サブカルというのか、ロリータ系というのか、ある特定のブランドがすきだという彼女も同業で、常磐線の各駅停車が止まる駅を降りて左に曲がって大通りまで進む。突き当りを左に曲がったところにマンションの買った部屋に住んでいた。自分のことをあまり話さずどちらかというと日々の浅い面白いことイラついたことなど、すこし距離のある当たり障りのない内容をいつも楽しげに話しているため、夜が深くなったときに意外とわたしは彼女を詳しく知らないことに気が付いた。大晦日の夜に二人でお大師に向かった。案の定寒く、支線を降りて参拝の列は行列だった。ただ、列で並びながらも出店の出す熱や、まんじゅうを吹かす蒸気といったもので温かさはあり、なにより列になっている人たちが熱燗でも飲んでいるようなそういう温度感でいるために、そんな寒さは感じなかった。すでに年明けをして程よく過ぎたころ、警備員に誘導されて参拝を終了し、多少の安堵で階段を降りた。そこここに明かりのある深夜帯は活気もあり場所柄か若者が比較的堂々とかっ歩しているのが目につく。終電もない時間にしかしなんとなくうちにこのまま帰るものつまらなくなり、実はそのころすでにその彼女とは疎遠になっていたが、昔から地元にあるのにも関わらず初めて入ったやきとり屋の油のしみこんで丸くなった木の机でつまんだのち、なかなか来なかったがタクシーを呼び、終夜運転区間までぬけて、うまく接続があったからよかったものの、車内は疲れて帰る乗客の熱気とだるさを感じながら彼女の部屋に帰った。そのやきとり屋は東京をまわる環状線の道沿いにあるのだが、ラーメン屋しかりだが環状線沿いのお店というのはどこか同じ空気感を持っている。参道の周りにある屋台のようなものに似ているのではないかと思う。人生で大晦日からの年明けは何回経験するかわからないが、印象深い夜になったことは間違いない。しばらくして結婚をして妊娠したとの連絡があった。なにかいつも父親のような椅子でいうと肘置きのようなものを求めていたのではないかと個人的には深層で感じていたのだが、それに見合う旦那さんなのだろうなと感じた。