振り返って気づくこととしては、非常事態宣言を出すときに国民が政府に出させたような感があった。あのころを考えてみると、健康な自分がいつ感染するかわからない恐怖や不安で、自分以外の他人をどう制御するか、社会が止まることよりもそちらが強かったように思う。その際に他人の制御を自分から行うのではなく政府という強い力で外的に抑え込む。これに頼るという意識の流れは、個人という当事者の立場から傍観した社会を束ねる空想のポジションから制御をしたいという思考の足りない行動と、その後に自らの社会の制御に巻き込まれていく当事者であることとのギャップを作っていったように思う。専門家の意見を仰ぎたくて必死だったように思うし、いまもどうしていいかわからない場面が多い。どうしてもっと勉強して考えなかったのか。そういったところで依存してしまう便利さと、思考を止めてしまう危うさを思う。

 

SNSスマホによる便利なコミュニケーションが侵食していく部分をもっと考察しておく必要があると思うのだが。世界一の民主主義大国の大統領選を見て思った。そして今日、その方は例の感染症に感染していたことが判明した。