数時間の出来事をあとから考えれば腑に落ちたというか、球体がそれに相応した入れ物にはまった時の心地よさを感じたことではあるのだが、やはり既婚者であるこちらを気にしての行動だったとのちのち連絡が来た彼女はやはり会いたいとのことで、精神的な追い込みによるねじれが生じないか不安ではあったが、その話に合わせた。午後をあけた私は都内から埼玉に行き、平日で子供と母親しかいない鉄道博物館で楽しんだ。その後夕方でもまったく容赦のない太陽と湿度の入り混じった空気に、これではいけないと時々の雨を降らすそんな天気の中、お酒は進み、だいぶ酔ってしまった彼女を一駅隣の宿泊駅まで千鳥足でむかった。東北あるいは高崎方面からの線路でなにか支障があったのか大宮駅で止まったままの車内で、短い丈のズボンだからまあいいかと寝始めた彼女をよそに、いつ出発するかわからないために空いていることにほっとしていることと早く部屋に行きたいなという酔いからくる疲労感に追われていた。部屋につくや嘔吐してしまったためにこちらは洋服を脱がし、揉み洗いをし、布団も極力洗った。しかしそれらは湯船を詰まらすことになってしまい、すやすや眠る彼女と、吐しゃ物の臭いと魚の残骸と油によるぬるみを感じながら、気力が続くまで洗った。疲れて再びすやすや眠る彼女をみるとどうしても触りたくなったのは事実で、そのまますこしの性交はしたのだが、意識が朦朧としている彼女がなにか頑張っているような表情を認めてしまい、こちらは途中で終わりとした。鼻の周りについた魚の臭いと疲労感で私はそのまま寝てしまった。翌日後悔するだろうなという予想は当たって、一日つらかったのではなかろうか。どうも感情をコントロールするのが難しいのかもしれない。なにかその彼女の肉体の輪郭を明確に線として捉えていた感情を、早朝にもかかわらず昨夜の熱がこもったままの街を歩きながら、アルコールがまだ残っているのかもしれないという体の輪郭ははっきりせず、ラッシュの時間帯の比較的朝の風格を身にまとっている出勤をする成人たちの中に身を置くことで大概就寝してしまうのだが、目は冴えていることから温度を感知し、冷めていたと後から色付けしたのかもしれない。性交の時に単に性欲だけではなくて、外から見えている視野だけの感覚だけではなくて触感としてそして快感として、きっかけがマスタベーションのような幼げな好奇心から芽生えていたのではないかと、あの後最後までしていたら後悔と謝罪をしたかもしれないと、振り返って感じていたのは事実だった。鼻にまとわりついた吐しゃ物の臭いと、浴槽が使えなかったために洗えていない身体と髪の毛には、これもまだ夜を残像として纏っていた。それを忘れるかのようにこちらも嘔吐して、すこし涙が出てきたのは仕事場につく30分前のことだった。