいことにうつつと満ちていくスープをつくっていく時間に連想した。

 

地理的には湯河原駅は熱海より手前なのに、熱海のほうが気軽に行ける感覚になるのは新幹線のおかげなのか。ひっきりなしに発車していくのぞみの合間にひょっこりと走るこだまにのるために中央改札で待ち合わせをしていた。梅雨だというのに適度に晴れた夏の湿度は、昼前の太陽の位置に似て、言い訳ができない心のせかし方と似た詰まり具合を感じる。欲に忠実で元気な人は、小柄で、左側の八重歯がみえる。気軽に行きたいために自由席で降りた熱海駅のホームは端っこで、気が抜けたような夏の空気は潮風を感じながら階段を降りた。こちらには帰る家があるために日帰りで借りたホテルで一通りを済ませ、塩分のきいた熱のこもるお湯は、いかにも熱海らしい。熱い海水浴のようなものだ。いつぞや朝早くに旅館をでていった一夜限りの女性がいなくなった後に一人で朝食がてらビールをのんだファミリーレストランを右手にみながら、私に海に入ろうよと誘う彼女を断る。砂がついた靴で帰宅するわけにはどうもいかない。糸川沿いにあるカフェー建築という昭和時代の赤線建築がとても好みで、なんともあでやかな壁のいろと、モルタルのデコレーションが、こもった畳や、油、少し年齢を重ねた女性の匂いを思い出させる。すぐ突き当りには現代のキャバクラやそういう類のお店があり、どこの女性かわからない画像をやたら大きくした看板がそこここにみられる。橋を渡り反対側には、ひねると温泉がでるラブホテルがあったが、どうにも見つけられなかった。以前小田原あたりに住んでいた、ちょっと家庭の様子が見え隠れするような表情と、会話の際の言葉の口から出る強さと選択が、癖として感じられた女性といったことがある。箱入り娘というより軟禁か。しつけの厳しさが彼女の中に負の空気をもたらせていた。そうこう通時的な思考と、共時的な感情のバランスを保ちながら、海岸近くのコンビニでタクシーを呼び駅に戻った。水割りのウイスキーを片手に、ひとけのない新幹線のグリーン車で甘えている彼女を見ていると、なんとなく心がほどけていた。車窓から見える街灯が、スローモーションと残像をつよく魅せてくるころになると、やや目が赤くなっているのを認めた。

 

東京の下町から埼玉方面にはしる鉄道ともに使っていたため、その路線上で飲んだりしたりしていた女性がいた。会話をするときの内容や話すリズムが独特で、おそらくイメージを使いながら話しているのが、それはそれで楽しかった。同業者でもあったために一度職場を紹介されて、第3者を交えた食事があった。やや高級なお肉を出す焼肉屋で、二人の関係性を客観的な言葉にもしていないなかどう紹介されるのかと、まるで向こうの両親に会いに行くような緊張を覚えている。で、さて思い出せないのはどういう関係性かに対する答えだったが、聞かれたと思うのだが、うまく思い出せない。緊張感のない季節、おそらく春先だったか、複々線の高架下の道を駅から南下していくと、おそらく急行のとまらない駅ゆえに一件しかないホテルの一室で、わきの下にあるほくろと、それを隠すくらいの長さの、明るく染めたゆれる髪の輝きがあった。

 

東中野の駅で待ち合わせ、それも線路沿いにやや下ったところにあるホテルに行った彼女も独特のリズムがあった。その頃はただそういう行為がしたかっただけかもしれない。それを受け入れてくれる彼女のリズムは、とてもゆっくりとねっとりとした迂回しながらの会話と動きに、おもわずつまずく。同世代の女子の模倣をしている部分と、自らのそのリズムが混在しているために、こちらの会話をしながらできるイメージを壊していかないと中身にたどり着けないことが多かった。それから8年後、栃木に勤務している彼女と在来線のグリーン車にのり帰った。懐かしくなるような模倣のような話し方は相変わらずで、すぎる窓の外の明かりのリズムに気持ちをごまかした。そのようなことなので内容はそっけないことで、本質的な部分には触れることができなかったが、当時の記憶からいくつか抜けていた部分を相手は覚えていたため、別れた後にひとり、反芻しながら過去をつなげていた。

 

だれか他人といると、最初は自分を他人に押し付けて同一視して、そうはいかにことに気づいて認めていくステージが、5年とかそういうスパンであるのだと、ものの数秒でまとまったことばでいわれてから、理解するのは早かったのだが、残像が長すぎてどうも思考が止まってしまった。そんなに単純に言葉でまとめられると、こちらの感情が入り込んで、むりやり枠を広げる、あるいは馴染んでいく時間や隙がないじゃないか。と反抗的にもならない。幹道のバイパスが、思いの外すんなりと行けると気づいたときに、つかむところがない腑に落ちる繊維質のような触感のものが落ちていく感がある。

 

こぎれいな最近のビジネスホテルで、子供を連れて家を出ていかれてしまった訳あり女性が、こちらは上司と日本酒をあおってから部屋で落ち合った。なにか陰の漂う女性で、たとえば、主張したいことがあっても目線がすこしずれ、会話でも語尾に意識的かわからないが、聞き手が引っかかるようなアクセントを持ってくる。だから、聞き手は受け取る内容とともにすこしねじれた角を触っていることになる。しっとりとした肌ざわりとふっくらとした曲線があるのだが、首元からは母の匂いもある。歯列矯正のワイヤーが愕然とした冷たい物質感を放ち、唇からは溶けて漏れそうな感情と、微熱があった。硬すぎる板は脆い。どこかにエラーがありそうなアプリケーションということではなく、物質的な脆さ。塑性変形するひずみを与えかねないと察知したため、雨の降る朝は、さっと身支度をしたように思う。

考察

大殺界も終わるし、ただ人と同じことをしても楽しくは思えないたちなので、

そして、みんなより遅くたちあがる性質がある私なので、

ちょっと見えてきた、医院の環境を整えるという仕事が、

現実味を帯びてきた感がある。

 

次の仕事か。

考察

ふたたび余裕が出てきたと思う。

ただ、不安を埋めるかのように神社へお参り。

いつになったら私の中の自信てもどるんだろう。

地道に向き合って仕事して積み重ねるしかないか。

 

自業自得といえばそれまでだが、私を悪くないと言って支えてくれた人もいた。

ほんとうにほんとうに大切な言葉で、いまもまだ心にある。

ああ、人生ってすごいな。とも思った。