素泊まりだから朝食はなく、睡眠を満たした後に性欲を満たし、まだ夏の暑い福島の温泉地を散歩してたどり着いた朝からやっているカフェはお休みだった。通りがかりにパン屋があったのを思い出し、そこでいくつかパンを買った。帰りがけにもっていた温泉地の案内地図が風で破れ始めているのをみつけた亭主が、新しくくれたが、その彼女は交換したいとなかなかない選択肢を亭主につたえ、空気がすこし笑ったように思えた。この才能はなかなかないと思う。けろっと本人はなんで?と言わんばかりの顔をしたが、平日朝の温泉地の、もと赤線の目抜き通りのはずれにある、扉を開けたら所狭しとパンが置いてあるに近いそのパン屋で、よそ者を相手に固まっていた感覚が一気に流れ出す瞬間だった。予期せぬ感情の溶出は多少なりとも屋外の暑さにまた固まることになるのだが、幸福感を感じるほどで、しばらくは感じてなかったのでなかろうか。その後温泉地から30分弱の私鉄でパンをほおばりながら、また転倒してしまった婦人に気遣い絆創膏を自然と貼りに行く彼女をみて、また気持ちは溶ける。看護師だから自然とできるのかとも思ってしまう部分もあったが、戻ってきた彼女の顔をみて、そういえばこないだ彼女本人も自転車で転倒して絆創膏を顔に貼っていたことに気づいた。幸福と笑いと。本当に心が温かくなった。福島駅についてそれをみていた他の乗客からありがとうと言われている彼女は、してやった感もみじんも感じさせず、私もこのあいだ転んだのでと笑いを誘う。二両しかないホームでは改札口までが近く、幸せな会話を眺めるのもすぐ終わってしまった。帰りの新幹線ではすやすやと寝ている彼女が記憶に残る。実はその2週間後に、朝の患者がキャンセルでゆっくり来てくださいと言われ、私は取手から朝しか走っていない旧型の気動車に乗るために迂回して職場に向かった。ちょうどよくそれは入線していて、扇風機が全速力で回っている。ラッシュと反対方向のためすいており、一番先頭の3人掛けほどの椅子に座った。向いに、露出の多い若い女性二人が乗ってきた。昨晩の空気感を引きずっているようにも見え、酒は引いているがまだ体調がよくないようにも見える。そのためかすぐ睡魔に襲われて寝てしまった。気動車は走り始め、旧型であることと線路がよくないために上下によく揺れる。それでも彼女らは熟睡し、最寄り駅ではっと目覚めて急いで降りた。スマホが椅子に一つ。視野の左側にあったがすでに扉は閉まってしまっていて、私はスマホに目をやっていたためスマホを手にして、窓を開け、渡す行為もできたのだが、そういった気持ちを持てずに殻に入ってしまっていた。幸い運転席の後ろだったため彼女らが座席を見つめるのを気づいた運転手が再度ドアを開けて万事休すだった。対照的にわたしはどうしてこういうときに動けないのだろうかと本能的な部分での感情の動きを責めていた。おそらく看護師の彼女ならそのようなこと当たり前にすぐに行動に出ていただろう。偶然にキャンセルが出て私がその路線を使ってかつ乗客がスマホを目の前で忘れる確率は大したものかとも思うが、こういうたぐいの偶然性は神様のレシピだと伊坂幸太郎から学んだ。振り返ればこういうようにしか生きられなかった時間の流れが生まれていることに気づくときがある。どうしてこうなったか、隙も入らない偶然性と無意識に決定して時間を歩んだ道筋が、一本しか見渡せない。