あとがき。

数学としてとらえれば横の時間軸をもってきて、今を規定すればそれより前は未来、後ろは過去。そういうイメージに固執していたが、過去は今だから存在していることを時間軸は殺める。過去をどう理解してとらえて、表現していくか。たとえば通時的な記憶の塑性がおきる。市ヶ谷駅から四ツ谷駅の線路沿いの堤防を暑い夏の夜に虫さされ防止スプレーと、ほの暗い光の中、どうやって四ツ谷駅につく前に手をつなぐのか。そんな思い出をそこに行くと思いだすし、途中にあったブランコで楽しんでいる彼女を思い出したりする。ただ、それがすべてではない。例えばそこに実際行くともう少し詳細に思い出す。今はないブランコの跡地は四ツ谷駅手前じゃなく市ヶ谷駅寄りだったな。とか。そうすると、いま生きている私が過去を語るうえで、今の現実世界が私の中の過去を溶かしだしていく感覚を思い出す。これを過去の溶出、もっといえば生きた過去なのだと思う。日々の生活の中にタイムラインで流れてくる情報を一方的に、流れてきたそうめんを止めて食べるわけじゃないがそういった感覚でつまみ食いしている今をいきる日々は、場当たり的でいましか連想させない。一か月前のニュースはどうなっただとか先週の思い出を振り返ってお酒を嗜むとか、そういうスペースを心に感じない。どちらかというと過去は写真や文章にして投稿して葬るようなイメージになる。たまにいまから掘り返して過去を生きたものとする行為が人生の細部を考えたときに必要なのではないかと思う。

 

数時間の出来事をあとから考えれば腑に落ちたというか、球体がそれに相応した入れ物にはまった時の心地よさを感じたことではあるのだが、やはり既婚者であるこちらを気にしての行動だったとのちのち連絡が来た彼女はやはり会いたいとのことで、精神的な追い込みによるねじれが生じないか不安ではあったが、その話に合わせた。午後をあけた私は都内から埼玉に行き、平日で子供と母親しかいない鉄道博物館で楽しんだ。その後夕方でもまったく容赦のない太陽と湿度の入り混じった空気に、これではいけないと時々の雨を降らすそんな天気の中、お酒は進み、だいぶ酔ってしまった彼女を一駅隣の宿泊駅まで千鳥足でむかった。東北あるいは高崎方面からの線路でなにか支障があったのか大宮駅で止まったままの車内で、短い丈のズボンだからまあいいかと寝始めた彼女をよそに、いつ出発するかわからないために空いていることにほっとしていることと早く部屋に行きたいなという酔いからくる疲労感に追われていた。部屋につくや嘔吐してしまったためにこちらは洋服を脱がし、揉み洗いをし、布団も極力洗った。しかしそれらは湯船を詰まらすことになってしまい、すやすや眠る彼女と、吐しゃ物の臭いと魚の残骸と油によるぬるみを感じながら、気力が続くまで洗った。疲れて再びすやすや眠る彼女をみるとどうしても触りたくなったのは事実で、そのまますこしの性交はしたのだが、意識が朦朧としている彼女がなにか頑張っているような表情を認めてしまい、こちらは途中で終わりとした。鼻の周りについた魚の臭いと疲労感で私はそのまま寝てしまった。翌日後悔するだろうなという予想は当たって、一日つらかったのではなかろうか。どうも感情をコントロールするのが難しいのかもしれない。なにかその彼女の肉体の輪郭を明確に線として捉えていた感情を、早朝にもかかわらず昨夜の熱がこもったままの街を歩きながら、アルコールがまだ残っているのかもしれないという体の輪郭ははっきりせず、ラッシュの時間帯の比較的朝の風格を身にまとっている出勤をする成人たちの中に身を置くことで大概就寝してしまうのだが、目は冴えていることから温度を感知し、冷めていたと後から色付けしたのかもしれない。性交の時に単に性欲だけではなくて、外から見えている視野だけの感覚だけではなくて触感としてそして快感として、きっかけがマスタベーションのような幼げな好奇心から芽生えていたのではないかと、あの後最後までしていたら後悔と謝罪をしたかもしれないと、振り返って感じていたのは事実だった。鼻にまとわりついた吐しゃ物の臭いと、浴槽が使えなかったために洗えていない身体と髪の毛には、これもまだ夜を残像として纏っていた。それを忘れるかのようにこちらも嘔吐して、すこし涙が出てきたのは仕事場につく30分前のことだった。

個室を生まれた時代に個性がうまれた、そしてプライベートが切り離されたということと仮定してみると、建築はどんどん個室を好むような方向に押している。それは感染症が広まるとさらに加速していき、精神的にも物理的にもぶちぶちと分断されていく。部屋は誰かの所有物となるとその部屋に対しての当事者は本人にしかなれない。部屋ではなくても建築物そもそもでもそうだが、所有者と当事者はイコールではないと思う。その部屋のことを考え、関わるのは所有者だけではなく、第三者でもありうるし、それは当事者として考えることで成立する。それは所有者以外の他人がその部屋に参加する感覚を芽生えさせる。

研修医のころから勤務している医院はむかしもいまもなぜだか直通する電車を使いたがらない。どうしてなのだろうか。私の意志なのに私が理解できていない。研修医のころは医院が休みの時は借りていたアパートではなく基本的に実家に帰っていた。当時キャッシュカードも持たなかったために実家に帰るたびに数万円を財布に入れて、そのアパートに長い旅行のような感覚で働いていた。今思うとガラケーでテレビはあったがネットはなかった。よくそんな生活ができたなとふりかえり内側にえぐるような感情が不覚に横たわっている。勤務が終わると電車ではなく多少安く座れる高速バスを選んでいた。そこでコーヒーや多くはビールかウイスキーを飲みながら1時間ほどの夜景に酔いしれている。10年弱そのようなときが毎週、いまは隔週だがある。どうもロングシートは仕事が終わったあとに乗るだいたいシートが埋まっている車内ではストレスで、高速バスの二人掛け同一方向の椅子のほうが落ち着く。おそらくこういうことが一つ。また電車を利用する場合には旧線と新線があるが、勤務先の新興都市に向かうにはどう考えても新線のほうが速い。しかし歴史がない。ことばでいうとそれまでなのだが、歩いていてもぬめりを感じない。不思議なもので下町からいまはニュータウンのはずれの自然のある地区で暮らしているが、そこでも同じように厚みを感じない。占いには興味があるといえばある。あるがそんなにのめりこむ必要はないと思っているのは、近くに好きな人が数人いるから相対的に感覚が育っているのかもしれない。誕生日と時間と名前を伝えて長々と占っていただいたところに、人間のどろどろとしたものが好きと書いてあったが、これは本当にそうだと驚いた。特に過去の時間についてなにか感じているのかというほど雰囲気や空気を感じていることが多く、繊細な精神の動きや安定を求めるときの動的な流れというものは高校時代のころからなんとなくこのようにことばにして感じている。動きがない空間というのは確かに存在している。もちろん遮蔽された空間であればそう感じざるを得ないが、そういうものではない。過去にあるいは夜に人間がたくさんいて臭いを染みつかせていた空間の現在やひとけのない昼間の風景は、意識の動きがなくどろっと粘性のある状態でとぐろを作る。夕方の日差しの黄金タイムを過ぎてくるころになると感情が目を覚まし、意識を一度先鋭化させて刃物を研ぐ時間を得る。そののちにねばついた意識は研がれた刃部が切り込みを作り、夕暮れとともにまた意識はまわりだす。昔でいう青線のような、いまでいうスナック街の街並みにある場末感はたまらなく好きなのは、前世でお客だったのか。バスの中でボウモアに酔った身体でさらに1時間電車に揺られ、帰宅して夕飯ののちに就寝をした。二日に一回は新幹線を利用しているこの生活は、息継ぎを限りなく減らした水泳のようなもので、歯科治療だけしていれば生活できるのだが、移動時間や就寝するまえに勉強や執筆もしている。翌日は4時起きだったが体がやや熱くとても眠い。いつもは朝にスマホをいじって脳を覚ますのだが、それもする元気がなくうちを出た。とても救いなのは外気のひんやりした温度と、まだ鳥たちが目覚める前の静けさと緑の香りだった。

久しぶりな感覚だった。会うとでれでれと素直に気持ちを伝える反面、ラインではなかなか予定を合わせないその子には、こちらには妻がいることからすると苦しませているのだろうなと暗に理解をしていたのだけれど、消しゴムで言葉を消していくような塩梅で、摩擦熱が生じているのに感覚として感じない距離感で内面に落とし込んでいく。遠くに誘うのではなくこちらから近くに出向いて外泊する方が、出向くために生じる摩擦をなくせるのだろう。一緒にいるときは楽しいのだけれど。これはたしか私たちのパターンだけではなく、ほかの女性から相談されたときにも同じように聞いた。当然のように楽しめないなら終わりにした方がよい。とコメントしたことを覚えている。消した言葉の痕跡を、うすくライトで照らして読み取ればわたしも理解していることなのだろう。頭皮のにおいを思い出してそれは身長差でちょうど抱きしめたときだったと記憶をよみがえらせ、いずれその記憶も砂のように崩れていくのかと時間の分子を愛おしく感じる時期なのか。ホンビノス貝は砂がないというのを、白ワインを吞みながら聞き流していたビジネスホテルでの夜に、なぜか砂があって口の中でじゃりじゃりと、いつもは無意識に使っている体の部位が急に意識化されて顕在化した時に感じる不気味さを添えていた。

ちょうどそのときは内房で泊りだった。とても交通量の多い幹線道路沿いのホテルチェーンであったが、地形が幹線道路を谷としてまわりはゆるやかな坂道のように上がっていく。7階の部屋の窓は正方形で、上がった先にある東京湾の抜け感とともに絵画のようにみえて美しかった。

入口のドアは自動ではなく手動で、そのドアのガラスは曇っている。外からのぞくと売店の商品が並んでいる棚はあるかないか。あっても商品は棚にはもうない。入ってみると、がらんとした空間が広がっているが実は地下には三つの事務所がある。立ち入り検査の人が来たといい地下の3つの事務所の住人は慌てて飛び出していくがさらにその階下には洞窟だが壁は黒く黒板のような無光沢の壁面をした入口があり、おばさんが出迎えてくれる。そこから音楽がスタートし、よく私が作るようなテクノなのだが、それにつられていくつかのインスタレーションを体験して一階ではなく、ちょうど土地が一段階下がっているために、こちらは一階分上がれば地上に出られた。荒川と中川の間の、上には高速道路のコンクリートと下は土手を埋め立てるコンクリートがあるエリアに似ていて、幸せのメロデイがトランスのように曲が流れる。周囲は芝生がゆれ、コンクリートの上は深い緑色で16対9の画格にちょうどあう風景で視覚でも恍惚としていく。終わるとまた誘導されて地下のエリアに戻っていった。------一回目の夢の時にはもっと長くこの夢を見ていたが、二回目はここまでであった。とても制作時のイメージの根源というか泉のような体験であった。

身軽さをなるべく感じておきたかったが、それまでの平日のストレスがせっかくの祝日の朝を支配していた。春を感じさせる気温と湿度、そして灰色の濃淡のない朝は影をつくらない。久しぶりに降り立った新宿駅で、感染症の影響で臨時便がないことから、定期列車を予約していた。すこし会うのは期間があいたことと、平日のひずみをまだ抱えながら、笹子トンネルをこえて盆地に入った。日帰りではあったが逆に夜に泊まることが多い私たちは日中に会う方が貴重だった。というのもわたしは何かしらの嘘をついて、会いに行かないといけない。温泉とワイナリーで程よく出来上がるとことを終え、再度を希望した彼女と裏腹にわたしは特有の虚無感と、ひずみがぬけようとした体からでてくる甘ったるい香りが、彼女の体臭と混ざり、それを感じるか否かのタイミングで寝ることと起きていることとの境目が、もし鉛筆で書いてあったとすると、指でその境目をぼかしたくてこすることを繰り返していくような淡々とした作業を繰り返し、はっといびきをかいて彼女のなかで寝ていたようだ。ひずみは抜けていったのか、寝起きの疲労感か、一時間ほど寝て起きた体に再度温泉を浴びさせ、すこしの疲労を与えたところで持っていたウイスキーを煽る。再度新宿駅に戻ってきたころにはお酒も抜けており、そういう時に感じる多少の覚醒を目の下あたりに覚えていたが、翌日は昼間まで寝てしまったことを考えると、無理をしていたのかと思うのと右側の顎関節が痛み出していた。