大学生のころにいまでいうとフッ軽というのか、さまざまにつてを持った女性と知り合った。その後一流企業に就職するのだが、まだ大学生のある夜に突然連絡が来て泊まることになった。新宿の隣町で部屋に向かう前にどこかで軽くイタリアンを食したあと、吐息がアルコール交じりの状態でデザイナーズマンションというのか、部屋に向かった。赤い丸い手すりのある階段を上がって二階だったか、コンビニに歯ブラシをその後買いに行った覚えがある。汗のにおいがなんとなく残っている夜で、ソファで事をした。翌朝、何事もなかったかのように座っていた。あまり感情が出てこないのだろうか。そこが読み取れない。ことさらその最中の記憶がないのは、酔いのせいかわからない。ただ、通して感じるのはおそらく好意があったのだと思う。転職で大阪に行ったのちまた東京に帰ってきたときにも、私は既婚者となっていたが家庭的な焼き鳥をつまみにして近況を聞いた。生活は比較的表裏のないような感じを漂わせながらも、ナイーブなかたまりをどこかに携えている。そんな印象であった。天性か、楽しく仕事ができてしまうし、みなうまくやれているところで、帰宅すると一人の空気を出しているのか。ただそれをさみしがり屋というのか。大阪に彼女が住んでいた時にどうせお互い三が日は暇だからと高山の温泉に泊まったこともあった。こちらは新宿から高速で松本に向かい、そこから行き違いすら難しいような道で上高地を越えて飛騨高山に向かう。そこからJR高山線で南下した小坂という町で温泉に泊まった。天然の炭酸泉でぬるく心地が良かったのを覚えている。翌朝あまり詳しくは覚えてないが、特急ではなく普通列車で名古屋に降りた。ちょうど帰省ラッシュにあたり激込みの東海道新幹線に乗ることとなった。時間を合わせて、静岡でひかりを下車し数駅は夕方の静岡駅から出る地元感のある普通列車で揺られて富士のほうに向かった。静岡の企業に勤めている彼女とは、彼女から東京に来て泊まったり、あるいは私が静岡に行き泊まったりした。3か月ほどか。すらっとしているのに愛嬌があって賢そうな彼女はもうすこし都会に住んでいてもいいと思うが、海沿いの商店もない駅が最寄りだった。研修で東京駅近くのホテルに泊まった際にこっそり私はその部屋にころがりこんで、狭いシングルで泊ったことがあったが、その後すぐにそのホテルは老舗にもかかわらずすぐに廃業していた。記憶が比較的まだ生もののうちに記憶の生じた場所が現実からなくなってしまう虚無的な感覚を、場所と記憶とを結びつけたくなる性質が私にはあるのだと気づかせてくれた出来事だった。ある日付き合う気がないと悟った彼女は突然別れを告げてそれ以降連絡はない。新宿のアパレルで店員をしていた妹さんは元気なのだろうか。モンクレールの暖かそうな黒いジャンパーを羽織って、細い体を温めていたのを思い出す。