言語以前の感情の世界で考えていると気づき始めて、いまは他人の考えや感情をなんとなく接するうちに嗅ぎ取っているのだとやや確信めいている。以前はそんなことないよと自らを消して対応していたが、やはり感じてしまっているのかと思う場面がある。打ち消すことで相手の感情を変えることができるかもしれないが、変えたい相手ならすでにそうしているか。と進んで別れの方向へ、感情で言うと無関心へ追いやる機会がある。ちょっと前まで触るとひんやりするすべっとした木の板の机には、傷がつかないように透明なシートが張られ、その触感を感じることはできない。そうしたようにちょっとした3週間の間の感情の変化が、どうにも私の感情にふたを作り始めている。相手もそれは感じるところがあるのか、二週間たってからはそれを如実に感じ始めた。面倒。という感情に追いやることで無関心を作っているようなそういう構築をしているように感じる。会いに行く通常通りの出迎えではあるが私も気持ちに皮を感じた。それは自分から作っているのか、瞬時に相手からにじみでた薬液に反応したのか、それはわからない。皮がなんなのかというと、疲労感とそれから身を守るための厚みは薄いのだが結構しっかりとした透明なものではなかろうか。恋愛の始まりのころは相手と自分がどれだけ感情が同じになれるのか、一緒にいる時間がとにかく楽しいと思うが、それが過ぎたときに違いをどう認識していくかだと思う。若いころはそれをマジックが切れたころのように思っていたが、どうもそういうことらしい。

素泊まりだから朝食はなく、睡眠を満たした後に性欲を満たし、まだ夏の暑い福島の温泉地を散歩してたどり着いた朝からやっているカフェはお休みだった。通りがかりにパン屋があったのを思い出し、そこでいくつかパンを買った。帰りがけにもっていた温泉地の案内地図が風で破れ始めているのをみつけた亭主が、新しくくれたが、その彼女は交換したいとなかなかない選択肢を亭主につたえ、空気がすこし笑ったように思えた。この才能はなかなかないと思う。けろっと本人はなんで?と言わんばかりの顔をしたが、平日朝の温泉地の、もと赤線の目抜き通りのはずれにある、扉を開けたら所狭しとパンが置いてあるに近いそのパン屋で、よそ者を相手に固まっていた感覚が一気に流れ出す瞬間だった。予期せぬ感情の溶出は多少なりとも屋外の暑さにまた固まることになるのだが、幸福感を感じるほどで、しばらくは感じてなかったのでなかろうか。その後温泉地から30分弱の私鉄でパンをほおばりながら、また転倒してしまった婦人に気遣い絆創膏を自然と貼りに行く彼女をみて、また気持ちは溶ける。看護師だから自然とできるのかとも思ってしまう部分もあったが、戻ってきた彼女の顔をみて、そういえばこないだ彼女本人も自転車で転倒して絆創膏を顔に貼っていたことに気づいた。幸福と笑いと。本当に心が温かくなった。福島駅についてそれをみていた他の乗客からありがとうと言われている彼女は、してやった感もみじんも感じさせず、私もこのあいだ転んだのでと笑いを誘う。二両しかないホームでは改札口までが近く、幸せな会話を眺めるのもすぐ終わってしまった。帰りの新幹線ではすやすやと寝ている彼女が記憶に残る。実はその2週間後に、朝の患者がキャンセルでゆっくり来てくださいと言われ、私は取手から朝しか走っていない旧型の気動車に乗るために迂回して職場に向かった。ちょうどよくそれは入線していて、扇風機が全速力で回っている。ラッシュと反対方向のためすいており、一番先頭の3人掛けほどの椅子に座った。向いに、露出の多い若い女性二人が乗ってきた。昨晩の空気感を引きずっているようにも見え、酒は引いているがまだ体調がよくないようにも見える。そのためかすぐ睡魔に襲われて寝てしまった。気動車は走り始め、旧型であることと線路がよくないために上下によく揺れる。それでも彼女らは熟睡し、最寄り駅ではっと目覚めて急いで降りた。スマホが椅子に一つ。視野の左側にあったがすでに扉は閉まってしまっていて、私はスマホに目をやっていたためスマホを手にして、窓を開け、渡す行為もできたのだが、そういった気持ちを持てずに殻に入ってしまっていた。幸い運転席の後ろだったため彼女らが座席を見つめるのを気づいた運転手が再度ドアを開けて万事休すだった。対照的にわたしはどうしてこういうときに動けないのだろうかと本能的な部分での感情の動きを責めていた。おそらく看護師の彼女ならそのようなこと当たり前にすぐに行動に出ていただろう。偶然にキャンセルが出て私がその路線を使ってかつ乗客がスマホを目の前で忘れる確率は大したものかとも思うが、こういうたぐいの偶然性は神様のレシピだと伊坂幸太郎から学んだ。振り返ればこういうようにしか生きられなかった時間の流れが生まれていることに気づくときがある。どうしてこうなったか、隙も入らない偶然性と無意識に決定して時間を歩んだ道筋が、一本しか見渡せない。

ある日性病に感染していた女性がいたため、私と嫁も検査をした。どうもこうもいいくるめて他の女性とは遊んでいないとしたうえで判定が私は陰性で嫁は陽性であった。こうなるとわたしも、陰性だから今はいいが、妊活をしていたことからすると十分に感染していた可能性は十分にある。となると、時期的に可能性がある女性たちに言わなくてはいけなくなってしまった。意外と覚悟はあっさりとできたもので、淡々と、ラインで送ることができた。好き嫌いがはっきりしてきたと嫁に言われて、そうなのかなあと思い返してみると、好き嫌いがはっきりしているよりか、覚悟がすぐできるようになったのではないかと思う。ここでも傍観者から当事者になるとそれぞれで対応が異なった。総じていうと私の性欲がさらになくなった気もする。そんななかすぐ看護師の彼女はとくにわたしにネガテイブな面を見せずに検査を受けてくれて陰性だったとのことで、改めて会うことにした。ちょうど温泉に行きたかったこともあり、山形での勤務を終えてすぐにビールを飲み、福島で下車をして、新幹線の改札をでて右側のベンチに座って待っていた。そんななか横浜のマンションの最上階に事務所を構える女性と比較的並行して会っていたが、どうもそちらには私が合わせている部分が大きいと気づいた。これは好きか嫌いかというと非常に難しい。だれしもしかし、好きな人であろうと、会うときになってちょっとしたメンドクサさを感じるのではないか。私は会う当日に、会う人とのやり取りが減る習性がある。それはなんだろうか。めんどうなのか。そうしたことを繰り返しているうちに昭和の古びた温泉で、実は風呂上りに廊下にゴキブリがいて、隣の部屋のドアを掻い潜り侵入していったことは隠し、白ワインに浸って就寝した。

写真の個展に毎回来てくれていたすらっとした、猫のような長髪の女の子がいた。色が好きだといってくれたのを覚えている。大学終わりにお茶の水の裏側になる湯島のこじゃれたバーで会ってそのまま池袋に向かった。西武線沿線に住んでいたと思うから、私は彼女のうちのほうに送ってあげようとしたのだろうか。だけれどまだ飲みたいとのことで二件目に行ったが、この段階で終電を落とした。池袋は北口に休憩で3000円の撮影でつかっていた、シンプルなシテイホテルがあったのを思い出し、そこで泊まった。

東京大学を出て丸の内OLをしている彼女は、実家が富山で酒造をやっている。なんとも言えないギャップを覚えた。仕事上がり東海道線グリーン車の二階に乗り込み、帰宅するサラリーマンの傍らビールと駅弁としばらく盛り上がった。おしゃれなのか黒い帽子と、まだ20代半ばだったと思うが、モノトーンの服だったように思える。今思うとその服装でOLしていたとは思えない。宿についてひととおり楽しく戯れて、お互い酔ってしまって朝を迎える。若かったからか性欲はあったため、朝の眠気もあったが事をした。横になっており彼女の頭のさらにその上のほうに、昨日かぶっていた黒い帽子があり、小顔の彼女にはその帽子は少々大きいのではないかと、チェックアウトまでの時間で考えた。その日はもともと彼女には別の用事があったため朝のうちに別れる予定だったが、なくなり、昼前の湯河原の海を眺めて、感慨にふけて、暑いねなどと浅めの話をしたが、どうしてもお酒の力も欲しくなってしまい、となりの熱海の町で昼過ぎから酒をあおった。東京についた記憶は今ではもうなくて、それ以降連絡は途絶えたまま。それがより一層に断面をレアな状態でみせてくる上質なお肉ではないけれど、記憶にはまた血流が流れているかのような温度を持っている。

大学生のころにいまでいうとフッ軽というのか、さまざまにつてを持った女性と知り合った。その後一流企業に就職するのだが、まだ大学生のある夜に突然連絡が来て泊まることになった。新宿の隣町で部屋に向かう前にどこかで軽くイタリアンを食したあと、吐息がアルコール交じりの状態でデザイナーズマンションというのか、部屋に向かった。赤い丸い手すりのある階段を上がって二階だったか、コンビニに歯ブラシをその後買いに行った覚えがある。汗のにおいがなんとなく残っている夜で、ソファで事をした。翌朝、何事もなかったかのように座っていた。あまり感情が出てこないのだろうか。そこが読み取れない。ことさらその最中の記憶がないのは、酔いのせいかわからない。ただ、通して感じるのはおそらく好意があったのだと思う。転職で大阪に行ったのちまた東京に帰ってきたときにも、私は既婚者となっていたが家庭的な焼き鳥をつまみにして近況を聞いた。生活は比較的表裏のないような感じを漂わせながらも、ナイーブなかたまりをどこかに携えている。そんな印象であった。天性か、楽しく仕事ができてしまうし、みなうまくやれているところで、帰宅すると一人の空気を出しているのか。ただそれをさみしがり屋というのか。大阪に彼女が住んでいた時にどうせお互い三が日は暇だからと高山の温泉に泊まったこともあった。こちらは新宿から高速で松本に向かい、そこから行き違いすら難しいような道で上高地を越えて飛騨高山に向かう。そこからJR高山線で南下した小坂という町で温泉に泊まった。天然の炭酸泉でぬるく心地が良かったのを覚えている。翌朝あまり詳しくは覚えてないが、特急ではなく普通列車で名古屋に降りた。ちょうど帰省ラッシュにあたり激込みの東海道新幹線に乗ることとなった。時間を合わせて、静岡でひかりを下車し数駅は夕方の静岡駅から出る地元感のある普通列車で揺られて富士のほうに向かった。静岡の企業に勤めている彼女とは、彼女から東京に来て泊まったり、あるいは私が静岡に行き泊まったりした。3か月ほどか。すらっとしているのに愛嬌があって賢そうな彼女はもうすこし都会に住んでいてもいいと思うが、海沿いの商店もない駅が最寄りだった。研修で東京駅近くのホテルに泊まった際にこっそり私はその部屋にころがりこんで、狭いシングルで泊ったことがあったが、その後すぐにそのホテルは老舗にもかかわらずすぐに廃業していた。記憶が比較的まだ生もののうちに記憶の生じた場所が現実からなくなってしまう虚無的な感覚を、場所と記憶とを結びつけたくなる性質が私にはあるのだと気づかせてくれた出来事だった。ある日付き合う気がないと悟った彼女は突然別れを告げてそれ以降連絡はない。新宿のアパレルで店員をしていた妹さんは元気なのだろうか。モンクレールの暖かそうな黒いジャンパーを羽織って、細い体を温めていたのを思い出す。

意識が萎縮していく。関心を殺していく。そうして無関心な領域に持っていきたいのにおしてもつぶれ切らない感情はその蓋の下にまだある。そうしたイメージがまとわりついて、見破られるのが怖いのか、目を合わせられないときがある。どうせなら夏の終わりくらいであればまだ気持ちは楽なのに。と熱いアスファルトに乾ききった土が混ざっているあたりに目をやった。