どこか単に女性として好きな部分を、男子高で彼女に思っていたのは事実だった。彼女をひととして好きな部分をそのあとの関係性で見つけて、部分にのせて熟成させていく過程は、心地よいもので、繊細さと優しさで受け止めては咀嚼していく過程が、結局彼女とは一緒に住むことはなくなった今も続いている。

連綿なそして繊細な時間を思い出しては、一人でも過ごすことができる。