なにか、何年も苦労して歳重ねてから花開くまでは苦行の日々だという、今現在の幸せよりか先にそれを求めていた時代から、どうやら、今どのように充足した満足感を得られるかに意識が移行しているように思う。もちろんそれは便利なシステムができそれに依存する日々の中で、先々を考えなくてもよくなった、あるいはより情報が増えてきたことが影響しているのではないかと思う。吉原細見という新吉原遊郭時代の遊女ランキングが、お客の案内冊子になっていること以上に、ランキング化することで遊女たちの精神的支配をしていることに気づく。トップは充足するし、下位は、働く場所も決まりそれなりの仕事しかない。そういったシステムが経済を、特に資本主義の中でジェンダーの区別が独り立ちしていった時代背景を考えつつ、いまはそれがとても異質だと気づくが、当時は当たり前のことだったのだろう。