白いマンションで夜の匂いと赤ワインで疲労感が麻痺してきたときに、それでもやはり会いたいと矢継ぎ早に地下鉄に乗り、もう22時だが空いているお店を探して出張帰りの違う女性に会い、餃子を食べた。もう赤ワインの香りは品をなくし、ハイボールでのど越しを気分転換として、いつものようにそのパリッとした衣が、柔らかな皺がある布感を帯びていく彼女を眺めている。そのまま泊まってもいいのだが、既婚者である以上帰宅する必要があった。

ふたりごと。それぞれに言葉の定義がない付き合い方をしているために、とても感覚的な生活を送っている。気を付けてないといけないのは心で、苦しみが強くなってしまうこともある。たとえば、空き瓶に薬液を注いでいるとき、はじめは気にせずに入れていくも瓶はだんだん先細りの形状のために、こぼれやしないかと意識する。いや、まだ透明の瓶なら加減はできるのだが、中の見えないボトルなどはなおさら気を遣う。ついついあふれてしまっては、後味の悪さを覚える。覚えるといってもそんなに深い傷口にはならないのだが、これを繰り返していくのかと思うと否応に気を使ってしまう。やさしさということばのもつ意味と物心ついてからずっと格闘しているようにも思うが、この自己内省的な訓練は、ちょっとした能力与えてくれているようにも思う。具体的に言うと他人の心の喫水を指でなぞって感じることがある。これは心地が良い場合もあればとても息苦しいこともある。容赦なくそれは感じてしまう。