二回目。同じ事柄を1週間後に文章にした。

どうやら東京をもとに感染が広がっている。映画のような本当の事実だが、これは東京に住んでいる人を当事者とさせた。それ以外は傍観者の視点を国民に与えているのではないかと思う。東京に住んでいると毎日の陽性者数やこまごましたニュースがはいる。政府は東京を除外した政策を、愚策だと思うが発表をし、経済をまわしたいと必死なのがうかがえるも、意外とお盆のころの東京の当事者のマインドセットは自粛のようで、安心を覚えた。心持ちとでも訳すのだろうか、東京に住んでいる人というタグを張られているため、傍観者エリアに行くとそれをひしひしと感じる。区別はされるべきだとはわかっているが、その精神状況はどのような考えで持っていけばいいのか難しい。理論でわかっていることというよりか、なんとなく感じ取ってしまうもやもやとした黄色かグレーがかがったそれを掌に受け取ってしまうのだった。対岸の火事ということばは、傍観する特権を表現した見事な表現だと思う。この傍観していた人間と、当事者の人間が混ざるときにあらかじめすり合わせを行っていないと、比較的なまなましいものが露呈しているように思う。